青の耳に念仏
その夜、カミューは幸せな夢を見ていた。
枕もとには怪しげな茶色の物体が、さながら貴重な宝のように安置されている。起毛製の布で出来ているそれは、恋人が作ってくれた正に宝物だった。
たとえそれが如何に珍妙な代物であろうと、恋人が『むささびのぬいぐるみ』だと言うなら、そうなのだ。この部屋を訪れる部下がどれほど怪訝な顔をしようと、彼はそれを隠すことなく机の上に飾っていた。そして夜ともなるとベッドに運んで、きゅっと抱き締めてから横になるのだ。彼は実にいじらしい、『恋する青年』であった。
さて、その効用か、本日カミューは夢の中で念願のムクムクとの逢瀬を果たしていた。ぬいぐるみのモデルである赤マントのむささびを、一度でいいから抱き締めてみたい。それがカミューのささやかな願いだった。
夢とはいえ、腕の中のむささびはとても柔らかくふかふかで、思い描いてた手触りそのものだ。
……可愛い。うっとりしながら、ほこほこの腹を撫でて、ピンと張った耳を摘み、つぶらな瞳を覗き込んで悦に浸っていた彼だったが、突然抱いていたむささびが別のものに変容し始めたのに驚愕した。
にちりんまおう。
巨大な仏像のようなモンスターが、たちまち彼を抱き潰す。胸苦しさに襲われて必死に助けを求めるが、にちりんまおうは座禅を解いてカミューを抱き込み、さわさわと頬ずりを始めた。
そのまま組み敷かれ、数トンはあろうかという体重をかけて押さえ込まれた。その重みと恐怖に、終にカミューは悲鳴を上げた。
「ど、どうしたんだ、カミュー!」
間近で呼ばれてはっと目を開けると、見慣れた自室の天井と、同じく見慣れた恋人の案じる顔が同時に飛び込んできた。要するに、マイクロトフが覆い被さっているのだ。
「マ…………イクロトフ……?」
ほっとした途端につい洩らす。
「…………重い」
「あ、ああ……すまない、起こしてしまって…………」
にちりんまおうの正体は恋人だったのだ。
微かにショックを受けながら、カミューは引き攣った笑みを浮かべた。
「……脅かさないでくれ。どうしたんだい……?」
聞く前からすでにわかっていた。体重をかけたことで彼を起こして、すまなそうにしている男。だが、その顔は異様な興奮で赤らんでいる。
「カ、カミュー…………好きだ」
わたしもだよ、カミューは心で呟いた。
おまえのくれた奇妙なぬいぐるみもどきを部下に怪しまれても、一度などゴミと間違われて捨てられたのを半泣きで探しに行くくらい、とてもとても好きだ。
…………寝起きのカミューの思考はこんなものである。
「な…………、いいだろう?」
「……疲れているんだ」
倦怠期の夫婦のような会話を交わしている騎士団長二人。
「一度だけ。一度で終わらせるから…………」
「……おまえの一度は信用ならないよ」
「おれはいつだっておまえが欲しい。それこそ朝に昼に晩に、おまえがおれのものだと確かめたいくらいだ」
「……マイクロトフ……」
カミューは小さく溜め息をついた。
「三度の食事ではないんだぞ? やりたい盛りの十代ではないんだから、少しは控えてくれよ」
するとマイクロトフは唇を引き結んで胸を張った。
「……カミュー。おまえはそうだったかもしれないが、おれは多少出遅れているんだぞ。だから、今がその『盛り』とやらだ」
偉そうに言うことでもないが、マイクロトフには重大な事実であるらしい。あまりにごもっともなその意見。納得させられかけたカミューは言葉を失った。
沈黙に許されたと感じたのか、マイクロトフは即座に彼の夜着を開き始めた。慌ててカミューは身を捩る。
「ま、待て! マイクロトフ」
「……待てない」
「いいから待て! 待つのも騎士のつとめだぞ」
ほとんど脈絡のない決め台詞。だが、『騎士のつとめ』は騎士団ではオールマイティな切り札の言葉だ。やむなくマイクロトフは侵攻を止めてカミューを見た。
「…………マイクロトフ。おまえに見てもらいたいものがある」
そう言ってカミューはベッド脇のサイドテーブルから小さな冊子を取り上げた。それは彼が覚書に使っているもので、会議の重要事項や騎士団の部隊配列、その他もろもろの記録を記した大事な手帳である。
マイクロトフもそれを知っていた。さすがに真剣な顔になり、恋人の身体から身を退いてシーツの上に座り込んだ。
「これだ」
カミューは冊子のページを開いてマイクロトフに向けた。それは今月の日程表である。予定はぎっしり詰まっていた。彼は赤騎士団長、しかもこの同盟軍でも武力の中枢を担っている。日程に空白はほとんどない。
しかしカミューがわざわざこれを持ち出した意味がわからず、目を皿のようにして見入った挙げ句、マイクロトフはお手上げ状態に突入した。
「…………これが何か?」
「よく見ろ! 日付のすぐ下!」
目を凝らしてとくと見ると、月初から今日までの十日間、日付の下に小さな印がついている。それは俗にハートマークと呼ばれる代物だったが、如何せんマイクロトフはそうしたことに知識がなかった。
「…………何やら妙な印がついているが」
「それが何の日か、胸に手を当てて考えてみろ」
言われた通り素直に厚い胸に片手を押し当てて、マイクロトフは首を傾げた。
「………………風呂に入った日、か……?」
長い熟考の後に吐き出された一言に、カミューは肩を落とした。
「マイクロトフ……、確かにわたしたちは毎日風呂に入っている。それ以外に思うところはないのか?」
「………………駄目だ、降参する」
「……………………………………した日!!だよ」
カミューは頬を染めて小さく叫んだ。
「いいか? 今月に入ってからというもの、毎日! 連続! 休みなく! わたしたちはベッドを共にしている。新婚のご夫婦だろうと、こうはいかないぞ」
「そ、そうだろうか…………」
「考えてもみてくれ。おまえはともかく、わたしの身体が持たないよ。昨日だって軍師殿に嫌味を言われたんだぞ、『体調の管理は騎士団の心得にあるのだろうか』とな」
なまじ整っているだけに腹の立つ、若い軍師のしたり顔を思い出したのか、カミューは常になく不機嫌そうに言い放った。どうやら寝起きの悪さも作用しているらしい。
「……わたしにとっては、とても不自然な行為なんだ。翌日の行動にも響くんだよ」
「それは…………まあ、わかっているが……」
マイクロトフは苦しげに同意したが、下半身はどうにも納得しきれない様子である。そのあたりに勇気付けられたのか、珍しく反論に転じた。
「だが、カミュー…………愛し合うという行為は、身体に良いと聞いたぞ?」
「誰に?」
「エミリア殿や…………そう、リィナ殿にも」
女性扱いの不得手な男。
そのくせ教えられた知識は忠実に吸収する素直な男。
よもや彼女達が自らの趣味を満たすために余計な知識を与えていることなど想像も出来ない、実に人の良い好青年。
それが青騎士団長マイクロトフだった。
カミューは難しい顔で切り返した。
「ほどほど、という言葉を知っているか、マイクロトフ?」
そうして冊子をぐいと彼に突きつける。
「結婚した男女であろうと、程度の差こそあれ、五年も経てば週に平均一、二度になるという話を聞いた。なのに、おまえは毎日! あまり数をこなすと、厭きがくるぞ」
「そんなことは有り得ない!!」
マイクロトフはがばとカミューを抱き締めた。さながら、にちりんまおうのような馬鹿力の抱擁に、カミューは窒息しかけて気が遠くなる。
「おれがおまえに厭きるだなどと……そんなことはないということを、実地で証明してみせよう!!」
何やら手前勝手な理屈をつけて、彼はカミューを押し倒した。力づくでこられては、カミューになすすべはない。
「た、頼むよ……今夜は勘弁してくれ〜」
「駄目だ!! 世間の常識がどうあろうと、おれの想いで打ち破ってみせる!!!」
そのあたりがすでに常識から逸脱している、と訴える暇もない。
哀れカミューは、冊子に十一個目の印をつけることを余儀なくされた。
厭きがくる。
それは説得の言葉として通じない。
以上が本日の赤騎士団長の教訓となったが、彼の情熱的な恋人に対して、果たして説得する行為に意味があるのかどうか、それは彼にもわからない……。
ムクムク殿と同時アップを目指したため、
何やら話が続いてます(苦笑)
ね〜、マッピー大王様、やっぱり宥めるだけ無駄〜。
(いや、これで宥めたのかどうかも怪しいが)
突進して壁に激突しても、青は壁を壊して進んでいくでしょう。
しかし、青に理屈というものが合わないと実感しましたです。
ちなみに赤の手帳のハートマークは、奥江がパソコンでハートマーク
出せないことへの焦り……というわけではありません(笑)
これマジでやってたら変だわ、赤……(苦笑)