愛のためなら


「……強過ぎる執着は重荷なのだろうか……」
ふと洩れた呟きに、マイクロトフは手にしていた本を取り落としそうになった。窓辺に引き寄せた椅子に浅く座り、外をぼんやり眺めている端整な顔立ちには何処か寂寥が漂っている。
「掴めないものを追い掛けてしまう……人とは業の深い生き物だな……」
すでに読書などしている気分ではない。マイクロトフは慌てて本をテーブルに置き、息を殺してカミューに全神経を集中させる。
「相手の許容を超えた想いは、矢張り迷惑にしかならないのだろうな……」
「め、迷惑だなどと思ったことは一度だって無いぞ!!」
仰天して口走った途端、白い美貌が振り向いた。
「…………え?」
「それはおれの台詞だ! おまえを独り占めしてたくて……ついつい執着して束縛してしまう。すまないとは思っているが…………」
カミューは怪訝そうに首を傾げた。
「……何の話だ?」
「だ、だから……俺としてはもっともっとおまえに執着してもらいたいくらいで」
「???」
そこで互いの会話が噛み合っていないのに気づき、カミューは苦笑した。
「ああ、すまない……独り言だよ。口にしたつもりはなかったんだが」
「だ、だが」
マイクロトフは立ち上がり、窓辺のカミューに歩み寄った。しかし彼の視線はマイクロトフを逸れ、再び窓の外に落ちる。さっきの言葉はどうやらマイクロトフを指しているのではないらしい。それは更にマイクロトフを動揺させた。
「カミュー……誰のことを言っているんだ……?」
他に想いを寄せる相手が出来たのだなどとは思わない。だが、意味深な言葉を聞き流すほど柔軟にもなれない。彼は恋人の彫像のような横顔を食い入るように見詰めた。カミューは目線を外に向けたまま、溜め息をついた。
「…………ムクムク殿」
「は?」
答えが脳に達しても、弾き飛ばされたように理解できない。
「誰…………だって?」
「だから、ムクムク殿だよ」 
ムクムク、ムクムクと口の中で唱えて、それがあのむささびのことだとようやく思い至り、マイクロトフはよろめきそうになった。
もともと礼節には厚い騎士団出身の彼らだが、むささびにまで礼を尽くすカミューは、ある意味マイクロトフ以上に融通が利かないのではないだろうか。
「そ、それで…………そのムクムク殿がどうしたって?」
一応彼に倣って『殿』付きで尋ねるマイクロトフは、矢張り何よりカミューを尊重する誠実な恋人であった。
「……いいよなぁ……」
「いい、とは…………??」
「可愛いな……。むくむくしていて、触り心地も良さそうで……。抱き締めたらふかふかしているんだろうな…………」
ほうっと溜め息をついて、カミューは白い手袋に包まれた両手を頬に当てる。すっかり乙女モードに入っているようだ。マイクロトフにはよほど彼の方が可愛いのだが、念のためカミューの横の窓枠を掴み、眼下を窺った。視線を巡らせると、広場に五匹のむささびがうろついている。
マイクロトフには未だによくわからない。何故、あんな動物までがこの城にいるのか。しかも、彼らも宿星のさだめる仲間なのである。いったいどういう根拠と基準で百八星は決められるのだろうか。
「……一度でいいから、思い切り撫で回してみたい……。こう……きゅっと抱き締めたら、『ムムー』とか鳴かれるのだろうか……。どう思う、マイクロトフ?」
どう思うと聞かれても。彼は必死に悩んだ。
「…………………………………………やっぱり、鳴くのではないか?」
「そうか、そうだよな…………」
そしてまた溜め息だ。
どうやらあの毛糸の塊のような生き物は、カミューの心のツボのど真ん中を突いてしまっているらしい。あまり物事に執着しない男だが、妙なところに妙なこだわりを持っているようだ。さすがに獣相手では嫉妬する気にもなれず、恋人の新たな一面を垣間見て、それなりに幸せなマイクロトフだった。
「ムクムク殿は、リーダーやナナミ殿には寄って行かれるのだが、わたしが近づくと逃げて行かれるんだ……」
カミューがふと、哀しそうに洩らした。
「どうやらわたしは嫌われているらしい……。想いが片側通行なのはつらいことだ」
そんな大袈裟なと言い掛けるが、哀しげなカミューがまた美しくて、つい慰めるのを忘れてしまう。
「ムクムク殿は野生の本能でわたしの邪な願望を見抜いておられるのかもしれない…………」
邪。
少しばかり使用法を間違えているような気がするが、マイクロトフにはカミューの話術を訂正するほどの語学力はなかったので、黙っていた。
「……ああ、でも……一度でいいから、ムクムク殿を抱き締めてみたい…………」
おれもそんなに熱心に言われてみたいぞ、喉まで出掛かった言葉を引っ込めて、マイクロトフは恋人の肩を優しく叩いた。
「おまえの望みはおれの望みだ」
「マイクロトフ?」
敢然と宣言すると、彼はすたすたと歩き出した。
「マイクロトフ、何を…………??」
困惑したようなカミューの声、そして視線。
すでにマイクロトフは戦場へ向かう夫の気持ちになっていた。

 

 

部屋から見えた広場へ降りると、そこではむささびたちが意味もなくはしゃいで飛び回っていた。
正直なところ、カミューの趣味があまり理解できない。確かに柔らかくて触り心地は良さそうだが、それを言うなら彼にとって、まさにカミューがそうなのだ。
よりにもよって獣相手にあんなうっとりした顔を、と多少は悔しくもあるのだが、そこはマイクロトフのこと。カミューの望みを叶えることが第一である。
「えーと、その…………ムクムク…………殿」
「ムムーーーーーッ」
おずおずと声を掛けるなり、五匹のむささびは一斉に飛び立っていった。残されたマイクロトフは呆然とするばかりだ。なるほど、これはカミューの言う通り。取り付く島もない。
指導者の少年もナナミも、現在クスクスの町の探索に出掛けてしまっているので、力添えをしてもらうことも出来ない。こうなったら、ひたすら追い掛けるしか手段はないのだろうか……。
そこで彼は珍しくも理性的に考えた。言葉の通じない相手なら、通訳を介せばいいのだ。思い立つなりモンスター使いのバドを探した。ところがこの男、獣以上に意思の疎通が難しかった。マイクロトフが丁重に話し掛けても、返る答えは『……………………』ばかり。終いには時間の無駄と諦めた。
次に、すれ違う人間すべてに声を掛け、むささびがたむろする場所を聞き出した。
その中のひとつ、バラのテラスへ行ってみると、そこには一般住人や怪しげな耽美系の仲間が寛いでいる。
「おや、これはお珍しい。青騎士団長殿ではありませんか。よろしければ、こちらでお茶でも如何ですか?」
「ノン、ノン、ノン。遠慮なさることなどありません。我ら、この城に集う者はすべて、心の友ではありませんか」
如何なるときも『心の友・草の根運動』に余念の無い耽美ペアが誘うが、それも馬耳東風。マイクロトフの視線の先はただ一つ、テラスの先端に勢揃いしているむささび戦隊である。彼はずんずん歩み寄り、少し離れたところで足を止め、はたと悩んだ。
……………………どれがムクムクだっただろう??
個体を区別する手段はマントの色のみ。
やがてマイクロトフは真っ直ぐに赤いマントに語り掛けた。別に、野性の本能が働いたわけではない。単に色が恋人を思わせて好きなだけだった。
「ムクムク殿……、元マチルダ・青騎士団長マイクロトフ、貴君に折り入って頼みがある」
背中を向けたむささびに切々と語り始めたマイクロトフに、周囲の人間は目を見開いて注目した。
「実は……非常に私的な願い事なのだが、御身を是非とも一度、腕に抱きたいと切望している者がいる。どうか、貴君を抱かせていただけないだろうか」
途端、一同は凍りついた。
(……………………獣○………………????)
恐るべき響きを髣髴とさせるマイクロトフの言葉に腰を引く人々。彼らの見守る中、マイクロトフはすでに必死で、一体のむささびしか目に入っていない。
「頼む。一度で良いから抱かれてやって貰えないか」
それでもシカトされるのに焦れて、彼は足を進め出した。
「…………そうか。気が進まぬというのはわかるが……おれも真剣なのだ。すまないが、力づくでも貴君を連れて行かせてもらうぞ」
長い両手を広げ、赤いマントのむささびを拘束しようとした瞬間、五匹はまたも嘲笑うかのように逃げ去った。
「ムーッ」
「ムムムムムッッ」
「ムムムーーーー」
「ム、ムムッ」
「ムム〜〜〜」
明らかに小馬鹿にしたような響き。
マイクロトフは愕然と飛び去っていく彼らを見送った。愛しい愛しい恋人が、切ない顔をして待っているというのに。何と不甲斐ないことだろう。
その顔を哀れに思ったのか、コーネル少年がおずおずと口を開いた。
「あのう………………むささび君たち、よく屋上にいるようですけど……」
「そ、そうか! すまない、恩にきる!!」
足音もどかどかとすっ飛んで行くマイクロトフに、残された一同は恐々と顔を見合わせるばかりだった。
三段抜かしで階段を駆け上がった彼は、教えられた屋上の屋根の上、ぽつねんとひとり(一匹)佇む赤いマントのむささびを見つけた。幸い後ろ向きで、屋根の端っこに立っている。マイクロトフは足音を顰めて近づいて、一気に腕に取り込もうとした。
ところが、ムクムクはまたしても鮮やかに逃げた。からかわれているとしか思えない。しかし、マイクロトフには怒る暇も無かった。
屋根の端にいたムクムクを捕まえようと、勢いを込めて飛びついた。ところが目標を失って、勢い余ってそのまま屋根から転落しそうになったのだ。
「う……おおおおおおおおおお!!!!!」
ここで死んだら、誰がカミューを守るのだ?!
常人離れした瞬発力と筋力で空気を泳ぎ、必死に屋根の縁にしがみつく。かろうじて転落・即死を免れた彼は、驚き慌てた部下の声に救われた。
「マ、マイクロトフ団長〜〜〜何をしておられるんですか〜〜〜?!!」
二人の青騎士が顔を覗かせていた。彼らは恐ろしい勢いで階段を駆けていった団長の姿に、何事かと後を追い掛けてきたらしい。
危ういところで二人に屋根の上に引き上げられて、ぜいぜい言いながら深く落胆するマイクロトフ。このままではカミューを喜ばせてやることが出来ない。恋人としてあまりに情けなさ過ぎるではないか。彼は必死に考えを巡らせた。
やがて、真っ青になっている部下に礼を言うのも忘れた彼は、新たな決意を固めたのだった。

 

「マイクロトフ! 飛び降り自殺を計ったというのは本当か?!」
夜半過ぎ、青褪めたカミューが飛び込んできた。
どうやら不名誉な噂は本拠地を駆け巡り、恋人にまで達してしまったらしい。
「……まさか。どうしておれがそんな真似をせねばならんのだ」
「だ、だが皆が噂していた」
助けてくれた部下たちの目には、飛び去るむささびは見えなかったのだろう。また、見えたとしてもマイクロトフが彼を捕まえるためにダイブしたとは想像できなかったに違いない。
「本気にしたのか? おれが、おまえを残して死ぬわけがなかろう……?」
………………確かに少し危なかったが。
マイクロトフの明るい笑顔にほっとしたようにカミューは力を抜いた。よもやとは思いつつ、無事な姿を確かめに来たのだろう。彼は気が抜けたように微笑み、それから真っ直ぐにマイクロトフの胸に飛び込んだ。
「わたしだって信じたという訳では…………ただ、噂の状況があまりにリアルだったものだから……」
「…………どんな噂が流れていたんだ?」
カミューは一瞬口篭もり、おずおずと答えた。
「……この世の未練もないような勢いで一気に空中に飛んだかと思うと、やはり駄目だと言わんばかりに屋根の縁にへばりついて、すんでのところで青騎士たちに救われ、ひどく難しい顔をして悩んでいた、と…………」
するとあの部下二人は自団長がむささびに向かって飛んだところからすっかり見物していたということか。それでこういう噂を流すとは。明日からの自己鍛錬のノルマをたっぷりと上乗せしてやらねばなるまい。
マイクロトフはしがみつく恋人を、そっと腕の長さの分だけ引き離した。
「……実はな、カミュー……その、おまえにやりたいものがあるんだ」
カミューは不思議そうに顔を上げた。マイクロトフはもう一度微笑んで、部屋の隅に行き、戻ってきたときには何やら得体の知れない物体を握っていた。
「これ…………なのだが」
「これは?」
カミューは渡されたものを丹念に眺め回した。茶色の柔らかな起毛布で作られたそれは、いびつな形でまったく正体不明である。
「…………座布団……かい?」
思わず尋ねた彼に、マイクロトフは苦笑した。
「……すまん。やはりそうとしか見えないな……。頑張って作ったつもりなのだが」
彼はカミューに分かり易いように物体の向きを変えた。
「これが耳、これが手、足……。その、つまり……………、ぬいぐるみ、というやつなのだ………………」
「ぬいぐるみっ?!」
珍しくも上擦ったカミューの声は、『これをぬいぐるみと呼んで良いものなのか』という意味と、『マイクロトフがこれを作ったのか』という二重の驚きのこもったものだ。
けれど、そのいずれの疑問にもマイクロトフはしっかりと頷いた。
「ヨシノ殿とタキ殿に教えてもらいながら作ったのだが……どうにも上手くいかない。駄目だな、おれは……手先がとことん不器用に出来ているようだ」
呆然としているカミューに更に続けた。
「飛び降りたわけではない。ムクムク殿を捕まえたかったのだ。その……おまえが抱きたがっていたから、何とか願いを叶えてやりたくて。だが、駄目だった。おまえの言う通り、目の前で素早く逃げられてしまって……それで落ちそうになったんだ」
「…………………………」
「結局どうにも捕まえるのは不可能そうだったから、せめて代わりにと……『ぬいぐるみ』というのを思いついたは良いが、やはり慣れないことはするものではないな。ああ、心配するな。ヨシノ殿が一緒に作ってくださった立派なものがあるから……」
言い掛けて、再度歩き出そうとした彼の腕を、カミューが掴んだ。確かめるようにマイクロトフの指先に触れる。白い手袋の上からもわかる奇妙な凹凸。夥しいバンソウコウの存在。
カミューの意識を察したように、マイクロトフは頭を掻いた。
「裁縫なんぞしたことがなかったから……どうも針を突き刺してばかりで」
「…………馬鹿だ、おまえは」
掠れた声が呟いた。
「カミュー?」
見上げたカミューの目は熱く燃え上がっている。
「そんなことのために、危うく屋上から落ちかけて、挙げ句の果てに指を穴だらけにしたというのか?」
「そんなこと……ではない。少なくとも、おれにとっては」
マイクロトフは真剣に返した。
「おまえの望みならば出来得る限り叶えてやりたい。おまえの喜ぶ顔を見るためなら、おれは努力を惜しまないぞ」
「ならば」
カミューは泣き笑いのように顔を歪めた。
「……覚えておいてくれ。わたしの真の望みはいつだってひとつだ。おまえがわたしを想ってくれること…………、それ以上に願うことなどない」
言いながら傷ついた指先に唇を落とす。マイクロトフはそんな彼をしっかりと抱き締めた。二人の胸の間で潰れた茶色の塊が、次第に高まるふたつの鼓動をひっそりと聞いていた…………。

 

 

 

その頃のムクムク殿。

「ムムム……ムッ、ムムムムムムーッ、ムムッ、ムムムムー、ムーム、ムッムムムムムー、ムムムム、ムムーッ、ムッ、ムムムームー、ムムム、…………(以下略)」

 

翻訳・バド氏(実に嫌そうである)

『ふふふ……そろそろ効き目が現れた頃だな……。ボクを見詰めるあいつの目、どんどん熱くなっている……。追い掛けて来るのを鼻先で交わし、相手の心をいっそう煽る……完璧な作戦だ!!
初めて見たときから感じていたんだ……ボクの毛皮とおまえの髪、ボクのマントとおまえの服…………。ああ、カミュー。ボクたちは同じ色彩の絆で結ばれた運命の相手なのだ!!
なのに! あの青い野郎が邪魔ばかりする! いつもいつもおまえにへばり付いて! 何なんだ、奴は?! どうやら奴もボクをライバルと認めたらしく、今日は一日命を狙われてしまった……。上手いこと屋上におびき寄せて、逆に抹殺を図ったが、命汚いことに助かってしまったようだ。
もう、こうなったら猶予はない。一刻も早く、カミューをボクのものにしなくては! 待っていろ、カミュー……今夜こそ、おまえの熱い視線に答えてやるからな…………』

                                  ムムム。(終わり)


          別に獣○には興味ありません(爆死)
         ただ、ムクムク殿と赤は色が似てるな〜と
              前から思ってただけです。
          しかし青……決意は男らしいんですが、
           どうして間抜けっぽいんでしょう(涙) 
            すずか(心の中でちゃん付け)様、
          折角の可愛いネタが色物になってしまって
         申し訳ないッス。多分、青作のムクムク殿は
         座布団として赤様のお尻を守ることでしょう(笑)
     それよりこの画面、ムクムク色を意識してみたんですが(爆笑)

 

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