世はすべて事もなし 


 

1.マチルダの場合

懐かしきロックアックスを離れ、デュナン湖南西に位置する古城に到着した騎士団一行は、今日から住処となる地を感慨深げに眺め回していた。
先般まで居城として慣れ親しんだロックアックス城とはまるで異なる。ともすれば他者を排除しかねない厳粛さに支配された彼の城。だが、ここは温かさに満ちていた。
緑生い茂る城の周囲では民間人が戯れ、その合い間を犬猫が駆け回っている。兵士・市民、老若男女問わずに門が開かれた本拠地は、指導者が目指すものを的確に語っていた。立場を超えて平和に笑い合う民の姿、それこそ一同が守ろうとする真のデュナンの在り方なのだろう。
「────びっくりしたでしょう?」
照れ臭そうに見上げた年若い指導者に、騎士たちを率いた二人の騎士団長が視線を返す。
「流民を受け入れているんです。城は手狭になっちゃうけど、どうしてもそうしたくて」
少年は走っている幼い子供を見遣った。
「戦争が起きて本当に傷つくのは、いつだって武力を持たない人たちですよね。出来る限りのことをしたいんです。おこがましいかもしれないけれど……」
「いいえ、ご立派ですよ」
赤騎士団を率いる青年がにっこりと微笑んだ。
「力ない弱き存在を全力で守ろうとする────それこそ、指導者の在り方です。おこがましくなど決してありませんよ、ウィン殿」
横に並ぶ居丈夫な青騎士団長が強く頷いた。
「カミューの言う通りです。ここはとても良い城だと思います」
「カミューさん、マイクロトフさん……」
同盟軍をその背に担うウィンは、新たに自軍に加わった勇壮な戦力を眺め遣り、心強そうに微笑んだ。
「よー、お二人さん。これからよろしくなー」
掛かった太い声に一同が振り向くと、同盟の要人・ビクトールが歩み寄ってくるところだった。
「ビクトールだ。おまえさんらの参加はありがたいぜ。何しろ、ここは寄せ集めの集団だからな、訓練された騎士が居てくれるってのは助かる」
「こちらこそ」
騎士団長らは丁寧に礼を取った。
「元赤騎士団長カミューです。一同、御世話になります」
「同じく、元青騎士団長マイクロトフ。よろしくお願い申し上げる」
騎士団を離反したとは言え、礼節溢れる物腰は変わらない。ビクトールは苦笑して、軽く片手を挙げた。
「まあ、堅っ苦しいのは抜きにしようぜ。ああ、おまえさんらの部屋は隣なんだ。落ち着いたらゆっくり酒でも飲もうや」
「それは楽しみですね」
華やかに笑んだ赤騎士団長に目を細め、ビクトールはウィンに向き直った。
「それじゃ、おれが騎士たちを兵舎に案内するか。ウィン、団長さんらを頼む」
「お願いします」
ビクトールは騎士たちを率いて西の兵舎へと向かっていった。その様を見送っていた赤騎士団長カミューが、ぽつりと呟く。
「……彼は相当指導力のある人物ですね」
「────分りますか?」
「ええ、騎士たちの行動に乱れが出ない。無意識に彼の統率を感じ取っているのでしょう。ウィン殿、良い同志をお持ちですね」
少年は我が事を褒められたかのように嬉しそうに頷いた。
「────ここの人たちは、みんな僕の大切な仲間です。家族みたいなものなんです」
「それはとても幸せなことですよ」
微笑む青年の隣、厳つい表情の青騎士団長も心からの同意を浮かべて少年を見詰めていた。

 

 

「……ええと、実は非常に申し訳ないんですが」
断っておいて、ウィンが開いた扉。
それはロックアックス城で半生を送った二人には、あまりに粗末な室であった。
「狭い上に、現在取れる個室がひとつしか……」
恐縮している指導者に、束の間部屋に見入っていた二人が意識を戻した。
「すみません。なかなか増築が追い付かなくて……本当にすみません」
「────いえ、そういう訳ではないのです」
カミューは柔らかに目を細めた。
「我らは戦士です。雨露を凌げるだけでも充分なのですよ。むしろ……新参の我らが個室を頂いて心苦しいと思ったのです」
「そ……そう言っていただけると……」
ウィンは更に小さくなった。
「…………でも……その、ベッドもひとつしか用意出来なくて……」
「それも問題ありません」
カミューは艶然と首を振る。
「どちらが使うかはクジでも引いて決めますから」
ぱちぱちと瞬いた少年は、可笑しそうに笑った。ようやく心が軽くなったのだろう、明るい口調になる。
「それじゃ、ゆっくり休んでください。明朝にでも改めて皆に紹介しますから」
「ええ、おやすみなさい」
「────おやすみなさい、ウィン殿」
カミューの横、やや複雑な顔をしていたマイクロトフが丁寧に会釈する。少年は急ぎ足に去っていった。
二人は相次いで室内に足を進め、それから扉に鍵を掛けて大きく息を吐いた。
「────参ったな……」
呟いたのはマイクロトフだ。その目線は真っ直ぐにベッドに向かっている。
「それはこちらの台詞だ。そんな目つきで寝台を睨みつけていたら、ウィン殿に不審に思われるじゃないか」
苦笑混じりに言いながら、カミューは気持ち良く整えられたベッドに腰を落とす。
「それとも何かい……? 他のことでも考えたとか?」
「なっ、何を言うんだ!!」
即座に赤面してマイクロトフはずんずんと歩み寄り、座るカミューの正面で項垂れた。
「カミュー……すまない」
「何が?」
「……おれの短慮の所為で、おまえまでマチルダを離反する羽目になった……」
「────本気で言っているなら殴る」
剣呑とした声に男が顔を上げると、美貌の騎士団長は真っ直ぐな琥珀を注いでくる。
「おまえの選ぶ道が間違っていると思ったら、たとえ戦ってでも止めたさ。何も考えずに付き従うほど愚鈍な人間だと思っているなら筋違いもいいところだぞ、マイクロトフ」
「カミュー……」
「おまえの選んだものが、たまたまわたしと重なっただけだ。謝られる理由などない」
凍れる口調の宣言にマイクロトフは幾度か瞬いて、それからいっそう深く頭を垂れた。
「────すまない」
「……今度は何の詫びだい?」
「あ……謝ったことに対してだ」
カミューはぷっと吹き出した。
「────もういいから、ここへ来てくれ」
初めて声が甘やかなものを含んだ。請われるままマイクロトフは彼の横に腰を下ろす。
「本当を言うとね、少し思った────これからは日々おまえの笑顔で朝を迎えられるのだな、と…………」
「カミュー……────」
「おかしな心配をしなくても、ちゃんとわたしは自分の意志で動いている。おまえと道が分かれない限り、常に傍に在るよ」
「…………分かれることがあると思っているのか……?」
「さあね」
カミューは男の肩に頭を乗せ、小さく笑った。
「おまえがおまえである限り……当分はなさそうな気がするが」
「────生涯ない、……に変更を希望する」
マイクロトフは青年の繊細な顎を取り、祈りを込めてくちづけた。

 

 

 

2.腐れ縁の場合

「なあ……近頃妙な視線を感じるんだが」
そう呟いたのは『青雷』の二つ名を持つ傭兵フリックである。共に同盟軍の要人である古い馴染みの男と向かい合い、酌み交わす酒の味は苦い。
「あー? まあ、酒場だからな。人目くらいはあるだろうぜ」
「いや、そういう意味じゃなく」
ビクトールの指摘をあっさり払い除け、複雑な表情で続ける。
「何かこう…………これまでと違う、妙な視線なんだ。それがな、おまえと一緒にいるときに集中して感じるんだよ。ビクトール、気づかないか?」
「そう言われてもなあ……」
ジョッキでぐいぐいと酒を流し込んでいた男がのんびりとあたりを見回す。
レオナの酒場に集う顔はたいがい見知った連中だ。互いに声を掛け合い、何時の間にか大きな輪が出来て賑やかな酒を楽しむのが常だった。
だが、言われてみれば今日は何処となく周囲の空気が重い。言ってみれば、遠巻きにされているような雰囲気なのである。ビクトールの視線に掠められた者は、何故か一瞬声を失い、慌てて目を逸らせて何事もなかったように連れと談笑を再開する。
「────確かに、妙だな」
「だろ? 何なんだろう、いったい……」
困惑しきりといったフリックの背後に、穏やかな声が掛かった。
「ご一緒してよろしいですか?」
見れば、赤・青両騎士団長が並んで立っている。優美で社交的な振舞いが染み付いているらしいカミューと、何処か借り物のように緊張しているマイクロトフ。二人の取り合わせはビクトールらにも好ましく、すぐに椅子を引いた。
「おう、光栄だぜ。だがよ、言っておくがお上品な酒ってのはナシだぜ?」
「下品な酒はもっと却下だ。どうだ、ここには慣れたか?」
親愛をもってグラスに酒を注ぐ二人の戦士に騎士団長らは顔を見合わせて頷く。
「とてもよい城だと思います」
生真面目に答えたマイクロトフに、フリックが返す。
「人が多くて驚いただろう」
「ええ、流民を住まわせているとか……」
「お陰で狭いがな」
「正しいことだと思います」
マイクロトフはきっぱりと言い切った。
「ゴルドーがミューズの流民を受け入れなかったことを、今でも根に持っているのですよ」
カミューは苦笑してマイクロトフを指す。だが、口調とは裏腹に、眼差しは陰鬱なものに満ちていた。見捨てる羽目になってしまった多くの民の命を思っているのだろうと、ビクトールらは騎士団長たちの誠実を好ましく思う。

 

────そんなときだった。

 

「フリックさんの馬鹿ぁぁぁぁぁ!!!!」
酒場に轟いたのは、その場に似つかわしくない少女の声。驚いた一同が見遣ると、入り口付近に仁王立ちになったグリンヒル出身の少女がわなわなと震えながら4人のテーブルを睨んでいる。
「ニナ……?」
呆気に取られたフリックが声を掛ける間もなく、少女ニナは叫んだ。
「ひどいわ、あんまりです! 私を相手にしてくれなかったのって、そういう訳だったなんて〜!!」
「────は?」
「こんなのって、こんなのって…………」
ほろほろと涙を零したニナは、最後に絶叫して走り去っていった。
「不潔よーーーーーー!!!!」

 

 

少女が消えた酒場は静寂に包まれた。
ただ呆然と見送る一同の中、最初に切り出したのはカミューである。
「……あのレディはどうなさったのでしょう?」
「────知るか。不潔って……、おれのことか……?」
「フリック殿は身奇麗になさっておられると思うが……」
ひどく真面目に意見を述べるマイクロトフを一瞥し、ビクトールがぼんやり言う。
「……そういう意味じゃねえと思うな、少なくとも」
「何だか分らないが……まあ、いい。飲み直そうぜ」
頭ごなしに不潔呼ばわりされたのを悩みつつ、フリックは努めて忘れようと明るく杯を掲げた。それでも彼は、周囲から注がれる不快な視線を完全に忘れ去るために泥酔しなければならなかったが。

 

 

 

3.赤騎士団の場合

「ランド副長、東・第三地区の制圧に成功致しました」
報告に訪れた部下を迎え、赤騎士団の副長を勤める壮年の男は深く頷いた。
テーブルに広げられているのは本拠地の見取り図である。促されて赤騎士団の第一部隊長を勤める男が報告された地区を塗り潰した。
「これでほぼ本拠地内のすべてを手中に納めましたな」
第一隊長は一礼して騎士が去ったと同時に副長を振り仰ぐ。
温厚で誠実な人柄の副長ランドは、若い赤騎士団長の就任以来、片時も離れずに執務を支え続けてきた優秀な副官である。
彼は重々しく頷いた。
「────これで策は成った……ご苦労だったな」
居並ぶ十人の騎士隊長が深々と頭を垂れた。
「……しかし……一抹の心苦しさを感じずにはいられません。あのお二人には何の恨みもありませぬ故」
重く呟いた第一隊長に、ランドは苦渋を込めた視線を注いだ。
「────それはよく承知している。罪は……わたし一人のものでいい」
「そ、そのような!」
「左様、副長のお考えは我らのものでもあります! 斯くなる上は、せめて誠心誠意、ビクトール殿とフリック殿に礼を尽くしましょう」
「……それにしても妙案でございましたな」
第四騎士隊長が苦笑する。
「確かに……あのお二人の部屋はカミュー様とマイクロトフ団長の隣室……見事に矛先は逸らせます」
「ロックアックス城とは壁の厚さが違うことをお考え下さればなあ……まあ、マイクロトフ団長にそこまで求めるのは酷か」
「ともあれ、カミュー様に関する不快な噂を立てるわけにはゆかぬ。噂を潰すのは更に衝撃的な噂に限る、お見事な策です……ランド副長」

 

 

そう────
最愛なる赤騎士団長が青騎士団長と交わす夜のひととき。
洩れる密やかな吐息、狂おしい歓喜の叫びは到着直後から赤騎士団の中枢の重大な案件と相成った。
美貌の青年が同盟の同志から不埒な視線を注がれてはならない、ただその一点で張り巡らされた策の包囲網。それは、同じ同志を犠牲に捧ぐという痛ましい決意の代物であった。

『ビクトールとフリックは出来ている』

赤騎士たちが総出で触れ回った噂は光陰の如く本拠地中に駆け巡り、当人たちに疑惑の視線となって降り注いでいる。
その一方で、荒れ狂う噂の渦から蚊帳の外に出された恋人たちが一組。たとえカミューが夜通し切なく啜り泣いたとしても、今となってはフリックの声と受け取られることだろう。

 

「────本当に申し訳ないことだ。だが、わたしが大切なのはカミュー様おひとり。恨むならばわたしをお恨みください、ビクトール殿、フリック殿……」

 

自団長愛しとはいえ、そうそう他者を犠牲にする策を講じることまでは思いつかない。
窓に向かって黙祷を捧げる赤騎士団副長の背に向かい、部下たちの崇拝の眼差しが注がれていた────

 


同室時代、隣には確か青雷氏がいたような……。
もう確認する余力がありませんでした。
違ってたらすみません〜。

ううむそれにしても……鬼だな、副長(苦笑)
黒幕って指令をいただいてからというもの、
温厚〜なおぢさんを悪役にするのに
たいそう悩みました(笑)
まあ……ギャグですから。
おぢさんたち、そこまで青赤の関係に
詳しくはないと……思う……多分。

 

戻る