騎士的解放記念祭


ここマチルダ騎士団領は、かつて一度だけハイランド王国の侵攻に屈したことがある。
デュナン地方に戦火が広がる中で誇り高き騎士の街を解放したのは、ゲンカク老師の率いる都市同盟軍の一団だった。その後の領土問題における一騎打ちによってゲンカクは裏切者の汚名と共に歴史から去ったが、当時を知る者にとっては未だ彼は故国の恩人とも言える。
マチルダでは年に一度、ハイランド軍を退けた日を解放記念日とし、騎士団領をあげての厳粛かつのびやかな祭りが行われることになっていた。人々は気高き戦いの記録から抹消された男に密やかな感謝を捧げつつ、今ある自由を高らかに謳うのである。
ロックアックスの街も例外ではない。
収穫祭、聖誕祭と並んで重要なこの祭りは、日頃街の人間と親しく交流することのない騎士も交えて執り行われる。普段は固く閉ざされたロックアックス城の門は広く開かれ、市街から招かれた料理人たちが腕をふるい、交易商人がもたらす酒がふるまわれるのだ。人々は故国を守る騎士たちと親しく交わり、騎士たちは己が守るべき存在を改めて認識する。
解放記念祭とは、まさにそんな生あるものの喜びの宴なのだった。

 

 

「カミュー、記念祭の警備の件なのだが……」
言いながら、ノックもせずに執務室の扉を開けた青騎士団長マイクロトフは、ひとり執務机に座っていた壮年の赤騎士団副長に声を飲んだ。
「あ、失礼……カミューがいるとばかり……」
赤騎士団長執務室にこうして無遠慮に飛び込めるのは、ロックアックス城広しといえど彼くらいのものだ。優美さと端正な容貌を持った赤騎士団長カミューは騎士たちから無類の尊崇を受けている。迎えた副長は温厚な面差しに笑みを浮かべた。
「申し訳ありません、マイクロトフ様。つい先ほど、カミュー様は騎士隊長らの特別訓練に向かわれました。警備の要項でしたら、こちらにお預かりしております」
立ち上がって書面を渡そうとする男を制して、マイクロトフは自ら受け取りに歩み寄った。位階ではどうあろうと、常に年長者に礼を失わないよう努める男の振る舞いに、副長は好ましげな視線を送る。
「城中が祭りに向けて浮かれているこの折、特別訓練とは……青騎士団も見習わなくてはなりませんな」
精悍な顔を引き締めて強い口調で宣言したマイクロトフに、だが副長は苦笑した。
「ああ、…………いえ、そういうのとも少し────」
「………………?」
「見学なさったら如何ですかな? マイクロトフ様にもお役に立つのではないかと」
含み笑うような副長の様子を怪訝に思いつつ、取り敢えず拒絶する理由はない。精鋭中の精鋭である騎士隊長を集めての特殊な訓練であるならば、確かに見逃す手はない。
「それで……カミューは何処で訓練を?」
「中央棟の室内闘技場です」
「行ってみます。失礼」
背筋を伸ばして退室のため歩き出したマイクロトフは、背後の副長が可笑しそうに笑っているのに気づかなかった。

 

 

 

教えられた闘技場には赤騎士隊長らだけではなく、空き時間である筈の青騎士隊長も数人混じっていた。熱心なことだと満足したのはほんの一時、次の瞬間、マイクロトフはその場でよろめきそうになった。
一同の目が食い入るように見守る先、闘技場の中央にいるのは、赤騎士団・第一部隊長の腕に抱かれて巧みなステップを踏む美貌の赤騎士団長だ。
逞しい第一隊長は日頃ものに動じない勇猛な武人であるが、今日ばかりは城下の娘のように薄く頬を染めて、細身の騎士団長の背に手を回している。純白の手袋に包まれたカミューの右手を握る男の手は端で見ていてもぎごちなく、こちらにまで緊張が伝わってくるようだった。
「────痛っ……!」
「あ、ご……ご無礼を!!」
どうやら第一隊長はしくじったようだ。カミューは僅かに身を引いて、踏まれたらしい足に視線を落とした。
「……そんなにがちがちに硬くなっているからだ。いいか? リズムに合わせて柔らかく、レディが安心して身を委ねられるようにどっしりと構えることが肝心だ」
「は、はい……」
「────声が小さい」
「はっ! 誠心誠意、つとめます!」
「では、もう一度。おまえたちもぼうっと見ていないで、ステップを頭に刻み込め」
最後の言葉はどこか危なげな眼差しで見入っていた他の騎士たちへのものである。それからカミューは艶然と付け加えた。
「……次はおまえたちの番なのだからな、優しくわたしをリード出来るよう、最善を尽くしてもらいたい」
『優しくわたしを』のあたりに妙に反応した騎士たちは、それまでの陶然とした表情を一変させて真剣そのものになった。再び第一隊長に密着したカミューは、男の手を取って自らの腰に回させた。
「ほら、何をそう強張っている。それではレディに無用の警戒を与えるぞ? あくまで自然に、力を入れ過ぎず……ああ、いいぞ。そんな感じだ」
マイクロトフはようやく最初の打撃から立ち直り、一番近くにいた青騎士隊長に声を掛けた。
「おい、これはいったい何だ? 何をしているのだ」
「マ……マイクロトフ様!」
間近にいた自団長にも気付かぬ熱心さで前方を見詰めていた男が飛び上がるように向き直った。
「こ、これはですな、その、つまりアレです。わ、我々青騎士は進んで参加を希望したわけではなく、幸運にも通りがかったカミュー様にお声を掛けていただいただけであります!」
「────さっぱり分らん」
「解放記念祭における催しに向ける訓練とでも申しますか……」
「……おれにはダンスの練習のように見える」
「…………ご明察、恐れ入ります」
数名の青騎士隊長は、何故ここにいるのかと詰問されるのを恐れているようだったが、マイクロトフの方はそれどころではなかった。
祭りの日、城は街の人間に解放される。大広間には楽団も呼ばれ、若々しい乙女たちが騎士と踊る栄誉を満喫するのが通例だった。無論、騎士たちは社交の訓練もそこそこ受けるが、所詮は軍人である。毎年の祭りには恥をかく騎士が後を絶たず、市民は彼らの無骨さを苦笑混じりに見守るのだった。
まあ、空いた時間を使ってダンスの訓練に勤しむのもいいだろう。日がな武力を磨けと強要するほどマイクロトフも無粋ではないつもりだ。それは個人の判断によるものであり、つとめに差し障りさえなければ口を挟む理由はない。
────問題は、『何故カミューなのか』である。
優雅で美しい恋人は何処に出しても恥ずかしくないだけの社交人だ。柔らかな笑み、しなやかな動作、機知に飛んだ話術。カミューはどんな場所でも光り輝ける存在に違いない。
だが、だからといって目の前の光景はどうだろう?
何故、カミューは女役として自分以外の男の腕に抱かれ、自分以外の男と間近に視線を交わしているのか。周囲にいるのが地位ある連中でなかったら、蹴り倒して彼を奪回したい願望に震える青騎士団長だった。
自身よりも長身の部下を見上げるカミューの瞳、その中にある魅惑の泉を第一隊長も味わっているに違いない。見詰められるだけで心がさざめくような、穏やかでありながら情熱を掻き立てる琥珀の瞳。今、そこに映っているのが自分でないことに叫び出しそうなマイクロトフだった。

 

「────よし、だいぶ良くなってきたぞ。この調子でリズムに乗ることを忘れるなよ」
「あ…………」
するりとカミューが腕から抜けると、第一隊長は我に返ったように声を洩らした。やや呆然とした表情で空気を抱き締める己の腕を一瞥し、それから慌てて叩頭する。
「よし、次は誰だ?」
「お……おれです、カミュー団長!」
張り切って進み出た若い赤騎士隊長に、カミューは仄かに笑んだ。優雅に差し伸べる手を固く握り締めた第十部隊長は、ともすると緩みがちになる口元を引き締めながらカミューの背を抱き寄せる。
「………………あいつまで…………」
呆然と吐き出したマイクロトフの横へ、幸福な訓練を終えた第一隊長が戻ってきて礼を取った。
「これはマイクロトフ様……マイクロトフ様も訓練を?」
「い、いや……ローウェル殿、これはいったいどういうことです? 何故カミューはこんなことを……」
すると第一隊長は苦笑しながら背後の第九隊長を指した。
「元はと言えば、先程の打ち合わせの最後に解放祭のダンスの話になりましてな。ご存知の通り、我らは騎士としては何ら恥ずることのない作法を身に付けておりますが、女性との接し方となると……」
────それが万全なのは彼らの団長くらいのものだろう。マイクロトフは苦々しく思いつつ頷いた。
「カミュー様が騎士隊長らに多少の嗜みはあるのか、とお聞きになったのですが……その際、エドが『我らまとめて討ち死にです』と正直に述べたのが功を奏し……いや、まずかったようで」
いつもは冷静な第一隊長であるが、どうもさっきまでの『訓練』に未だ心が落ち着かないらしい。
「我らの恥はご自分の恥、と仰って……今回の仕儀に」
「────なるほど………………」
正直、とても釈然としないし寛容な気分にはなれないのだが、ここで自分が口を挟むのは如何にも不自然だ。それにカミューとて他意があるわけではない。ひとえに自団の重鎮騎士たちの面子を慮ってのことなのだろう。

 

「なあ、あいつ……やたら腕に力が入っているように見えないか?」
「……同感だ。必要以上に接触過多な気がする」
穏やかならぬ実況中継をする隊長らの声に意識を戻せば、カミューは若い騎士隊長にしっかと抱き竦められていた。
「ミゲル……おまえにはダンスの心得があるな。訓練の必要は感じないぞ」
「お褒めいただき光栄です……が、まだまだです」
中央の二人の会話を聞いた一同は、拳を震わせて憤怒に燃えた。
「あの野郎……狙ったな〜〜」
「おまけに何とクジ運の良い奴め!」
「やはり不正が為されたのではないのか?!」
赤騎士隊長らの怒りの声に不思議そうに青騎士隊長が首を傾げる。同様に眉を寄せたマイクロトフに、端から第二隊長が囁いた。
「……訓練の順番はアミダにて決めましたゆえ」
どっと脱力したマイクロトフは、そこで声を荒げるカミューにはっとした。
「……そんなに力を入れたら、レディの背骨が折れるだろう! もういい、おまえのステップは完璧だ。後は力を抜いて当日に臨め!」
「────は、ありがとうございました」
はっきりと落胆を示した第十隊長が身を離したとき、カミューは初めて見守るマイクロトフに気付いた。
「何だ、おまえも来ていたのかい?」
その声に周囲が道を開くように脇に退き、カミューが真っ直ぐに歩み寄ってくる。悶々と苛立っていたのを知られたくなくて、引き攣った笑みを浮かべて彼を迎えた。
「警備の要項を受け取ろうと……」
「それならランドに預けておいたのだけれど……」
「い、いや。それは受け取った。おまえが特別な訓練をしているとランド殿に伺ったので足を運んでみたのだが……」
「ああ、これかい?」
カミューは困ったように笑いながら周囲の部下を見渡した。
「赤騎士団の中枢を勤める騎士隊長ともあろうものが、ダンスのひとつも踊れずに失笑を浴びるのは耐え難くてね。おまえも少し訓練していってみるかい?」
呑気そうに言うカミューに、耐えていたものが切れた。
「────結構だ!!!」
吐き捨てるように拒絶するなり、マイクロトフは踵を返した。驚いているであろう騎士たちと、そしてカミューの視線を痛いほど背中に感じる。ズンズンと闘技場を後にしながら、情けなさでいっぱいだった。

 

 

マイクロトフの切ない思いをよそに、赤・青騎士隊長らにとって非常に胸弾む特別訓練は、祭の日まで連日に渡って行われることとなった────

 

 

 

 

解放記念祭の夜。
ロックアックス城はいつもとは違う顔を見せていた。廊下には一般の市民が物珍しげな顔つきで行き交い、警備に当てられた騎士が重要な箇所を守っている。
解放された中央大ホールにおいては、恒例のダンスパーティーが開催されていた。華やかな衣装を纏った乙女たちが心をときめかせながら騎士の誘いを待ち、野心や冒険心豊かな若者が騎士らの武勇談に耳を傾けている。
そんな軽やかな喧騒の中、マイクロトフはひっそりと窓辺に位置して、踊る男女を眺めていた。
さすがに騎士団長までは交代制の警備の任は負わない。それでも大剣ダンスニーを普段通りに携えて、どっしりと周囲を見回している彼は、自分に向けられる乙女たちの熱い眼差しにはとんと無頓着だった。
ふと、ダンスの輪の中にいる数人の赤騎士隊長に目が止まった。訓練の甲斐あってか、危なげなく乙女をリードしている。結局一度だけしか目にしなかったが、あの日の訓練時の方が心なしか熱心な目つきだったように思う。
そこまで考えて嘆息し、彼はホールを出た。
わかっているのだ────つまらない嫉妬心であることは。女性相手ならばいざ知らず、カミューに近寄る男にまで憤慨するのは愚かしい。こんな感情を彼が知れば、呆れ果てるに違いない。
しばらく頭を冷やそうと距離を取った。あの日からカミューとまともに接していない。顔を合わせるときには必要最低限の会話で場を濁し、ともすれば非難の眼差しを向けそうになる目を逸らせた。だから今宵、騎士団領にとって至高の宴を彼がどこで楽しんでいるのかも分らなかった。
マイクロトフの足は自然と中央棟にある中庭に向かっていた。二人が都合を合わせて息を抜くのに使っている場所だ。重かった足取りは、先客の影を見た途端にその場に停止した。
「カミュー………………」
回廊からの灯火の淡い光に照らされる庭先で、設えられたベンチに腰を落とす影を見違える筈もなかった。
赤騎士団長カミューはグラスを掲げて朗らかに応じた。
「あまり遅かったから、先にやっていたよ」
見ればベンチには半分ほど空けられたワインボトルと未使用のグラスがひとつ乗っている。思わず約束をしていたかと思案に暮れるマイクロトフだった。
「座らないのかい?」
柔らかく促されると、それまで避けていたことが馬鹿らしくなり、ひとつ息を吐いて歩み寄った。カミューの横に腰を下ろし、久しぶりにゆっくりした呼気を間近に感じる。
「ホールに行かなくていいのか……? おまえと踊りたがっている女性は大勢いるだろうに」
窺うように訊くと、カミューは然して関心もなさそうに頷いた。
「ここのところずっとレディ側のステップばかり踏んでいたしね。それにもう一年分くらいは優に踊ったさ」
「……おまえの部下たちは上手くやっているようだった」
「そうでなくては困る」
相当しごいたからね、と軽く笑ってからカミューはグラスを干した。
「飲まないのか? 今日は我がマチルダ騎士団領において歴史的な祝日だぞ?」
「────貰おう」
恋人の手からグラスに注がれるワイン。自治を取り戻した記念日に街の人々と共に祝杯をあげるのも悪くないが、やはりこうして二人だけでひっそりと祝いの酒を分かつのは素晴らしい。カミューが宴を抜け出してきた理由が分かる気がして、マイクロトフは満足に目を細めた。
「────騎士団領の自由に」
「勇猛なる解放の戦士たちに」
カツンと軽やかな響きを上げたグラスを傾けたとき、ぽつりとカミューが切り出した。
「────で? 青騎士団長殿はこのところ、いったい何がご不興だったのかな?」
咽かけたマイクロトフは、隣の琥珀が微かな怒りを含んでいることに気づいた。確かに理由も述べずに避けていたのだ。カミューの心情は愉快とは言えなかっただろう。
「いや……自分でも愚かなことだと反省している。すまなかった、カミュー」
「答えになっていないな」
間髪入れずに責め立てられて諦めた。所詮、カミューの追及を逃れることなど不可能だ。
「……おまえが……部下たちにダンスの指導を…………」
「ああ、それが?」
「他の……、男たちと密着して……楽しそうに……………」
途切れがちの告白を遮ったのは、不機嫌きわまりない一言だ。
「────楽しそう?」
カミューは顔中から不審を浮かべていた。
「あれが楽しそうに見えたのか、おまえは?」
ふう、と呆れた溜め息を洩らしてカミューは天を仰いだ。
「あの訓練中にわたしが何度足を踏まれたと思う? 楽しそうに見えたなら余程どうかしているよ、マイクロトフ」
そうまで言われて、『楽しそうだったのは相手の男たちだ』とは言えなくなってしまう。
「……つまり何か? おまえのそれは嫉妬とか言うものか?」
図星されて俯くしかなかった彼を、カミューはしばし見詰めていた。『心が狭い』だの『馬鹿かおまえは』だのといった言葉を覚悟していると、不意に甘い声が囁いた。
「────踊るかい、マイクロトフ?」
「え……?」
上げた目に、優しく細められた瞳が映る。
「申し込んではいただけないのかな……?」
今度は悪戯っぽく笑い掛ける形良い口元。誘われるまま言葉もなく差し出した手に、しなやかな右手が重なる。握り締めてベンチから引き上げたマイクロトフは、抱き寄せたカミューがひっそりと呟くのに呆然とした。
「だがわたしとしては……どうせ踊るならベッドでの方が望ましいな」

 

 

どれほど多くの騎士が彼の傍に寄り添い、その美しい瞳に見入ろうとも────想いに濡れた瞳を見ることを許されるのはマイクロトフだけだ。
情熱をもって抱き返されるのも、吐息混じりに呼ばれるのも、心を分けた自分だけなのだ。忘れていた大切な事実を思い出し、胸にこみ上げる熱がある。

 

 

「…………ワルツはあまり得意ではないのだが」
「おまえの好みに任せよう」
そっぽを向いたまま短く言うと、カミューは小さく応えた。忍びやかな笑みに導かれるまま、ゆっくりと自室へ向けて歩き出す。
────今宵はマチルダが敵の支配から解放された誇り高き記念の日。カミューを理性の檻から解放するのも悪くない。

 

 


な……何か意味もなく長いんですけど(汗)
オリキャラ出てくると途端にこんな(苦笑)

そして青赤、ワルツ踊ってませんねー……。
ちとリクを外してますねー……。
踊る青赤は結構読んだ気がするので、
敢えて外してみたんですが。
その結果が赤の超くっさい台詞(笑)
かずさん、こんなもんでお許しを〜。

 

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