綺麗な貌が気に入らない。
剣士を志すにはあまりに細くたおやかな肢体が腹立たしい。
物事に動じず、涼しい顔で世を渡る器用さが不快だ。
そして何よりも───
向けられる親愛のこもった眼差しが耐え難かった。
* * *
「おまえ、本当にカミューに懐いているよなあ」
そう言って笑ったのは、騎士士官学校同期生の一人だ。その指摘に周囲の仲間が一斉に同調する。
「知っているか? 先輩方の噂になっているぞ、『従騎士マイクロトフは従騎士カミューの従者である』」
「それって結構不名誉じゃないか? 何しろこいつはロックアックスでも有名な騎士一族の一員だものなあ」
抜きん出た剣の冴えと、誇り高き名家の出身であることから他の従騎士とは一線を画す少年マイクロトフ。父も祖父も、このマチルダ騎士団に名を残した栄えある騎士だ。当然の如く、彼も幼少から騎士を目指して現在に至る。
家名に守られたこともあるだろうが、マイクロトフの資質は早くから騎士団の上層に認められ、将来を嘱望する噂は騎士士官学校入学当初から事欠かなかった。
普通ならば妬みのひとつも浴びそうな存在が、だが温かな好意によって包まれているのは、人柄によるものが大きかっただろう。
出自をひけらかすことも振り翳すこともなく、資質に甘んじもせず。
ただ黙々と日々剣の腕を磨く誠実な努力。
積極的に人に立ち交わらないのは、口下手で気の利いた冗談のひとつも言えないからだ、そう知れ渡ったのはいつからであったか。
気付けば周囲には人が集まっていた。仲間の誰もがマイクロトフの不器用さを好ましく思い、信頼出来る人物として愛し、期待を隠さなかった。
従騎士の多くが占める年齢──十四、五──と言えば、そろそろ世渡りというものを覚え始める年頃であるが、仲間の殆どは有望株のマイクロトフに取り入るというより、そうした意識を持つ者から彼を守ろうという決意であったらしい。
そんな中に、不意に割り込んできた少年が在った。
───カミュー。
彼の存在は最初から異質だった。
騎士団領出身者以外は入学さえ困難な士官学校に抜群の成績をもって飛び込んできたグラスランドの民。
柔らかく陽に煌めく薄茶の髪、甘い蜜色の瞳。少女のような美貌としなやかな細身、見掛けを裏切る卓越した剣技の冴え。
学問においては言うに及ばず、あっという間に周囲の少年を追い越して、終には入学以来首席を守り通してきたマイクロトフをも蹴落とした。
中途入学で他の少年より一歳年長であるカミューに向けられる視線は、ひどく複雑なものであった。
何一つ後ろ盾を持たぬ彼を嫉妬で貶めるのは誇り在る騎士の卵たちには至難なことだ。かといって、マイクロトフに対するように心置きなく近寄る者もいなかった。何故なら、少年たちはカミューが放つ他者を廃する微かな気配を敏感に感じていたからである。
彼は大概柔和な笑みを浮かべていた。
話し掛けられれば気さくに応じもした。
故郷の話を求めれば、面白可笑しく語ってもみせる。
けれど、それが上っ面の愛想であると、いつしか誰もが気付いた。カミューは決して他人に深入りするような付き合い方をしなかったし、流れるような甘い声には心からの親しみは欠片もなかったのだ。
仲間の従騎士から浮き上がった存在───美貌や才覚に惹かれる者は後を絶たなかったけれど、常にカミューは独りだった。淡々と日々を送る彼が、傍目には孤独に映る己をどう考えているのか、少なくとも態度から窺い知れることはなかった。
そんな状況が一変したのは三ヶ月ほど前である。
『マイクロトフ、剣の相手をしてくれないか?』
いつものようにマイクロトフの周囲に陣取っていた従騎士らは、唐突な声に仰天した。彼らが知る限り、カミューが自ら他人に言葉を投げたのは初めてだったからだ。
次いで、彼がマイクロトフを名指ししたことにも驚いた。あまりにも他人に関心がなさそうで、人の名など記憶していないのではないか、というのが通説となっていたからだ。
もっとも、士官学校でマイクロトフを知らぬ者はいないだろうし、カミューにしても常に首席争いをしている好敵手くらいは覚えていても不思議はないといった結論に達するのに時間は要らなかったけれど。
最後に少年たちは、マイクロトフが苦笑しながら立ち上がったのに呆然とした。いったいいつからそのように親しい仲になったのか、二人は軽口を叩き合いながら視界から消えていったのだ。
他に剣の腕を磨くに相応しい相手の居ない天才同士、互いを高め合うために交友を結んだのか───それが仲間たちの導き出した結論だったが、そのうちに首を傾げるものが増えてきた。
マイクロトフがカミューと過ごす時間は日増しに増え、その代わりとばかりに仲間たちに費やされる時間が激減した。数人で談笑していても、カミューの姿がちらつくと即座に丁寧に詫びながら輪を抜ける。
並んで部屋を出て行く二人を見送る少年たちは当然面白くない。
みんなで愛してきたマイクロトフを独占するカミューを妬んでいるのか、あるいは誰にも心を開かなかったカミューに親しく接するマイクロトフを羨んでいるのか。それは難しい疑問であったが、ともあれカミューが仲間うちの均衡を崩したのは事実であり、寂しさは否めない。
そこで聞こえてきた噂をネタに、恨み言の一つでも───そうして始まった会話だったのである。
「実際のところ、どうなんだ? あのお高そうなカミューと、どんな話をしているんだ」
一人が乗り出すと、マイクロトフは困惑して首を捻った。
「どんな、って……別に……」
「まさか、騎士の理念だの歴史や経済の話に終始している、なんて言うなよ」
「レディの話なんて出るのか?」
立て続けに責められて苦笑した。
「どちらかというと、その『まさか』に近いかもしれない。おれはマチルダから出たことがないし、他国の価値観というものはとても新鮮でためになる」
「かーっ、本当かよ?」
一同はどっと笑み崩れた。輪から外れても変わらないマイクロトフの本質が嬉しく、同時に、あの異質なる少年と、くそ真面目な従騎士の交友が想像されたのか、笑いを堪えられないようだった。
「……それにしても、『従者』か。そんな噂が流れているのか」
精悍な顔が初めて曇った。
従者というのは正騎士に随従して細々とした雑事をこなす騎士団で最下位の序列である。同じ従騎士の、しかも優れてはいるけれど中途入学者であるカミューの下に見なされているとは、流石に穏やかならぬ心境だろうと仲間たちは推察したようだ。
「あ、うん……まあな」
言い出した少年が言葉を濁す。代わりに仲間が口を開いた。
「別に侮蔑って訳じゃないんだろうけどな。ただ……、おまえがカミューに纏わりついている、そう先輩方には見えるんだろう」
「悔しいのかもな、カミューを狙っていた騎士も多いって聞くし」
男ばかりの騎士団において、端正な容貌のカミューは垂涎の的である───それは公然の秘密だ。
特に、彼と直に接する機会の少ない正騎士に、そうした願望は強いらしい。微笑むばかりで実は相手を冷たく往なすだけといったカミューの本当の姿を知らないからだろう。後進の指導といった名目で士官学校を訪れる正騎士たちにとって、カミューは一種の潤いであるようだった。
そうした連中がマイクロトフの存在に気付かぬ筈もない。羨望と厭味から流した噂だろうと結論づけた少年に、周囲はすぐに同意した。
「ま、いいじゃないか。別におまえの何が変わるでもなし、言いたい奴には言わせておけよ」
賢しげに一人が締め括ったとき、柔らかな声が呼んだ。
「待たせたかい、マイクロトフ?」
来月に迫った騎士試験の手続きのため、士官学校長室に出頭していたカミューだ。一同が思わず息を飲むほど艶やかな笑顔で、彼は真っ直ぐにマイクロトフを見詰めていた。
───マイクロトフだけを。
「いや、そうでもない。それじゃ、また」
マイクロトフは短くカミューと仲間たちに声を掛けながら立ち上がった。そのまま古くからの馴染みのように寄り添って去っていく。
背後で苦笑する友たちの気配が感じられるようだった。あながち噂が的外れでもない、そんな感想を抱いているに違いない。明日あたり、今度はその点で揶揄されそうだ。
それが、たまらなく憂鬱だった。
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