《青春の一冊》
思想の科学研究会編『共同研究 転向』(全三巻)平凡社
 
塩川 伸明
 
 「大学生の頃に読んだ本」という企画趣旨からややずれるかもしれないが、この本を読んだのは高校生時代のことである。高校生に理解できるはずのない「大人向け」の本を背伸びをして読んだので、中身の理解もおぼつかなかったし、その後に読み返していないため、現時点での記憶もおぼろげになっているが、それでも意識の核のようなところに何かがずっと残り続けており、私にとっての「青春の一冊」という意味をもっている。
 本書の主題を簡単に紹介すること自体はそれほど難しくないが、それだけでは誤解を招きやすく、「何だってそんな本に影響を受けたの?」という素朴な不審の念を引き起こす可能性が高い。いまから見れば古くさい主題を取り上げたものであり、議論の仕方は当時としては新しかったにしても、そのような問題に取り組むこと自体が今ではピンとこないだろうからだ。
 詳しく説明する紙幅がないので、とりあえず、常識的な意味での紹介に「それだけじゃないんだ」という解説を最低限付け加える形で書いてみたい。本書の主題である「転向」とは、戦前日本の共産主義者たちが国家権力の弾圧によってその信条を放棄し、体制に協力するようになったことを指す。こう書くと、「戦前」「共産主義者」「国家権力の弾圧」という一連の言葉が、いかにも現在とは縁遠いもののようにひびく。しかし、これを「ものの考え方の変化」と一般化し、その原因には内発・外発とりまぜた種々のものがあるというように拡大して考えるならば、今でも意味をもつ主題となるだろう。
 本書の著者たちの姿勢は、「弾圧によって信念を放棄したのは卑劣な屈服だ」とか、「もともといだいていた信条が間違っていたのだから、それを放棄するのは当然だ」といった評価を急ぐのではなく、当事者たちがどのような内面的なドラマを演じていたのかを掘り下げようというものである。多くの場合、「転向」の最初の段階では、それまでの自己の思想の弱点に対する真剣な反省や葛藤があったのだが、やがて「転向」を過剰に正当化するために極端なところに走ったり、緊張感を欠いた大勢追随に至ったという経過が描かれている。現代においても、思想の大規模な変化は次々と起きているが、個々の局面には真剣な格闘や種々の葛藤があるにしても、ややもすれば安易な流行追随や、過去の思想の単純な忘却が大勢を占めていることを思えば、本書の「転向」分析には今でも有意味なものがあるのではないかと思えてくる。
 過去の人々を遠くから眺めると(私が本書を読んだ時点で、その対象は既にかなり古い過去となっていた)、表面的な結果しか見ることができない。しかし、一歩掘り下げるなら、そこには驚くほど生々しいドラマを垣間見ることができる。そういうことを教えてくれた本である。
 
『東京大学新聞』二〇〇八年五月六日号
 
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