《書評》石井規衛『文明としてのソ連――初期現代の終焉』
性格の定めがたい、謎めいた本である。
本書が、従来の通念に真っ向から挑戦して新しい歴史像を切り拓こうという意欲に貫かれた、大胆きわまりない野心作であることは、一読して明らかである。それでいながら、専門外の一般読者を念頭においた啓蒙的・概説的著作らしき体裁をもまとっているために、どこまでが常識的解説で、どこからが著者独自の仮説なのかがはっきりしない(実際には、大部分が後者からなるととった方がよいだろう)という点に、性格の定めがたさの一因がある。しかし、本書の評価に苦しむ理由はそれだけではない。
一
本書の評価を難しくしている一つの理由としては、ロシア・ソ連史の全体像の書き換えという野心的な課題に挑んだためという点が挙げられる。しかし、これもまた、理由の全部を尽くすものではない。
ロシア・ソ連史の巨視的な把握というだけであるならば、これまでにも種々の試みがあった。本書で直接に言及されているカー、溪内謙、和田春樹らの他にも様々な議論があった。我田引水になるが、評者自身も、それらの議論を総括しつつ、スターリン体制成立の諸要因を総合的・多重的に把握しようとする試論を提示し、それに基づいてロシア・ソ連史の長期的流れについても「国家」「社会」「イデオロギー」などの複合的変化として描き出そうと努めたことがある(『終焉の中のソ連史』一九九三年)。本書の表題とよく似た表現として、「異文化としてのソ連」「文化としての『現存した社会主義』」といった視角も、何度か試論的に提示した(『ソ連とは何だったか』一九九四年、およびその後のいくつかの小論)。しかし、本書で行なわれている作業は、そうした試みとは異質のものであり、ふれあうところがほとんどない。評者の所論への真正面からの批判ならば、まだしも応答しやすいのだが、そうではなくて、一見似た課題に取り組みながら、実はおよそ異質な作業を展開しているのである。
本書の狙いがどこにあるのかをにわかに断定するのは至難だが、とりあえず最初の手がかりとして、全体の構成をみるならば、次の通りである。
第一章 座標軸の設定
第二章 戦争に抱かれた革命
第三章 「意図の論理」を超えて
第四章 戦勝の弁証法
これらの諸章の中では、視座を示した第一章が最も分かりやすい。ここで打ち出されている「座標軸」の背後にある意図を評者なりに推測するなら、それは、個々の史実の確定ではなく、むしろ種々の歴史過程をどのように解釈すべきか、その意味をどのようなものとしてとらえるかという、一種歴史哲学的な構想の提示にあるように思われる。そしてそのような構想を実現するための著者独自の工夫として、一つには、世界史全体の中への位置づけという点に大きな注意が払われている。本書がソ連史から離れた世界史的考察――一九世紀イギリス的世界とそれへの挑戦とか、第二次大戦後の冷戦とアメリカの世界政策についての考察など――を含むのはそのためであろう。もう一つの工夫は、そうした「パクス・ブリタニカ文明」や戦後の「パクス・アメリカーナ文明」に対抗せざるを得ない位置におかれたロシア社会の個性を、一八世紀にさかのぼる長期的な歴史的視座から論じるということである。まさにこのような世界史的考察および長期的考察が集中的に行なわれているのが第一章ということになる。この部分は本書全体の中で最も生彩を放っており、評者も多くを教えられた。
それに続く第二‐三章が本書の本論部分をなすわけだが、第二章では一九一七‐二一年という、比較的短い期間が集中的に論じられ、第三章では一九二〇‐三〇年代という、かなり長い期間が扱われている。このように、時期によって論述の細かさが非常に異なっている(それぞれの章の中でも、概して早い時期ほど細かく、後の時期ほど粗くなる)点も、本書の評価を難しくしている。
第四章の1になると、論述は再びソ連を離れ、第二次大戦後の世界――とりわけその中軸をなしたアメリカ――に関する著者の見取り図が示されており、賛否は別として刺激的な個所といえる。その後の第四章2以下は、半世紀に及ぶ戦後ソ連史の駆け足の概観であり、著者の独自な史観も十分には発揮されておらず、常識的な叙述に若干の思いつきを継ぎ足しただけという印象を受ける。
このような精粗を含む上に、その主たる狙いが個々の史実確定よりもその大胆な解釈にあるという事情から、各章ごとの内容を追った紹介や論評はあまり適切とも思われない。以下では、個別の内容よりもむしろ本書全体の叙述を貫く方法や視角といった点に重点をおきながら、いくつかの感想を述べてみたい。
二
既に述べたように、単に起きたことを確定するにとどまらず、「なぜ」と問い、「これこれだから」と説明するのが著者の狙いのようである。このような課題設定に大きなメリットがあることは認めなくてはならない。史実の「意味」解読は、人々の知的関心を十二分にそそる魅力的な課題である(もっとも、その魅力にとりつかれ過ぎると、その前提となるべき史実確定があやふやになりがちだという陥穽もあるのだが)。しかも、それを当事者が直接的・明示的に提示している「意味」とは異なった次元で――いわば「集合的無意識」ともいうべき領域に踏み込んで――読み解こうというのだから、課題はスリリングでさえある。
例えば、一九世紀ロシアの政治家の「自由主義」的改革、革命後ソ連の政治家の「社会主義」建設、スターリン後ソ連の「非スターリン化」の試みなどを、「自由化」とか「社会主義化」とかいった概念によりかかって――あたかもそうした目標が所与のものであるかのように――論じるといった発想を拒否し、むしろそれらを一つのレトリックとしてとらえ、その象徴としての意味を解読しようという試みが著者の作業の大部分をなしている。その意味で、本書はレトリック論の書物、あるいは演劇の比喩が頻出しているのにならえば、歴史過程を演劇に見立てた一個の演劇批評ともいうことができよう。
問題は、その作業が具体的にどのようにして遂行されるのかという点にある。本書には、種々のキータームが頻出する。強調のためにその都度カッコがつけられ、しかも同じ言葉が何度となく繰り返され、読者の脳裏に強烈な印象を残すように工夫されている。いくつか列挙するなら、「パクス・ブリタニカ文明」「ドイツ的なるもの」「強制団体」「初期現代」「硬い大衆政治状況」「古参党員集団の寡頭支配」「重化学工業時代の社会工学的ユートピア」「近・現代社会」「産業社会の前衛」「党を核とする文明」「戦争に抱かれた革命」等々である。当惑するのは、これらの言葉がほとんどすべて、何の定義も説明も与えられないままに、ただ著者の頭の中では自明のものらしく使われている点である。読者には、それを丸ごと呑み込むか、それともただ途方に暮れるかしか、道は残されていない。同じ言葉の何回もの繰り返しは、いつのまにか説明抜きに折伏されてしまうという心理的効果を読者に及ぼすかもしれないが、それはいわば言葉の呪術的効果に依拠したもの――一種の「マインド・コントロール」!――という感じさえする。
試みに、代表的なキータームをいくつかとりあげてみよう。先ず、「パクス・ブリタニカ」であるが、これは通常、第一義的には国際的な秩序のあり方を指す言葉のはずである。ところが、本書ではそれがある文明の型を指すかのように使われている。その内容は、通常「西欧近代」の語で指されているものとほぼ同じであるかのようであり、その限りでは了解に難くはない。ただ、それなら、なぜわざわざ「パクス・ブリタニカ文明」という言葉に固執するのかという疑問が残る。そして、それと対をなすかのように使われている「ドイツ的なるもの」になると一層曖昧である。このような言葉をみて、ドイツ史研究者はどのように反応するだろうか。
「硬い大衆政治状況」になると、不可解さは更に深まる。第四章では、これと対をなすかのように、「軟らかい(あるいは「弛緩した」)大衆政治状況」という言葉も登場するが、「大衆政治状況」が「硬い」とか「軟らかい」とは、具体的には一体どういうことを指すのだろうか。評者は、いくら読んでも、その意味を理解することができなかった。ところが、この言葉はまさしく本書のキーターム中のキータームとして使われており、これが分からない以上、本書の中心部分は全体として了解不能となるのである。
「硬い」「軟らかい」といった修飾語のつかない単なる「大衆政治状況」ならば、著者独自の用語法ではなく、広く一般に使われている言葉だから、この方はまだしも分かりやすくみえる。しかし、「『レーニン記念入党』キャンペーンの結果、ロシアに本格的な『大衆政治状況』が……出現した」というような記述(一九一ページ、傍点評者)を読むと、著者はこの言葉をどのような意味で用いているのかが疑問になる(二〇四ページには「ダイナミックな『大衆政治状況』」という表現も出てくる)。一七年の革命期に(その前夜の大戦期を背景に)「大衆政治状況」が早熟的・部分的に生じたこと、そしてそれが戦争終結と兵士帰村により萎縮したことまでは了解できる。しかし、それが二〇年代半ばの時点で、再び「大衆政治状況」の出現――しかも、「本格的」な!――へと至ったなどということが、どうしていえるのだろうか。
「重化学工業時代の社会工学的ユートピア」は、一応理解できる言葉ではある。しかし、これは二〇世紀中葉の世界全体を蔽った時代精神ともいうべきものではないだろうか。だとしたら、殊更に「文明としてのソ連」を特徴づける言葉としての意味があるだろうか。この言葉に普遍的な性格があればあるほど、他ならぬソ連の個性というものはむしろ薄れてしまうような気がしてならない。なお、小さなことだが、当時のソ連では化学工業はごく未発展な段階にあり、従って「重化学工業」ではなく「重工業」時代という方が当時の状況に即している。このような小さなことを敢えて指摘するのは、著者の言葉づかいがややもすれば実質的内容から離れたスローガン的乱発――言葉の一人歩き――と化す傾向があり、その一例という気がするからである。
「初期現代」はどうだろうか。一般に、「初期」という言葉が意味をもつのは、「中期」「後期」「成熟期」などとの対比においてのはずである。ところが、著者の叙述に従うならば、現在はようやく「初期現代」が終わったばかりであり、「中期」や「成熟期」はまだ訪れていないかのようである。とすれば、まだ存在しないものとの対比で「初期」を語ることがどうしてできるのだろうか(三七八ページには、「ポスト『初期現代』」という、これまた訳の分からない言葉が出てくる)。
他方では、「近・現代社会」という言葉も頻出する。「近代」と「現代」を区別する用語法は――その区別の具体的内容は別として――珍しいものではないが、本書のようにいつも「近・現代」という風に両者を一つながりにした表現が出てくると、どうにも戸惑ってしまう。どこまでが「近代」で、どこからが「現代」で、両者を併せて「近・現代」と呼ぶという区別と関連が明らかにされているのではなく、ある時期以降を全部「近・現代」にほうりこんでいるかのようである。それでいて、先に触れたように、初期ならぬ本格的な「現代」はまだ到来していないらしいのだから、疑問は深まるばかりである。
「古参党員集団の寡頭支配」についても触れておこう。およそあらゆる支配というものは、「寡頭的」なものではないだろうか(完全な個人独裁も、完全な大衆民主主義も、観念の世界以外には存在しないだろう)。「多数者支配」という擬制――例えば、「圧倒的多数者としてのプロレタリアートの独裁」という如き――が擬制であることを指摘する限りでは、この言葉は一定の意味をもつ。しかし、ある特定の支配の形態を指し示すには、あまりにも一般的な言葉に過ぎるように思われる。おそらくそのことを意識して、著者は、「古参党員集団」という限定をつけている。しかし、これも内容が十分確定されてはいない(この点は後で立ち戻る)。
こういうわけで、本書のキータームの多くは、そこに独自な意味がこめられているらしいにもかかわらず、その意味内容を確定することが困難なものばかりである。本書の分かりにくさの最大の理由はここにあろう。
三
このように理解しづらい点が多々あるとはいうものの、本書が重要な問題を各所で提出していることは確かである。
本書を読んで印象づけられる一つの大きな特徴は、歴史の「目的論」的な解釈――歴史を超越的な「目的」の実現過程としてみる見地――の拒否ということである。ここで「目的論」的解釈として念頭におかれているのは、一つにはいうまでもなく、「歴史は社会主義へ向かって歩むものだ」という「法則」論的発想であるが、著者の批判の標的はそれだけにはとどまらないように思われる。もっとも、実は、著者自身が明示的に批判対象としているのは、やはりこうした「古典的」な「法則」論なのであるが、これはいわば死んだ犬を更に鞭打つようなもので、あまり面白くない。何個所かで、そうした「古典的」歴史観批判が行なわれている――現在の「資本主義化」を「歴史の流れ」に逆らう現象として評価する見解への批判など――のをみると、風車に挑みかかるドンキホーテを連想させられる。
しかし、それほど明示的にではないが、著者が批判対象として意識しているように思われる目的論的歴史観がもう一つ存在する。それはいわば「自由主義的目的論」ともいうべきものである。欧米では古くより主流的立場を占め、ペレストロイカからソ連解体後にかけてのロシアでもにわかに強まったこの立場は、歴史を「社会主義への歩み」ではなく「自由主義への歩み」ととらえる。一九世紀半ばの大改革や二〇世紀初頭のストルィピン改革はその典型的な試みとして肯定的に評価され、ロシア革命以後の社会主義時代はそうした「本来的な」歩みからの逸脱とされ、ソ連解体によってロシアはようやく逸脱から本道に戻ったとされる、そういう歴史観である。マルクス主義的歴史観の没落に代わってこれが今日大流行していることはいうまでもないが、著者はそうした見方に対しても冷ややかであり、むしろ自由主義化の志向がしばしば現実から遊離した観念だったことを暴いている。こうした二種の目的論は、しばしば歴史解釈に暗黙に忍び込みがちであるだけに、その批判の作業は大きな意味をもつ。
もっとも、このような目的論的解釈批判が、完全に一貫しているかといえば、疑問の余地がないわけではない。というのも、著者はしばしば、歴史上の行為の「意味」を説明するに当たって、当事者の表向きの主張とは別の、ある種の「目的」や「意図」を設定しているのである。例えば、一〇月革命直後のドイツとの休戦について、従来の解釈を批判しながら自説を打ちだした個所に、「……およぼすべく意図されていためくるめくばかりに強烈な、一つの演劇的な行為」という表現がある(八二ページ、傍点評者)。これ以外にも、政策の背後にあると想定された「意図」「目的」に言及した個所は少なくない。これは政策の「意味」を独自に解釈しようとする著者の姿勢を物語っているのだが、目的論的歴史観をあれほど批判しておきながら、結局のところ、別種の目的論を提起しているのではないかという疑問を拭いがたい。
関係するもう一つの疑問は、「意図の論理」と「事物の論理」の対比に関する著者の主張にかかわる。スターリンの発言を手がかりとした「意図の論理」と「事物の論理」の対比をめぐる議論(第三章の1)は、それ自体としては非常に啓発的で、重要な指摘である。ただ、目的論的解釈を拒否するという著者の歴史観に従えば、これは特定の時期に特徴的な事柄ではなく、もっと一般的な傾向ともいえるはずではなかろうか。ところが、本書では、「意図の論理」に「事物の論理」がまさっていくのは、特定の歴史状況――一九二〇年代半ば以降のスターリン台頭期――に特徴的な現象であるかのようにも説かれており、その関係があまりはっきりしない。例えば一九一七年なり二〇年なりにおいて、レーニンやトロツキーに代表される「意図の論理」を超えた「事物の論理」がやはりありえたのかどうかという点について、著者はどう考えているのだろうか。
さて、本書のもう一つの大きな特徴は、歴史を動かす要因として、少数のトップリーダーでも一般大衆でもなく、いわばその中間レヴェルの存在としての共産党活動家集団に注目し、彼らの動向およびそれを規定した「集合心性」――更にはそれに表現されている「時代精神」――の変化をたどろうとしている点である。このような着眼は、もちろん正当なものであり、興味深いものである。ただ問題なのは、それにどのようにして迫るかということである。本書では、「古参党員集団」や「レーニン記念入党」期に大量に入党した党員活動家層などの役割が重視されているにもかかわらず、彼らについての統計分析や、社会学的データ分析、あるいは中下級活動家の個人史ないし集団伝記的記述などはほとんどなされていない。特定の中堅活動家に関する事例研究などもない。そうした作業があれば、「集合心性」の提示も説得的になっただろうが、そうなってはいないのである。
その代わりに本書で大きなスペースを占めているのは、指導者の言説や党の公式文書に対する独自の新しい解釈である。確かに、その解読法は独創的であり、従来の研究者がややもすればイデオロギー論争に巻き込まれがちだったのとは一線を画している。レトリック論・シンボル論が著者の本領であるようにみえる。この拙文の冒頭で、本書を一個のレトリック論の書物と評した所以である。その美点は認めた上で、やはり、それは一つの解釈に過ぎず、解釈の恣意性という陥穽に対して無防備だといわざるをえない。大まかな印象をいうと、著者が最も詳しく自ら研究している一九一七年から二〇年代初頭までの時期に関する解釈が迫力に満ちているのに対して、それ以降の時期については、首を傾げたくなるような個所が次第に増大してくるように思われる。
確かに、著者には「時代精神」への独自の嗅覚があり、それは本書にある種の迫力を与えている。そうした嗅覚の一つの源泉としては、ソ連史を離れた広い社会思想史的な探索があるようにみえる。巻末の「文献について」によれば、著者は本書準備中、戦前期の『中央公論』『改造』『思想』や、三木清らの著作などを読んだという。第一章でも、有名な座談会「近代の超克」や、高山岩男、大川周明、ハイデガーらの名前が言及されている。評者は、一九二〇‐三〇年代の世界――当時の「時代精神」――をとらえる上で、こうした一見迂遠な道がそれなりに有効だということを否定するものではない。ただ、それらはあくまでも、日本や西欧のインテリの心性を示す資料であり、現実の中・北部ユーラシアの地に生きていたソ連共産党の中下級活動家がどのような感覚をもっていたかを、そこから直ちに推論するわけにはいかないだろう。本書の題名たる「文明としてのソ連」は、時として、西欧や日本の多くのインテリをとらえたある観念――一種の共同幻想――を指しているようにもとれ、それはそれで興味深いテーマではあるが、中・北部ユーラシアの地に現実に存在した一つの社会としてのソ連にかかわるものではないのではないかとの印象さえ残る。実際、本書からは、ある特異な観念に憑かれた集団の社会心理は浮かび上がってきても、ロシア人の――ましていわんや、中央アジアやザカフカースの人々の――土の臭いはほとんどしてこない。
著者は鋭い感性と直観をもって、あるレトリックの背後にあると想定された心性に迫るという方法をしばしばとる。それは芸術的といいたい種類のものである。話がそれるようだが、本書には『ソヴェトの政治ポスター』という本からとられた図版(当時のポスターの複製)が豊富に掲載されており、当時の感覚をうかがう上で極めて有益である。こうした芸術的直観力は、評者には欠如しているものだけに、うらやましく思った。本書は、実証的歴史研究の書というよりもむしろ一種の芸術作品ではないかという印象がある。本書で演劇の比喩が頻出するのも、おそらくそれと関係するのだろう。
四
通説を打破した新見解を打ちだそうという本書の狙いと裏表の関係にあることだが、本書には、表現が大胆でスウィーピングに過ぎる個所――とりわけ従来の研究への批判が一面的になっている個所――が少なくない。独創性を主張しようとする研究者にありがちな誇張といえばそれまでであり、目くじらを立てるまでもないのかもしれない。しかし、三〇歳代の若手研究者ならいざしらず、既に中堅として一家をなしている著者にしては、気負いすぎており、かえって説得力を損ねているように思われてならない。
いくつかの例を挙げよう。
八七ページに、「『党』と『国家』の癒着についての議論も、その『国家』がソヴィエト機構であることを思いおこすならば、そもそも成立しえないのである」という個所がある。ソヴェト権力が本来そういうものだったという指摘自体には同感である。しかし、まさしくそのような認識を表現するための一つの方法として、「党と国家の癒着」という言い方はそれなりに可能であり、成立不能とは言い切れない。ついでながら、著者は、「国家」の語に括弧をつけないと西欧的な「通常の」国家と同一視されるおそれがあると考えているようだが、どのような歴史的概念もそれぞれにユニークなものであり、「通常の」ものとか、それと完全に同一のものなどは、そもそもありえない。その意味では、およそありとあらゆる言葉に括弧をつけねばならないということになるはずである。もしそこまで徹底しないとするなら、便宜上、括弧なしで表記したからといって、あながち不適切ということにはならないはずである。
九四‐九五ページに、「『十月革命』が、なにか『良きもの』や理念的なものを実現する営みであり、その『良き秩序』が内戦によって『歪められ』た、と評価する見方」への批判がある。この批判は、それ自体としては正当である。ただ、あたかも従来の研究の大半がこのような見方に立っていたかにほのめかしたり、内戦期の経験を重視すると必ずこのような見方に陥ってしまうかのような書き方はいただけない。この点をめぐっては膨大な議論があり、それを整理した私見も既に別の個所で提示してある。
一四七ページでは、ネップや戦時共産主義を「導入した」とか「採用した」という表現には、政策体系の青写真があらかじめあった、また政策体系を自由に採否できるような強力な政党や国家が存在していたかの如き印象がつきまとう、と指摘されている。評者も、青写真がなかったこと、また強力な政党や国家など未形成だったという指摘には賛成である。だが、だからといって、「ネップを導入した」とか「戦時共産主義を採用した」という表現をとっていけないとは考えない。著者は、ある言い方をすると必ずある(誤った)イメージに導くと考え、常識的な表現・用語法に対して極度に警戒的である。通念を批判するのはよい。しかし、それを言葉の問題に置き換えるのはどうか。言葉づかいがいけないから解釈も間違うというのは、一種の言霊信仰ではないか。本書で奇をてらった新語が乱発されるのも、そうした言霊信仰と無縁でないように思われてならない。
「レーニン記念入党」キャンペーンは、「体制の側へ労働者を統合する試みではなく、むしろ反対に、体制の側が労働者に『すりよった』」ものだと、著者はいう(一九〇ページ)。体制が労働者に「すりよった」という解釈が当たっているとして、どうしてそれが、体制に労働者を統合する試みではなく、「むしろ反対」ということになるのだろうか。体制が労働者にすりよったのは、まさしくそのことを通して労働者を統合するためではないか。
二四三ページの最初の数行では、「たんなる」という言葉が何度も繰り返され、あたかも「国家」とか「社会」という言葉を使うと必ず「単純な」理解に陥るといわんばかりである。とりあげる対象が「単純な」ものでないのは当然すぎるほど当然だが、それは用語法の問題ではない。続く段落には、「ソ連が十九世紀西欧に典型的な『国家』と『社会』の両分法がなじまない独特な社会のあり方である」ともある。「国家」「社会」という用語を使うと直ちにソ連と一九世紀西欧の同一視に陥り、歴史的理解から遠ざかるといわんばかりである。実をいうと、評者自身のソ連史総括の中にこの用語を使ったものがあり(「ソヴェト史における党・国家・社会」『終焉の中のソ連史』第T章)、この個所はそれへの暗黙の批判と受け取れるものである。しかし、私は、その際、「近代西欧市民社会を土壌として成立した『国家』および『社会』という二分法的概念がソ連にも適用されうるものであるか否か……という点自体、論争の対象となりうるものであるが、そうした点については、西欧社会との安易な類推を戒めつつ、実質的内容に即した考察を試みる」と明記している。私に限らず、この用語を使う人の多くは、別にソ連社会を近代西欧社会の単純なアナロジーでとらえきれると考えているわけではない。ある言葉を使うこと自体が直ちに間違った歴史的理解に導くという発想は、またしても言霊信仰のもう一つのあらわれである。
「『社会主義システム』とは、ソ連や戦後のユーゴスラヴィアや一九四九年の中国といった、自立的に生起した『社会主義』革命の実例から帰納された抽象概念である。それは、歴史性をいっさいおびず、したがって歴史研究にとっては、分析概念や操作概念以上の意義をもっていない」という個所がある(三六二ページ)。これは幾重にもねじれた、奇妙きわまりない言明である。
先ず、右の引用文の前半部は正しい(もっとも、帰納の素材を「自立的に生起した」例に限るのは理解しがたいが、その点は措く)。しかし、どうして、だから「歴史性をいっさいおびず」ということになるのだろうか。歴史的事例から帰納された概念は、まさに、そのようなものとしての歴史性を帯びているのではないか。そもそも、著者は帰納による概念形成という作業を一切認めないのだろうか。それ抜きに一体どうして歴史研究が成り立つのだろうか。
続く個所で、「分析概念や操作概念以上の意義」云々というのは更に理解しがたい。もし「分析概念や操作概念」として意義をもっているならば、それで十分ではないだろうか。それ「以上の意義」とは、いったい何を念頭においているのだろうか。ひょっとしたら、著者は、「分析」を超えた神秘的な実体でも想定しているのだろうか。本書のキータームが定義抜きの御託宣になっていることは前述したが、そのような御託宣による「マインド・コントロール」に比べれば、帰納概念を「分析概念や操作概念」として使う方が、はるかに健全ではないだろうか。
そればかりではない。先の引用文は、「社会主義的近代化論」なる発想を批判した文章に挟み込まれていて、あたかも、「社会主義的近代化論」と「社会主義システム」という用語法とが一体のものであるかのように書かれている。これまた、繰り返し述べるように、ある用語法をとることと特定の歴史観とを一対一的に対応させる発想の産物である。しかも、引用個所のすぐ後には「本質的に演繹的な構想」という言葉が出てくる。「帰納された」という言葉のすぐ後に、逆接の接続詞もなしに「本質的に演繹的」という言葉が出てくるというのは、一体どういうつもりなのだろうか。
その他、個々の点で不正確な叙述も時折り散見される。ロシア革命当時の人口を「二億」としたり(九九ページ)、ソ連邦がまだ結成されてもいない時期について、連邦制が形骸化したという時代錯誤を犯したり(一一八ページ――なお、同じ個所にある第八回党協議会採択の党規約への言及も不正確である)、一九二七年の失業者数について「数百万」という突拍子もない数字を挙げたり(二一五ページ)、その他である。しかし、これはまあ御愛敬というべきものかもしれない。
五
全体として振り返るとき、本書は、著者が渾身の力で打った「ホームラン性の大ファウル」だというのが率直な印象である。もちろん、野球ファンの中には、「内野安打でちまちまと打率を稼ぐようなバッターよりも、あわや場外ホームランかと思わせるような大ファウルを打つ豪快なバッターの方が好きだ」という人もいることだろう。著者が意識してそのような選択を行なったのであれば、他人がそれをとがめるのは余計なお世話というものだろう。人に強い刺激を与える野心的な作品であることだけはまちがいないのである。
(『史学雑誌』第一〇三編第三号、一九九六年三月)
[雑誌掲載後の追記] 本稿の三で「目的論」という言葉を使ったが、この表現はややミスリーディングだったかもしれない。著者自身はこの用語を使っておらず、「建設史観」「実現史観」「歴史の大いなる意志」といった表現を使っている(七ページ)からである。これらが分かりづらい風変わりな用語であるために、私なりにその意図を忖度して、「目的論」とした。
*石井規衛『文明としてのソ連――初期現代の終焉』山川出版社、一九九五年