マイケル・マイヤー『1989 世界を変えた年』(作品社、二〇一〇年)
 
 
 一九八九年の東欧激動を扱った著作は枚挙にいとまがない。事件の直後にはルポルタージュ風の作品が多数出たし、その後も、多数の関連著作が刊行され続けている。私はある時期までそれらを熱心に追い続けていたが、次第に食傷気味になってきた。ほぼ同じような対象を扱った同種の著作を何冊も読んでいくと、そこに新鮮さを見出すのはだんだん困難になり、「またか」という感想をいだかされることが多くなる。これが本格的な学術研究書――その種のものはまだごく少数だが――なら、当時は掘り下げることのできなかった特定の論点の解明を期待することも可能になりつつあるが、一般読者向けの概説書にそれを要求するわけにいかないのは当然である。
 そういうわけで、本書の広告を見たときも、とりたてて食指が動くことはなかった。しかし、日頃敬愛する佐藤経明氏から、「これは面白いよ」という話を聞いて、やはり読んでみようという気を起こし、遅ればせに読んだところ、確かに類書とは異なる個性をもつ書物だということを確認することができた。
 本書がユニークな主張を打ち出していることは、「はじめに」を読むだけで明白である。ここで著者は、冷戦の終焉と社会主義圏の消滅を二〇年後の地点から振り返って、「それは危険な勝利だった」とし、「なぜならば、われわれは一方的に勝利を叫ぶだけで、なぜ重大な変化が起きたのかを考えてみようともしなかったからである」と書いている(九頁)。著者はアメリカのジャーナリスト――『ニューズウィーク』誌に勤め、一九八九年当時、東欧激動を現地取材した――だが、そうした人がこのような反省を記しているという事実に、先ずもって目を引かれる。
 いま引用した個所にすぐ続いて、著者は「われわれが勝利を盛り上げるために一方的に作り上げた”神話”が、世界を傷つけ、われわれ自身をも傷つけた」として、三つの「神話」を列挙している。
 第一は「東欧の大衆」についての神話で、「長年にわたって抑圧され、自由を奪われ、貧困にあえぎ、西側の例に触発された東欧の大衆が立ち上がり、共産主義政権の権力者たちを打倒した」というものである。第二は「歴史的な必然」という神話で、「共産主義そのものに内在する欠陥が体制の崩壊をもたらしたのであり、繁栄する西側に対抗することができなかったからだ」というものである。そして第三は「アメリカは抑圧的な体制から東欧を救った解放者だという神話」である(一〇‐一一頁)。これら三点は、日本でも広く信奉され、ほとんど「常識」化しているが、それをアメリカのジャーナリストが真っ向から批判しているということ自体が、注目に値する。
 もっとも、こう紹介しただけだと、やや一面的になるおそれがあるかもしれない。これら三点を全面的にひっくり返すなどというのは、およそ非常識な極論だという印象を与えかねないからである。実は、著者もそこまで極端なことを主張しているわけではない。よく読むと、強い否定の対象となっているのは第三の神話だけで、第一、第二はいずれも全面否定というよりは、むしろある種の補足というような性格をもっている。つまり、確かに東欧の大衆は大きな役割を果たしたが、それだけではあの大規模な変革は説明しきれず、大衆と区別される少数の政治エリートの独自な動きをも視野に入れなければ十全な説明にはならない、また「歴史的必然」というのはあまりにも巨視的な説明であり、ミクロな歴史過程を見る際には、多くの偶発的な出来事をも加味して考えないと全体像にはならない、ということである。このように言い直すなら、著者の主張はそれほど突飛なものではなく、むしろごく当然のことを改めて思い出させようとするものだということができるだろう。
 世の中には、よく考えると当然の話なのだが、しばしば忘れられがちな事項というものが、結構たくさんある。そうした事項の再確認という作業は、見ようによっては「分かりきったこと」「いわずもがな」とも評されうるが、実際問題として忘れられがちだという現実のなかでは、それなりに重要な役割を果たす。冷戦終焉・ソ連解体・社会主義圏の消滅については、特にその点が顕著である(1)。特にアメリカおよびその強い影響下にある日本のジャーナリスト・評論家の間では、いま列挙したような「神話」が強固な影響力をもっているから、そのような「常識」をリアルな現地観察経験に基づいて批判する著作の意義は大きい。
 やや「はじめに」の部分ばかりにこだわりすぎたが、本文では、丹念な現地取材に基づいて当時の東欧諸国の内情がヴィヴィッドに描かれている。中でも光っているのは、ハンガリーの政治家たちに関する詳しい描写である。当時の東欧諸国のうち、体制内改革が最も進んでいたのはハンガリーであり、何人かの政治家たちは秘かに漸次的な体制転換を準備しつつあったという事実は、非専門家はともあれ東欧専門家の間では、かねてから認識されていた。また、ハンガリーがオーストリアとの国境を開放したことが東ドイツからの大量脱出の引き金となり、遂にはベルリンの壁崩壊の原動力となったことも、その当時、かなり広く報道されていたから、それだけであれば新発見とは言えない。しかし、本書はそうした事実の一般的再確認にとどまらず、その過程をこれまでになく具体的かつ詳細に描きだし、当時の状況をドラマティックに再現している。著者の「神話」批判が説得力を持つのは、まさにこの過程のリアルな描写によって、少数の政治エリートが巧妙に振る舞い、偶発的要因にも助けられることがなかったなら、あの激動は――少なくとも、現に起きたあのような形では――ありえなかったということを示しているからである。
 政治における大衆の役割と政治エリートの役割、また歴史における必然性と偶発性の絡み合いは、いずれも複雑かつ微妙なものであり、単純な図式で割り切ることはできないが、とにかくこれらの要素の複合的な作用が現実の歴史を形づくるのであり、個々の事例に即して、その複合の具体的な様相を見定めることが重要になる。本書は専門研究書ではなく、ジャーナリストの観察に基づく書物だから、こうした問題について抽象的な考察が展開されているわけではない。見方によっては、ややエリートの役割および偶発性の要素の過大評価に傾斜しているのではないかという批判も出されるかもしれない。総合的な検討は今後の課題だが、とにかく本書は、これまでの類書で繰り返し描かれてきたのとは異なった側面に光を当てることで、新たな考察の素材を豊富に提出している。
 なお、本書の主眼は東欧諸国の動向描写におかれている――ハンガリーの他、ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ルーマニアなどについても詳しい――が、ハンガリーの改革派が重要な節目ごとにゴルバチョフの了解を取り付けていたことも、各所で指摘されている。本書におけるゴルバチョフの位置は主役ではなく、むしろどちらかといえば受身的な脇役といった描き方だが、それにしてもゴルバチョフがハンガリーや他の東欧諸国の動きにゴーサインを出すことがなければ、八九年の一連の事態がありえなかったことは明らかである。
 こうして東欧の一部の改革派政治家およびその動きを承認したゴルバチョフの役割が重要視されている反面、アメリカの政策はむしろ批判的に描かれている。冒頭で触れたように、本書の大きな主張は「アメリカの勝利」説への批判にある。そのことは、「アメリカを現代の十字軍になぞらえて掲げた勝利の旗印は、やがて新保守主義者(ネオ・コンサバティブ)たちの間の行動指針となった。ネオコンは、ブッシュ(父)政権の中にも少なくなかった」(一一頁)といった記述に示されている。ここには、ブッシュ・ジュニア政権および「ネオコン」による「現代の十字軍」がイラク政策に関し強い批判にさらされるようになった執筆時の現状が反映している(本書の原書は二〇〇九年刊行だが、基本部分は〇八年頃、つまりブッシュ・ジュニア政権末期に準備されたと思われる)。もちろん、著者は自国たるアメリカの何もかもを真っ黒に描き出そうとしているわけではなく、本書は「反米」鼓吹の書ではない。むしろ、アメリカ人としての強い自己意識があるからこそ、その外交政策が時として独善性に彩られ、大きな失敗を犯しかねないことへの懸念を表出しているのだと思われる。ある意味では、本書のような書物が著わされるということ自体が、アメリカ社会の健全性を物語ると言えるかもしれない。
 一九八九年当時と本書の基本部分執筆時(二〇〇八年頃)とをつなぐのは、父と子の二人のブッシュがそれぞれの時期に米大統領だったという事実だが、この点に関連して、次のような指摘が目を引く。一九八八年末まで米大統領だったレーガンと八九年初頭に大統領に就任したブッシュ(父)はともに共和党員だが、大統領の交代に伴い、外交政策の再検討があった。かつてソ連を「悪の帝国」と決めつけながら、一転してそれを取り消してゴルバチョフとの協調に突き進んだレーガンに対して、ブッシュ(父)政権最初期には、懐疑論も少なくなかった。「レーガンはゴルバチョフを信用しすぎた」として、より強硬な対決姿勢を説くタカ派的な人たち――チェイニー国防長官、スコークロフト国家安全保障問題担当補佐官、その部下のコンドリーザ・ライス(後にブッシュ・ジュニア政権で国務長官となる)ら――がある程度の影響力をもち、対ソ関係改善=冷戦終焉にブレーキをかけたのである。ようやく数ヶ月経って、チェイニーを中心とする頑固な冷戦論者たちは対ソ外交の脇役に回された。これはハンガリーがオーストリア国境の鉄条網を撤去し、まさに大きな転換の契機をつくろうとしている時期のことだった(一一九‐一二〇、一四〇‐一四一、一七一頁(2)
 やや余談めくが、ここで言及されているチェイニーは、二一世紀初頭にはブッシュ・ジュニア政権下で副大統領となり、一貫した対ロ強硬論を説いて、ロシア側から「新しい冷戦」の主唱者と見なされるに至った(3)。一九八九年と二一世紀初頭の間には大きな国際情勢の変化があるが、チェイニーの対ソ/対ロ不信と強硬外交姿勢は変わらなかったように見える(いわゆる「ネオコン」は、転向した元左翼知識人と、一貫した強硬保守派とからなるが、チェイニーは後者の代表だという)。一九八九年には彼が対ソ外交からはずされたことが同年末のマルタ会談における「冷戦終焉」宣言につながったのだが、二一世紀初頭には彼が対ロ外交で大きな役割を演じたことが「新しい冷戦」的雰囲気を高めたことになる。
 もっとも、著者は全てを政治家個人の個性に帰するような単純な議論をしているわけではない。ブッシュ(父)の時代にもブッシュ・ジュニアの時代にも、その政権内には多様な傾向の人たちがいたし、両大統領の個性も、一面で対照的でありながら、完全に異質というわけでもない。外観だけに注目して言えば、父の方がゴルバチョフのソ連に対して穏健な態度で臨んで、「和解」としての冷戦終焉を導いたのに対し、息子の方は「冷戦における勝利」という確信に満ちて、アメリカ一極主導に逆らう諸国に強硬姿勢で臨んだという対比があるが、細かく見れば、その対比で全てが尽くされるわけではない。何よりも、両者の間には時代の変化と国際環境の変化がある。そうした留保はあるが、あえて大づかみにいうなら、ソ連という国がまだ存在し、その大統領たるゴルバチョフとの協調が有意味だったのがブッシュ(父)の時代であり、「冷戦勝利論」が自明視され、アメリカ的価値の絶対視が自信をもって説かれた時期を象徴したのがブッシュ・ジュニアだったということになるだろう。
 もっとも、そうしたアメリカの自己過信は、近年になって急速に揺らいできた。一つにはイラク戦争への批判がアメリカをも含めて世界的に高まるようになったし、もう一つにはリーマン・ショック以降の経済危機が一時期の「市場万能」論を動揺させ、アメリカの絶対的優位も揺らぎつつある。本書のような書物がアメリカで刊行されたのも、そうした時代状況を反映しているのだろう。日本でも、ブッシュ・ジュニア末期には、それまでのアメリカ賛美一辺倒への批判論が次第に増大し、イラク戦争についても批判的に振り返る議論が増大してきた。しかし、そのことは近い過去への眼差しにも関わってくるはずだが、この点はあまりきちんと意識されていないように思われてならない。イラク戦争への反省を一九九九年のNATOによる「人道的介入」と関連づけて論じる姿勢は乏しいし(4)、更にさかのぼって、「冷戦終焉はどのようにして実現したのか。それは本当に、しばしば思われがちなようにアメリカの一方的勝利だったのか」という問いを提出する議論は極小である。
 やや本書から離れて私自身の意見を述べてしまったが、本書の「おわりに」でも、これと似た問題についての考察がなされている。もちろん、著者の考えと私の考えがそっくりそのまま合致するというわけではないが、ともかく共通する問題意識を感じることができた。その末尾には、「冷戦終結二〇周年を迎えるに際して、アメリカ人は一九八九年を真剣な気持ちで振り返らなければならない」という言葉がある(三五〇頁)。この呼びかけは、アメリカ的な「冷戦終焉」観が無批判に受容されがちな日本にとっても、有意義だろう。
 
 
(二〇一一年三月)
 
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(1)この点について、私自身、『冷戦終焉20年――何が、どのようにして終わったのか』勁草書房、二〇一〇年で指摘したことがある。
(2)関連して、ストローブ・タルボット、マイケル・R・ベシュロス『最高首脳外交』上、同文書院インターナショナル、一九九三年、九四‐九六頁も参照。
(3)「新しい冷戦の兆し」については、塩川伸明『民族浄化・人道的介入・新しい冷戦――冷戦後の国際政治』有志舎、二〇一一年、第四章参照。
(4)この点については、『民族浄化・人道的介入・新しい冷戦』第二章参照。