カール・R・ポパー『歴史主義の貧困』
 
 
 
 この古典的な著作(原著は一九五七年、邦訳は一九六一年)のことを私がはじめて知ったのは、あまり記憶が定かではないが、おそらく一九六〇年代の後半、私が大学に入って間もない頃だったと思う。どういう文章を読んでポパーのことを知ったのかも覚えていないが、ともかく何かの解説を読んで、ある程度関心を引かれ、何となく分かったような気になり、しかし敢えて本そのものを読もうとは思わずに、うちすぎてしまった。
 当時の私がこの本を読もうと思わなかったのは、反撥のせいではない。と書くと、事後的な自己正当化の気味を帯びてしまうかもしれない。かつて反撥して読まなかった本について、後になって、実は大事な著作なのだと気づき、過去の自分の不明を押し隠すために、「昔から、別に反撥していたわけではない。ただ何となく読む機会がなかっただけだ」と言訳する、というような心理作用はよくあることだ。私は、できるだけそうした自己正当化はすまいと心がけているが、「心がけ」というのはあてにならないもので、自分自身でも気づかないうちに自己正当化をしてしまうということもありうる。だから、私がかつて反撥を懐いていなかったという記憶が一〇〇%正しいかどうか、断言することは難しいのだが、それでも、やはりそうだったような気がする。
 というのは、例えばハイエクの場合と比べてみると、違いが明らかだからである。ハイエクについては、正直にいって、大学生時代の私は、単なる頑迷固陋な反動派くらいに思いこんでいて、それこそ強い反撥しかもっていなかった。だから、一九八〇年代後半にハイエク・ルネサンスが起きたときには、かなりあわてた。もっとも、一九六〇年代末の学生時代から八〇年代後半のハイエク・ルネサンスの間には相当の時間が流れていたから、その間に私の考えも徐々に変わり、ハイエクを素直に受けいれてみようかという程度の心の構えは形成されており、その時点では、読み始めることにそれほどの抵抗はなかった(専門外の分野なので、読み進めるための時間をなかなかとることができず、長い間に少しずつ翻訳書を読んだに過ぎないが)。これに比べ、ポパーについては、彼を高く評価した文章を読んでも、とりたててあわてることははなかった。また、本書を読んだのはハイエクを数冊読んだ後なのだが、なぜハイエクよりも後回しにしたかというと、ほとんど知らなかったハイエクに比べ、ポパーの方は一応分かっているという意識があったからである。
 もう少し補足すると、この本の邦訳者が久野収、市井三郎という人たちだったことが、私のポパー理解に――そしておそらくは、日本のポパー理解全般にも――一定の特殊な影響を与えたのではないかという気がする。この二人はいうまでもなく、決してマルクス主義者ではないが、かといっていわゆる「保守派」、あるいは戦闘的な反マルクス主義・反共産主義派ではなく、広い意味での「革新派」に属する。市井の方はあまりよく知らないのだが、久野についていえば、一九六〇年代末から七〇年代前半くらいの時期には、「ベ平連(『ベトナムに平和を』市民連合)」に近い人として知られていた。そして、当時のベ平連といわゆる全共闘運動とは、広い意味では共闘関係にあった。そうしたことから、彼らは、教条的マルクス主義を克服し新しい革新の構想を模索するという、広義の「新左翼」に属するとみられていたといってよいように思う。本書の「訳者あとがき」にも、「マルクス自身の中にポパーの批判に応えうるようなものがなかったかどうか、したがってこれまでの『マルクス主義』をよりよく発展させるために、ポパーの批判をてことするようなやり方もなくはないか、といったことは問題とされていいであろう」という個所がある(二五二頁)。学生時代の私がこの個所を読んだかどうか、記憶がはっきりしないが、これを読んだにせよ、類似した他の解説を読みかじったにせよ、当時の私の受けとめ方はまさしくこのようなものだった。ポパーの「歴史主義批判」は俗流マルクス主義にこそ当てはまるものであり、それを受けとめることでマルクス主義をより高度に発展させられる、というような発想である。
 いまから考えると、このようにポパーを「新左翼寄りに」解釈するというのは、かなり無理な、そして当時の日本に特有な現象だったような気がするが、ともかくそうした解釈は久野、市井らの紹介者自身を先頭に当時の日本ではかなり広まっていたように思う。だとすれば、「新左翼」的立場に立っていた当時の私が、それに反撥を感じるいわれは別になかったわけである。そして、反撥なしにポパーを受けいれた(彼の本そのものを読んだわけでもないのに「受けいれた」というのはおこがましいが、学生時代の乱読の一部として種々の解説書を読んだだけで分かったような気になっていた)私としては、その後、ポパーの名をあちこちで見かけても、「ああ、あれか」といった感じで受け流し、特に深刻に考え直さなければならないという気持ちを懐かなかった。かつて馬鹿にしていたハイエクに対してとは違い、真剣に取り組まねばという気持ちにはなれなかったのである。
 今回、遅ればせに本書を読んだのも、それほど真剣な必然性を感じてのことではない。強い反撥とその自己批判というほどドラマティックなことではなく、ただ、いままで漠然と分かったような気になっていたことについて、やはりもう少しきちんと確認しておきたいという程度の比較的軽い気持ちだった。本書を読む少し前に、小河原誠のポパー論(1)も読んだが、非常によく納得できる部分とどうにも納得できない部分とが混じり合っているという印象を受けた。それも、マルクス主義――ないし類似の進歩思想・歴史観――を信奉するか批判するかなどといった次元ではなく、もう少し別のところに、共鳴できるところと違和感をもつ部分の境目があるように感じた。それは社会科学方法論の領域にかかわる。小河原も、本書は冷戦期に専らマルクス主義批判の書として読まれたが、実は社会科学方法論として読むべきだという。そのように読むべきだという点は異議ないが、そう読んだときに、賛同できる個所とそうでない個所が奇妙に混合しているというのが私の印象である。とすれば、その絡み合いを解きほぐす作業は、私自身の社会科学方法論を考えることにもつながるはずである。以下は、そのような観点からの読書ノートである。
 
 
 先ず、本書で批判の対象とされている「歴史主義」とは何を指すのかについて考えねばならない。本書でいう「歴史主義」は通常この言葉で思い浮かべられているものとは異質なものだということを、「訳者あとがき」も小河原誠もともに指摘している。小河原は、誤解を避けるために「ヒストリシズム」という表現をとっている(「歴史信仰」と訳した方がよいのではないかとも述べている)。確かに、ドイツ歴史学派などについていう「歴史主義」とは大分異なるのだろうが、私が読んだ限りでは、私の理解する範囲内の――そして私自身がかなり共鳴する――「歴史主義」と全く無縁というわけでもなく、かなり重なり合いながら、しかしそれと異なった独自の意義が付与されてもいるという二面性があるように思われる。
 本書でいう「歴史主義」には複数の特徴づけが与えられているが、そのうちのあるものは私にとって支持に値するものであり、あるものは全く支持できないものである。それと対応して、「歴史主義批判」もまた、ある部分には大いに共鳴できるが、ある部分には全く共感できない。このように多様な要素をごたまぜにして一つの概念をつくることに一体どういう意味があるのだろうか、というのが第一の、そして最大の疑問である。ポパーといえば、透徹した論理性を重視した人というイメージがあるが、にもかかわらず、本書における「歴史主義」の概念にはあまり論理的必然性があるように思えない。邪推かもしれないが、マルクス主義者を念頭においた論争的性格のため、やや冷静さを欠き、本来論理的には区別されるべきものをごちゃ混ぜにしているのではないだろうか。
 より具体的にみてみよう。歴史主義(以下では煩雑を避けて、この言葉にカッコをつけることを省略する)には自然主義的傾向(自然科学の方法を模倣するもの)と反自然主義的傾向のもの(自然科学と社会科学との異質性を強調するもの)とがあるという。ポパーはこの両方を歴史主義と呼んでいるのだが、第一の傾向と第二の傾向とは論理的に考えて全く逆のものであり、一体どうして両者が一つの名称にまとめられるのか、理解しがたい(2)。ポパー自身は、社会科学の方法と自然科学の方法とは同質だという考えのようだが、だとすると、第二の傾向については原則的に反対、第一の傾向については原則的には近いがその内容において微妙な異議がある、ということなのだろうか。そのように明言されてはいないが、そういう風に考えないと理解ができないので、とりあえずそのように考えた上で先に進むことにしよう。
 
 
 第一章では、歴史主義のうちの「反自然主義的傾向」の方が問題となっている。ポパー自身は自然科学と社会科学との方法的単一性に立っているのだから、この「反自然主義」は全体として許し難いということになるのだろう。だが、ここに描かれている「反自然主義的歴史主義」は、その中に更にいくつかの要素があり、それ自体がまたごたまぜの様相を呈している。私自身は、自然科学と社会科学とをはっきりと二分してしまうことには多少の留保をつけるが、それにしても大まかな意味ではかなり大きな距離があり、どちらかといえば方法上の区別を強調したい考えなので、その意味では「反自然主義」論者に分類されそうである。だが、私はここに描かれている主張の全部に同調するわけでは決してない。
 第一章であげられている反自然主義的歴史主義の特徴のうちのかなりの要素、例えば、社会科学では物理学におけるような斉一性を確保するのが難しいとか、実験が困難だとか、歴史的環境が変われば条件が大きく変動するので超歴史的な法則性を取り出すことができないとか、社会科学においては価値判断を排除することが難しいとかその他その他――ここの表現はポパーの書いているとおりのものではなく私の表現だが、大筋は重なっていると思う――については、私は多少の留保をつけてではあるが、ほぼ賛成であり、このあたりを読んでいると、「俺は歴史主義者だ。それでどこが悪い」といいたくなってくる。
 特に興味を引かれるのは、ある予測がなされると、それ自体が過程に作用して、予測結果を左右する――「エディプス効果」という名が与えられている――ため、科学的予測は不可能だという主張(三一‐三二頁)である。これは注目に値する議論であり、私はこの指摘に大いに共感する。実は、ポパー自身、この主張に対する直接の反論を行なっていない。批判すべき立場であるにもかかわらず、この重要論点を批判しないというのは奇妙なことのように思われる。
 以上のような部分に関しては、私は「歴史主義者」に近いような気がするのだが、「ホーリズム(全体論)」に議論が及ぶと、話が微妙になってくる。ホーリズムとは、対象がある全体的構造をもっており、従って部分的要素の認識を積み重ねただけでは不十分だという主張を指すのだろうか、それとも、そうした全体構造についての十全な認識が可能だとの想定に立ち、それを実現した――と称する――理論のことをホーリスティックな認識というのだろうか。これは微妙ながら重大な違いである。前者は、あるタイプの認識の限界性・不十分性に関する消極的指摘であるのに対し、後者はあるタイプの認識が十全なものだという積極的な主張である。私は、前者には共鳴するが、後者は似而非科学だと考える。ポパーの場合、歴史主義にどちらを帰しているのか、あまりはっきりしない。おそらく、あまり明確な区別なしに、特に後者を批判しているのではないかという気がするが、そのことによって前者まで批判されるわけではないはずである。
 
 
 第二章では、歴史主義の自然主義的主張が論じられているが、ここに描かれている主張は、私としてはほとんど共感しない議論であり、「これが歴史主義なら、俺は歴史主義者じゃない」といいたくなるものである。ところが、ポパーは、第一章の議論と第二章の議論とは別々のものではなく、同じ「歴史主義者」の主張だという風に論じている。ここのところが私には最も理解しにくい。
 第二章冒頭に、歴史主義はさまざまな出来事を説明するだけでなく予測もしなければならないと考えている、という個所がある(六一頁)。しかし、これは社会科学において予測は不可能だとするのが歴史主義だという第一章の趣旨(例えば三一‐三二頁)と完全に矛盾する。ポパーに従えば、歴史主義者とは、予測が不可能であると同時に可能だと考えている人種だということになり、まるで何のことだか訳が分からない。
 ここには、実はポパー自身の考え方が投影されているように思われる。というのは、出来事を予測しなければならないという見解について、「それにまったくわたし〔ポパー〕も賛成である」と書いているからである(六二頁)。つまり、将来のことを予測しなければならないという点で、「自然主義的歴史主義者」とポパーは見解を同じくしており、ただその予測がどのような性格のものであるかについて分かれるというわけである。これに対して、私は社会科学において予測というものはほとんどあり得ないと考えており、ここで最大限にポパーと――そしてついでに「歴史主義」とも――分かれる。ところが、ポパーは、この点に関しては論敵も自分も一致しているという風に書いており、予測を否定する人がいるということはおよそ念頭にないかのようである。こうして、この章は全体として強い違和感を呼び起こす。
 このようにだけいって片づけるのは、やや公正を欠くかもしれないので、もう少し立ち入ってみておこう。ポパーによれば、歴史主義者は「大規模予見」を行なおうとしており、その際、「歴史の法則」なるものを信奉しているという。この「歴史法則論」批判は本書の一つの眼目をなしており、最も有名になった個所でもある。確かに、かつて正統派マルクス主義が「歴史の法則」なるものを振り回していたのは事実であり、それに対する本書の批判はある時期には衝撃的な意味をもったのだろう。だから、それだけであれば――今の時点ではそれほど衝撃的に感じられないという点はおくとして――一応の賛意を表してもよい。
 先に、久野、市井らの訳者が本書をマルクス主義精錬の糧と意義づけて紹介していたことに触れたが、三〇年ほど前の私もそういう発想を受けいれており、「歴史の法則」論を取り除いてもマルクス主義は成り立つのではないか、むしろその方がマルクス解釈として妥当ではないか、と考えていた。社会主義の展望についても、その到来を「歴史の必然」ととらえるのではなく、むしろ人間の主体的努力によって招き寄せ、建設すべきものとする発想に立っていたのである(3)。そのような考えを若い頃にいだいていた私としては、「歴史の法則」に基づく「大規模予測」などあり得ないというのは当然のことであり、特に新鮮には感じない。とはいえ、これを新鮮と感じないのは、若い頃にポパーの解説に接したからかもしれないから、その意味では一定の恩義があることになる。
 問題なのは、そのような「歴史法則論」と、第一章で展開された「反自然主義的歴史主義」が一くくりにされている点である。これまで述べてきたように、私としては、後者にはむしろ親近感をもつから、それと前者が一緒にされるということにはどうにも納得がいかない。ついでにいえば、ハイエクは元来、社会科学と自然科学の峻別論(つまり、反自然主義)の立場に立っていたが、後にポパーの説に接して、両者の差をより狭めて考えるようになったという(4)。ハイエクの科学論をまだ検討していないので確かなことはいえないが、初期ハイエクの立場の方が私には理解しやすいような気がする。
 関連するもう一つの問題は、ポパー自身の考えとして、「大規模予測」は否定するが「工学的社会科学」は肯定し、「社会生活の一般的法則を研究する」ことが可能でもあり、当然でもあるとしている点である(七六頁)。この点はポパー自身の積極的見解にかかわるが、次章にも出てくるので、そこで改めて考えることにしよう。
 
 
 第三章は「反自然主義的な主張の批判」と題されており、ここで有名な「ピースミールな社会工学とユートピア的社会工学の対比」という議論が出てくる。ユートピア的社会工学の試みがいかに悲惨な結末に導いたかはわれわれのよく知るところであり、これを批判するという限りでは、ポパーの主張はよく理解できるし、その先駆性には敬意を表するべきだとも思う。問題は、それと区別される「ピースミールな社会工学」の方である。
 自然科学と社会科学の同質性を強調するポパーにとっては、自然科学が工学に応用されるように、社会科学も社会工学に応用されるのはごく当然であり、問題はその社会工学がユートピア的・全体論的(ホーリスティック)なものかピースミールなものかという点にあると考えているようである。この考えはある程度まで分からないわけではない。私は、社会科学は完全には「科学化」しきれないものを常に残すのではないかと思うが、それにしてもある程度までは「科学化」(ここで「科学化」とは、自然科学を基準とした、それへの接近の意味としておく)の傾向もあり、その限りでユートピア的ならぬピースミールな社会工学は一応ありうるだろう。現に、経済学や、最近では政策科学などは、政府による政策立案に利用されているようである。社会主義国における「社会主義建設」と違って、資本主義国の政府が行なう政策は全体的(ホーリスティック)なものではなく、ピースミールなものであり、それは常にうまくいくという保証はないが、全く無意味とも限らないだろう。政策論に疎い私としては、具体的にあれこれの政策論の有効性について議論する気はない。ここではもう少し原理的なことを問題にしてみたい。
 ピースミールな社会工学は、常にかどうかはともかくある程度までは有効たりうるということを仮に前提して考えてみよう。もしそうなら話は簡単で、その有効性を漸次的に高めていくことだけが課題だと思われるかもしれない。しかし、ことはそれほど簡単ではない。ピースミールな認識とそれに基づく工学は、対象を全体的連関から切り離して、要素として扱う(それが「ピースミール」ということの定義だろう)。実験というものが可能なのも、対象が複雑な諸要素の連関から切り離され、「他の条件一定」という人為的な環境に制御されうるからである。しかし、現実というものは、そううまくはできていない。必ず、ピースミールな認識からはみ出した要素との連関というものがあり、社会工学的政策で直接に意図されていた結果とは異なる副次効果を生むものである。だから、問題は、部分的に取り出されたある要素の認識が当たっているかどうかとか、その認識に基づいた限定された工学が期待通りの効果をもたらすかどうかといった点だけにあるのではなく、もともと視野から排除されていた他の要素がどのように作用するのか、その副次効果の大きさといった点にもあるということになる。
 この場合、いくつかの可能性が考えられる。@副次効果はあまり大きくなく、無視可能である。A無視できない副次効果が起きるが、それらはバラバラな方向に作用して互いに打ち消しあうと想定されるので、あまりそれについて考える必要はない。B副次効果が大きく、しかもそれが次々と累積して大きな波及効果を生むので、予期せぬ方向に事態が大きく進展していく。
 仮にピースミールな社会工学がその直接的狙いを意図通りに達成したとして、それだけで満足してよいのは、これらのうちの@とAの場合だけであり、Bのときにはそうはいかない。そして、人間の活動の規模が大きくなり、社会における政府の役割が拡大して、政策論のもつ意味が大きくなってきた現代社会においては、だんだんBのケースが増えてきたのではないだろうか。とすれば、ピースミールな社会工学がそれ自体としては一定の効果をあげたとしても、それでもって安心しているわけにはいかない。
 このように書くと、ポパーから次のように反論されるかもしれない。「お前のいっていることは、要するにホーリズムだろう。ピースミールな社会工学では目的を達することができないから、より全体的な認識――つまり『歴史の法則』の認識――に立脚した全体的な社会変革をすべきだというのだろう。それこそまさにユートピア的社会工学であり、私が本書で十分に批判し尽くした立場ではないか」。
 しかし、違うのである。先に、「ホーリズム」という言葉は二通りに解釈されることを指摘し、その二つの間には微妙ながら重大な差異があると書いたが、その重大な差異がここでもまた問題になる。私の考えでは、要素論的な認識には限界がある――従ってまた、ピースミールな社会工学にも限界がある――が、だからといって、「全体」なるものについての十全な認識が可能だということにはならないし、ユートピア的社会工学が目的を達し得るということにもならない。ということはつまり、ピースミールな社会工学に対してもユートピア的社会工学に対しても、ともに懐疑的だということである。ポパーはどうも、一方を否定すれば必ず他方の立場に行き着くと考えているようだが、そのような暗黙の前提をこそ私としては問題としたいのである。純論理的に考えてみて、両者は、一方の否定と他方の肯定とが論理的に同値という関係にはない。そのくらいのことは、論理性を重視するポパーには、ちょっと考えてみればすぐ分かるはずではないだろうか。本書の議論に意外に論理性が欠けていると先に記したのは、こうした感想に基づいている。
 いま述べた点は、ポパーの有名な「検証」と「反証」の区別を援用して言い直すこともできる。ある命題を本当に検証すること――ここで「本当に」の語をつけたのは、日常語として使われる緩やかな意味での「検証」と違って、厳密な意味では、ということである――は難しいが、反証は相対的にやさしい。「すべてのカラスはカーと鳴く」という命題を本当に検証しようと思うなら、地球上のありとあらゆるカラスについて、一羽一羽調べてみなくてはならず、そのようなことは事実上不可能である。これに対し、同じ命題を反証するには、ただの一羽でもカーと鳴かないカラスを見つければよい。このように反証が相対的に容易だということは、ある仮説を「反証されるかどうかのテスト」にかけることも容易だということを意味する。先の仮説を偽だというためには、「カーと鳴かないカラス」を見つければよく、それは何羽かのカラスについて試してみれば実現できそうである。ところが、何羽か調べたところ「カーと鳴かないカラス」が見つからないとする。これは、冒頭命題が偽であれば容易に実現できそうなことが実現していないということだから、それが真である蓋然性を高めたことになる。こうして、先の仮説は「反証可能性」のテストにとりあえず合格したということになる。だが、これはあくまでも、「さしあたり反証されていない」ということに過ぎず、「検証された」ということを意味するわけではない。同様に、ある命題が反証されたからといって、それと対立する別の命題が検証されたということにもならない。「検証」はほとんど達成できない基準であり、「反証されるか否か」だけが経験的に確認できることだからである。
 さて、同じ論理を使って、次のようにいうことができるはずである。「ホーリスティックな認識に基づいたユートピア的社会工学は目的通りの理想社会をつくりだす」という命題を反証することはやさしい。現に、社会主義の実例によって見事に反証されたからである。だが、そのことは、「ピースミールな社会工学が成功する」という命題が「検証」されたことを意味しない。一方の命題が反証されても、他方が検証されたことにはならないということは、ポパー自身の論理からして明白であるはずなのに、それがものの見事に忘れられているのである。これは党派的論争につきまといがちなことだが、論理性の欠如以外の何ものでもない。
 
 
 第四章は、「自然主義的な主張の批判」である。もっとも、しばしば触れてきたように、ポパーは歴史主義は自然主義的でもあり反自然主義的でもあると考えているので、一方への批判と他方への批判がきっぱりと分けられず、この章の中にも「反自然主義批判」の要素が紛れ込んでいる。こうした混濁が議論を追いにくくしているのだが、ここではできる限りそうした混濁を排除して、自然主義的な主張の批判に注目をしぼるようにしたい。
 ポパーによれば、歴史主義者は歴史の法則を追い求め、それを自然科学に倣った方法で実現できると考えているという。そして、彼らは実際には「趨勢」に過ぎないものを「法則」と取り違えていると批判する。趨勢と法則は根本的に異なるものだ、というのが本章の一つの要点である(一七四‐一七五頁など)。
 趨勢と法則とは異なるという指摘には、私も異議ない。過去の事例の統計から導き出された趨勢は、いつ逆転するかもしれないから、「これまでこういう趨勢があった」ということは指摘できても、「今後もこの趨勢が続く」ということを「法則」的に断言することはできない。そして、私はこれまでも書いてきたように、「歴史の法則」などというものが発見できるとは信じていないから、「これが歴史主義なら、俺は歴史主義者ではない」といいたくなる。それだけなら、レッテルの使い方を別にすれば、ポパーと私の見解は一致していることになりそうである。ところが、私からみれば奇妙なことに、ポパーは自然科学と社会科学の方法的同一性を主張する。歴史について「趨勢」はとらえられても「法則」をとらえることはできないというなら、まさにその点において歴史をはじめとする社会科学は自然科学と大きく異なるということになるはずではないか。この点は、後でまた立ち戻ることにする。
 趨勢と法則の違いについての議論が続いた後、中間的なまとめとして、趨勢とは条件に依存するものであり、無条件の法則などではないということが述べられる。そしてポパーは、以下のように書いている。
 
「しかしながら、趨勢というものが諸条件に依存することを見てとり、それらの条件を見出し、またそれらをあからさまに定式化しようとする人々については、どうであろうか?そのような人々には文句のつけようがない、というのがわたしの答えである。それどころか、趨勢というものが生じてくることには疑いはありえないのであり、したがってわれわれは、できるかぎり立派に趨勢なるものを説明する、という困難な課題をもっている」(一九四頁)。
 
 この個所を読んで、私は思わず拍子抜けしてしまった。何だ、それでよいのか、といった感じである。私自身は、「歴史主義」のある部分――決して全部ではない――について共鳴し、趨勢研究を自分の重要な課題とみなしているが、その趨勢が諸条件に依存するのは当然だと考えている。だから、どうやら私のような人間は、ポパーから「文句のつけようがない」というお墨付きをもらえるらしい。それはよいが、私のような考えは――どの程度明示的に定式化するかは別にして――歴史を重視する人(「歴史主義」というレッテルに同意すると否とにかかわらず)の間で、それほど珍しくないのではなかろうか。とすると、かなり多くの人がポパーから同じお墨付きをもらえそうな気がするのだが、それならどうしてこれほど一所懸命論争をしなくてはならないのか、その点がむしろ不思議になってくる。
 この点は、続く個所で、「重要なことは、それらの諸条件があまりにも容易に見すごされてしまう、ということなのである」と指摘されていること(一九五頁)から説明されるのかもしれない。この指摘は、確かにある程度まで当たっているだろう。人間はあることに熱中すると、他のことを忘れがちになるものだから、ある趨勢の発見に精力を傾けた人が、その条件を忘れがちだ、というのはありうることである。しかし、これは科学哲学といった高尚な話ではなく、もっとありふれた心構えの問題にならないだろうか。どのような理論的立場に立っていても、実際の研究過程において、本来自覚していなくてはならないことをつい忘れ、自分の研究の限界を見失ってしまうというのはよくあることである。特に学者がジャーナリスティックな評論活動に乗り出したり、「学界政治」に携わったりすると、限定された研究成果をその限界以上のものとして誇大宣伝するというのは、よく見受けられる傾向である(敢えて私の個人的偏見をあからさまにしていうと、アメリカの研究者にはそうした誇大宣伝が実に多いし、最近では日本にもその影響が及びつつあるように思われる)。これはその人の理論的立場にかかわらず、一般的にいえることである。ところが、ポパーのように、それを特定の立場――「歴史主義」――のみに帰してしまうと、他の理論的立場の人でも類似の誤りを犯しうるということが忘れられてしまう。
 あれこれの理論的誤りに対するポパーの批判は確かに鋭いのだが、その鋭さは必ずしもいつも同じ度合であらゆる論者に向けられているのではなく、あるときは特に鋭く、あるときはそれほど鋭くない、といった差があるような気がする。このことも、いま述べた点と関係するように思われてならない。
 
 
 第四章の終わり近くの部分は、私のみるところ、これまでの部分とはやや異なった性質を帯びている。これまで歴史主義批判を繰り広げてきた著者が、今度は自らの積極的見解を打ち出そうとしているのである。とすれば、その積極的見解について、詳しく耳を傾けてみる必要があるだろう。ポパーの持論は、これまでも断片的に触れてきたが、自然科学と社会科学の方法的同一性という考えである。これは、私としてはあまり賛同できない主張だが、それでも理解できる個所がないわけではない。順を追ってみてみよう。
 先ず、本書で述べられている「仮説とテスト」という方法は、確かに「科学」の基本的な方法であり、それを大なり小なり採用するという点は自然科学と社会科学の共通性といえるだろう。社会科学というものが、単なる事実の列挙ではなく、何らかの理論性をもとうとするならば、そこには、暗黙のうちにもせよ必ず「仮説」の要素が入る。そして、それを何らかの仕方で検証する――あるいはむしろ、反証できるかどうかのテストにかける――ことで仮説の信頼性をチェックするという手続が重要な意味をもつ。ここまでは私も賛成できる。この点に私が賛成なのは、おそらく若いときにポパーの解説を読みかじって、自分なりに吸収したという経緯によるだろうから、その意味では、私の科学観は部分的にもせよポパーに恩義をこうむっていることになる。
 しかし、このことを確認した上で、いくつかの重要な疑念が残る。
 ある角度からみた場合に社会科学も自然科学と同様の手続きを踏むことがあるということが確認されたからといって、だから社会科学と自然科学の方法が単一だということになるわけではない。そのように考えるのは論理の飛躍である。どうも、ポパーにはこうした飛躍が多い。ポパーの全容に通じていない私には、あまり立ち入ったことをいう資格はないが、彼の本来のフィールドは科学哲学(この場合の「科学」は第一義的には自然科学である)や認識論・論理学にあり、社会科学論はその応用問題として考えられているのではないかという気がする(5)。そのため、社会科学のある側面について妥当な認識をもっていても、それだけで全体が論じられるわけではないという限界があり、その点に無自覚なのではないかと思われてならない。
 例えば、複雑な理論体系に含まれる仮説をどのようにしてテストすることができるのかという問題に関し、「ある一つの仮説においてだけ異なる二つのその種の体系」をテストしてみればよい、そして一方の体系が反証され、他方の体系が反証されなかったなら、その違いは当該仮説の差異に帰してよい、という個所がある(二〇〇頁)。長文かつやや分かりにくい文章なのでそのままの引用はしなかったが、元の文章には「もし……とすれば」「実験を企てることができるとすれば」という仮定形の表現が含まれている。ところが、その仮定が満足させられるかどうかについては何も論じておらず、あたかもそうした仮定は簡単に満足させられると考えているかのようである。実地に社会科学の研究に携わった人なら、そうした「実験」をうまくできるなどとそう簡単に期待するわけにはいかないということをいやというほど知っているだろう。まさにこういった点に、社会科学の独自の困難があるのに、ポパーはあっさりと、「もし……とすれば」が簡単に充足されるかに考えて先に進んでいるのである。
 理論的な仮説重視ということと関係して、ポパーは経験的観察とか帰納といったものを極度に軽視している。「われわれが観察から出発し、理論をその観察からひき出そうとする、という意味における帰納的一般化を、われわれはけっしておこなっていないとわたしは信じている」とまで言い切っている(二〇三頁(6))。この主張は、大多数の社会科学者を驚愕させるだろう。歴史家にとってはほとんど理解不可能かもしれない。大陸的合理主義よりもイギリス的経験論の方に親近感を示すハイエクも、このような経験軽視には戸惑うのではなかろうか。
 もっとも、落ち着いて考えるなら、この驚くべき主張にも、適切な指摘が含まれていないわけではない。人が何かを経験的に観察するとき、何の先入見もないということはありえず、ある種の仮説が無意識のうちにもせよ観察を方向づけているというのは否定できない事実である。ポパーがこの点を念頭においているとするなら、それは確かに重要な指摘である。しかし、だから「帰納的一般化を行なっていない」というのは、またしても論理の飛躍である。仮説とか先入観がどうして形成されたのかを考えてみれば、それ自体、それまでの経験の積み重ねから生じたということは大いにありうる(先に触れた「趨勢」把握にしても、まさに過去の経験の観察から生じるのではないだろうか)。ポパー自身、すぐ後で、「われわれが理論を得たのが、(中略)ただ単にそれをひょっこり思いついた(中略)のか、あるいはまたなんらかの帰納的手続きによったのか」と書いて、帰納が仮説形成に貢献する可能性のあることを認めている。ところが、更に筆をついで、そのようなことは「科学の見地からすればどうでもよいのである」というのである(二〇四頁、傍点塩川)。
 ここに書かれていることを簡単に図式化するなら、@われわれは帰納をしていない、Aいや帰納しているかもしれない、Bそうだとしてもそれは大して重要でない、ということになる。これは、どうにも納得しがたい論法である。
 邪推かもしれないが、ここにも、ポパーが社会科学研究の実地作業にあまり通じていないという事情が反映しているように思われてならない。対象を純粋化してとらえる自然科学に比して、社会科学はそうした純粋化に大きな困難がある。その分、理論的に精錬された仮説形成、その仮説から演繹的に引き出された命題のチェックといった「科学的」手続きを踏むことが難しく、経験的帰納を大きな要素とせざるを得ないのだが、そうした事情に無頓着なのである。
 あるいはまた、次のような個所がある。
 
「社会的事態は物理的なそれよりももっと錯綜している、という広汎にゆきわたった偏見は、二つの源泉から派生しているように思われる。その一つは、われわれが比較すべきでないものを比較しがちである、ということだ。私が意味しているのは、一方では具体的な社会的事態であり、他方では人為的に絶縁された実験上の物理的事態である」(二一一頁)。
 
 この主張は、ある面では妥当な指摘を含んでいる。社会科学者はとかく社会事象は複雑だといいがちだが、実は物理現象だってそれに劣らず複雑だ、というのは確かにその通りだろう。しかし、問題なのは、物理学においては、「人為的に絶縁された実験上の物理的事態」を適切につくりあげることができる――そして、それを基礎に、より複雑な現実へと漸次的に迫っていける――のに対し、社会科学においてはそのような手続きを踏むことが極度に難しいという点である。ポパーは、先の引用文に続けて、「後者が比較されてよいのは、むしろ人為的に絶縁された社会的事態、すなわち牢獄とか実験的共同体(コミュニティー)といったものであろう」と書いているが、これは筋違いである。牢獄や実験的共同体だって、物理学の実験のようにすっきりとしたものではなく、それ自体が複雑な現実であるし、またそこから得られた観察をその外の社会に当てはめられるという保証も全くない(ロビンソン・クルーソーの生活を経済学の基礎にするわけにいかないのも、同様の事情による)。「比較すべきでないものを比較」してはならないというのは、論理的にはその通りだが、まさに「比較すべき」相手がそう簡単にはうまくみつからないという点にこそ問題があるのである。
 
 
 このように社会科学一般を論じた後で、ポパーは「歴史的科学」に立ち向かっている。歴史主義批判を課題とする著書を結ぶには、社会科学一般の考察だけでは足りず、歴史主義とは異なる「歴史的科学」の方法について考えておく必要があるということだろう。そのような課題に取り組んだことは歓迎すべきことだし、その内容にも同意できるところが多い。だが、そのことはかえって本書の論理整合性に疑問を投げかけることになるような気がする。短い部分だが、大切な個所なので、やや立ち入ってみよう。
 ポパーは先ず、「歴史学は、法則や一般化といったものよりはむしろ、現実の特殊的な、つまり特殊な出来事に対する関心によって特徴づけられる」という見解――ポパーによれば、歴史主義者たちがしばしば古風だと攻撃してきた見解――を擁護したいと述べる(二一六頁。引用個所全体に傍点がついているが、煩雑なので略した)。
 実は、私自身も、この「古風な」見解に賛成である。私がこのような見解を知ったのは、大学に入って間もない時期に読んだリッカートの『文化科学と自然科学』(7)を通してである。リッカートといえば、一九世紀末から二〇世紀初頭に活躍した新カント派の哲学者であり、それこそ「古風」というイメージがあるし、また私がこれを読んだのも今から三〇年くらい前のことだから、私にとっても「古い」ものである。だが、方法論や哲学プロパーにその後あまり深入りしてこなかった私としては、そうした「古い」発想を今でも引きずっているところがある。もっとも、リッカートそのままというわけではなく、多少の留保をつけてであるが、その点については最後に立ち返ることにしよう。ともかく、そうした「古風な」見解に賛同する限りでは、ポパーと私の間に共通点があることになる。
 ところが、ポパーはそのすぐ後で、本書のこの前の部分で述べてきた科学方法論とこの歴史学観とは完全に両立するという。リッカート流の歴史学観は、自然科学と歴史学をはじめとする社会科学(文化科学)の相違を論じたものだから、両者の方法的同一性を主張するポパーとはずいぶん方向性を異にするもののようにみえる。それをどうやって両立させようというのか。
 この問題へのポパーの回答は、それなりに興味深いものである。彼はいう。「理論的科学が主として関心をもつのが、普遍法則を見出しそれをテストすることであるのに反して、歴史的科学はあらゆる種類の普遍法則を当然のこととして前提し、特殊的言明を見出してそれをテストすることに主たる関心をもっている」(二一六‐二一七頁)。ここで、「普遍法則を当然のこととして前提し」という表現にはちょっと引っかかるが、それを別にすれば、いいたいことは分かるし、同感もできる。自然科学が法則定立的で歴史的科学が個性叙述的だ、というのが新カント派の議論だったが、その「個性叙述」の中には、理論科学から借りてきた法則の利用も含まれうる。その限りでは、歴史学も理論や法則と無縁ではなく、ただその関係の仕方が異なっているだけだという言い方もできる。
 とはいえ、この議論は、やはり自然科学と社会科学はかなり異なっていることを示しているように思われる。自然科学は、すべてとはいわないまでも大部分が法則定立的である。これに対し、社会科学は、自然科学を模倣してその方向に進みつつあるものもあるが、今なお大部分は――そして歴史学は特に――個性叙述的である。個性の叙述は、もちろん理論や法則性を排除するというわけではないから、両者を絶対的に対立するもののようにみる必要はないが、それにしても、関心のおき方はかなり違う。先に、「ただその関係の仕方が異なっているだけだ」と書いたが、その「ただ……だけ」のうちに、実は重大な相違が含まれているのではないだろうか。ポパー自身、歴史研究の重要な課題として「ユニークさ」の解明をあげているが、ユニークさの追求をとことん押し進めていく発想と、一般法則に力点をおく発想とは、知的作業のあり方としてずいぶん異なった種類のものである。だから、この個所でポパーが述べているのは、実は彼自身の主張を裏切って、自然科学と社会科学(とりわけ歴史学)の異質性を論じていることにはならないだろうか。
 
 
 満遍ない忠実な検討ではないが、ともかく本書の内容を一通り追い、自分なりの感想を記してきた(実は、最後にもう少し別の部分があるが、私のみるところ、それは前の方で述べられた議論の蒸し返しであり、特に取り上げる必要があるとは思われないので略した)。これまでもかなり私自身の見方を挿入してきたが、それは、この小文の狙いがポパー解釈自体にあるのではなく、それを手がかりとして自分の社会科学方法論について反省してみるという点にあったからである。そこで、これまでポパーに即してあちこちに断片的に記した私の考えを、もう少しまとめて提示することを試みたい。熟さない議論ではあるが、ともかく、たまにはそのような作業をしてみることが自分にとって必要ではないかと考え、一つの試論を簡単にではあれまとめてみたい。
 とりあえず、法則定立と個性叙述という二つの知的活動の種類から出発してみることにしよう。この二分類は、社会科学と自然科学という区別にぴったりと対応するわけではない。自然科学の大部分は法則定立的だが、天文学とか地質学などには個性叙述の部分もあるのではないかという気がする(実情を知らない者の単なる憶測に過ぎないが)。他方、社会科学も法則定立的科学にあこがれる傾向があり、次第にそれに接近しようとしているようにみえる。おそらくその点で最先端を行っているのは経済学だろう(但し経済学の中にもそうでない潮流もあるが)。それ以外にも、同様の志向をみせている分野は徐々に増大しつつあるようにみえる。しかし、これまでのところ、その志向は十分な成功をおさめてはいないように思われる。一応の体裁として「科学」化しているものもあるが、その内実を検討してみると、自然科学的手法の単なる外形的模倣だったり、あるいは現実離れしたモデルをつくって対象への有意性を失ったりしているものが少なくない。だとすると、自然科学と社会科学をきっぱりと二分してしまうのは暴論だとしても、やはり大まかな趨勢としての違いはなおあり、その違いが法則定立と個性叙述の違いにほぼ対応するということがいえるように思う。
 これは、いうなれば量的差異と質的差異の関係という問題と関係する。法則定立的色彩の濃い自然科学と個性叙述的色彩の濃い社会科学の間の差異は絶対的なものではなく、とりあえずは量的差異といってもよい(その限りで、両者の方法の単一性を主張するポパーにも当たっている面はある)。だが、その量的差異が「質的差異」といいたいほどの大きさをもっている(従って、現実問題としては、性急に単一性をいわない方がよい)ということである。量的差異だが質的差異でもあるというようなことをいうと、ヘーゲル=マルクス弁証法における「量の質への転化」論を思い出し、悪しき思弁哲学の残滓だといわれるかもしれない。だが、ここで私が念頭においているのはもっと単純なことである。「五〇歩百歩」という言葉がある。敵の前で五〇歩逃げた者が百歩逃げた者を笑うことはできないという意味だろう。では、一万歩逃げた者についてはどうだろうか。五〇歩の人は百歩の人を笑うことはできなくても、一万歩の人のことは笑ってもよいのではないだろうか。ここで、「五〇歩と百歩」の差は五〇歩であり、「五〇歩と一万歩」の差は九九五〇歩である。五〇歩の差だろうが九九五〇歩の差だろうが、どちらにしても「量的な差」だということはいえばいえる。しかし、前者はまさしく「量的な差」に過ぎないのに対し、後者は「質的といいたいほどの差」だというのは、常識的に誰もが賛成することではないだろうか。では、五〇歩と九九五〇歩の間で、「単なる量的な差」と「質的といいたいほどの差」の分かれ目はどこにあるのかと問うと、実は、そのような明確な分かれ目はない。やはり、両者は量的に連続しているのである。それでも、「質的な差」をいうことはできないわけではない。
 右に書いたのは、ごく当たり前の常識論である。そのようなことをわざわざ書いたのは、純粋化や法則化に大きな困難をかかえる社会科学においては「常識」というものが大きな役割を果たすからである。ポパーに限らず、社会科学を含む科学論を論じる人の多くは、元来自然科学についての「科学方法論」を学んだ人が多いように思われるが、そうした人の議論は、抽象的には正当な指摘を多く含んでいるにしても、実地の社会科学研究の経験をあまり踏まえていないために、まさに「常識」的なことがらの理解に欠けているのではないか、という気がしてならない。
 こうして社会科学とりわけ歴史において個性叙述が大きな位置を占めるのは当然だということになるが、だからといって、それは「法則」と無関係というわけではない。「個性」というものは、単純にバラバラなものではなく、むしろある種の規則性や斉一性を前提して、それとの関係で把握されるものである。もし社会現象に何も規則性や斉一性がないなら――より厳密にいえば、そうしたものが客観的にあるかないかが問題なのではなく、われわれがそうしたものがあると捉えるかどうかということを問題にしているのだが――「個性」をいうことさえもできず、すべては果てしない混沌のうちにあるということになるだろう。なお、ここで「ある種の規則性や斉一性」という言い方をしたのは、「さしあたり規則的である、あるいは一様であるようにみえる」という程度のことを指していて、それが「法則」とまでいえるかどうかをとりあえず留保しているからである。それはさておき、とにかく社会科学の中でも法則定立型科学を志向する領域・ディシプリンは、そうした規則性や斉一性の把握に重点をおいている。そして、個性叙述に力点をおく研究の場合も、そのような理論中心型の研究における「法則」理解から何がしかのものを吸収し、それを叙述に生かすことがある。
 そのことと関係して、歴史の方法にも二通りのものがある。一つは古典的なもので、まさに個性叙述に終始し、抽象的観念のもちこみを極力排するものであり、もう一つは、隣接分野(経済学、政治学、社会学、文化人類学等々のディシプリン)の成果を吸収して分析的に議論を進めるもので、「社会科学的歴史学」とか「分析的歴史学」などと呼ばれる。もっとも、前者の場合にも、実は、何がしかの抽象概念や規則性の観念は暗黙裡に利用されている(例えば、何気なく使われている「貴族」とか「農民」とか「商業」といった言葉も、文字通りの実体ではなく抽象概念であるし、社会的矛盾の激化が大衆運動の高揚につながるとか、そうとは限らない場合もあるといった議論は、一定の規則性把握を前提している)のだが、後者は、それを一層明示的なものとする。
 この二つは、どちらが高級といったものではなく、ある程度まで各人の趣味にかかわるような気がする。「社会科学的歴史」がいくら流行しても、「何だかんだいっても、とどのつまり歴史は物語であり、叙述の生彩が鍵だ」といわれたりするのは、古典的な歴史学観が今日なお強い魅力をもち続けていることを示すだろう。それは単なる面白さといった直観的レヴェルの問題だけでなく、「社会科学的歴史」がしばしば底の浅いものであり、流行の図式の当てはめに終わることが多いことへの反省に由来するという面もあるのかもしれない。しかし、皮相な図式主義的裁断の無意味さはいわずもがなとして、歴史をいろいろな角度からとらえようとする工夫の一つとして、種々のディシプリンから理論的刺激を受けること自体は無意味ではないだろう。
 私自身は、文学者的能力に欠けるので、「物語」としての叙述の面白さに賭けるよりはむしろ社会科学的な分析の適用に惹かれるものを感じるが、ただ、それが安易な図式主義に陥ることへの警戒感も強いため、しばしばディレンマを感じる。可能な限り種々の理論的アプローチを試みながらも、同時に、常にその限界を意識し、「理論の応用問題」に終わらない歴史を描きたいというのが私の野望だが、それを本当に実現するのは絶望的なまでに難しいという気がする。いずれにせよ、たとえ「規則性」なり「法則」なりを分析に取り込むとしても、歴史はそれだけで完結することはできず、どうしても「個性叙述」という問題が残るのである。
 それはおそらく、この小文の前の方で述べてきた社会科学の「科学化」の困難性ということにかかわる。いろいろと工夫を凝らして、限定された側面についての「法則」らしきものをみつけても、それは常に条件付きのものであり、ポパー流にいえば「法則」よりはむしろ「趨勢」というべきものではないかと思われる。ポパーは、「趨勢」に過ぎないものを「法則」視してはいけないという言い方をしていて、どことなく「趨勢」把握を価値の低いものとみなしているようなニュアンスが感じられるが、「法則」をとらえることに極度の困難を伴う社会科学にあっては、「趨勢」をとらえること自体が大変な作業であり、それは立派な「研究」の名に値するもののはずである。そして、そうした「趨勢」理解を前提して、種々の分野で発見された「趨勢」を歴史事象に当てはめていく作業は興味深いものであり、それが「社会科学的歴史」の意味だと思う。ただ、所詮、それは「法則」ではない以上、自然科学におけるような「科学性」を主張することはできないということになるだろう。
 この項の議論には舌足らずなところがあり、自分の積極的な見解の提示という本項冒頭の課題設定に十分応えるものにはなっていない。これをもっとふくらまして、社会科学論や歴史学論を本格的に展開しなくてはならないし、あるいはまた認識と実践の関係とか、自由主義思想と自由主義政策に対する評価といった問題にも踏み込んで行かねばならない。最初の心づもりとしては、そうしたことまでここで書いてみたいと思っていたのだが、それは予想外に大きなスペースと時間を要する大作業だということが明白になってきた。この小文は、中途半端なものではあるが、「読書ノート」にしてはかなり長大なものになってしまったし、私もやや息切れしてきた。残された課題については、またいずれかの機会に挑戦することにし、一旦稿を閉じることにしておこう。
 
 
(1)小河原誠『ポパー――批判的合理主義』講談社、一九九七年
(2)もちろん、中には、矛盾する二つの要素を含んだ論者もいるだろうし、そのような論者を念頭において批判をすることは確かに可能かもしれない。しかし、それは、ある意味で安易な作業ではないだろうか。自己矛盾を含んだ論者をやっつけるのはごく簡単なことである。しかし、歴史主義というものを、ある特定の論者の議論とするのではなく、もう少し抽象したレヴェルでとらえようとするのであるならば――そして、そうでなければわざわざ批判する意味も乏しいと思えるのだが――そうした矛盾を排除して、より理念型的に構成された概念を用いるべきではないだろうか。
(3)ここのところは少し補足しておいた方がよいかもしれない。「主体的努力」ということばかりを強調すると、純然たる主観主義のようにとられるかもしれないが、そうではなかった。過去および現状についてはできる限り精密な「科学的」分析をすべきだと考えていた。ただ、同時に、そうした分析は直ちに未来へ向かっての必然的経路を指示するものではなく、過去・現在の分析を踏まえた未来構想は主体的決断の要素をはらむという風に考えていたのである。より具体的には、前者は宇野弘蔵学派の経済学によって代表され、後者はやや実存主義的色彩を帯びた発想でとらえられていた。宇野経済学と実存主義とは奇妙な取り合わせとみられるかもしれない。しかし、宇野学派の「科学と実践の峻別」論は、「科学」の領域のみを経済学によって埋め、「実践」ないし「思想」の領域を空白に残していたから、そこをさまざまな思想で埋める余地があった。それを実存主義的傾向を帯びた初期マルクス疎外論で埋めるというのは、当時の「新左翼」としては比較的自然な組み合わせだったと思う。
(4)F・A・ハイエク『市場・知識・自由』ミネルヴァ書房、一九八六年の訳者解説による。
(5)本書二〇八頁に、自分はある時期まで自然科学のみを念頭においていて、社会科学については何も知らなかったという述懐がある
(6)なお、小河原の前掲書でも帰納法への批判が詳述されており、私を戸惑わせた。
(7)H・リッケルト『文化科学と自然科学』岩波文庫、初版一九三九年。なお、かつての私のリッカート理解、およびそれについての私の記憶は、かなり怪しいところがあるかもしれないが、そうした点についてはいまは立ち入らないことにする。
 
*カール・R・ポパー『歴史主義の貧困――社会科学の方法と実践』中央公論社、一九六一年
原書 Karl R. Popper, The Poverty of Historicism, London, 1957.
 
(一九九七年一〇月)
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