石田雄『社会科学再考』
 
 
《著者への手紙》
 
 石田雄先生。御高著『社会科学再考』をご恵贈賜わり、ありがとうございました。注の中で私にまで言及してくださり、感激しております。
 いつぞやもお話したことですが、先生と私とでは、大きなものの見方ではほぼ共通しているものの、私の方がややペシミズムが濃いという差異があるように思いました。といっても、もちろん、むやみやたらとペシミズムを説いて悦に入ろうなどという気持ちをもっているわけではなく、「このペシミスティックな気分をどうやったら克服できるのだろうか」という問題意識もいだき続けておりますので、そのような関心から、興味深く学ばせていただきました。
 そうした関心からいいますと、所与としての普遍的なものは存在しなくても、より普遍的なものを目指すことはできるし、そのために対話・コミュニケーションが重要だという論点に最も強く印象づけられました。現実に進行している種々の紛争・論争――極端な場合には暴力的衝突――をみておりますと、そうした対話・コミュニケーションが果たして成り立つのかどうかというペシミズムにまたしてもとらわれそうになってしまいますが、それでも、私流にいうなら一つの「祈り」(1)として、そのような方向を心がけるほかないのだろうと考えております。
 この「祈り」があるいは無力なのかもしれない――少なくとも、確実に有意とは限らず、だからこそ「確信」とはいえず、「祈り」と表現するほかない――という気がするのは、次のような状況を念頭においております。ボスニア紛争をはじめとする諸種の激しい紛争に対し、第三者的な立場にある知識人がしばしば指摘するのは、排他性の克服、他者への共感、寛容の精神といったことの重要性です。そうしたものが重要だという点では私も全く同意見です。しかし、流血の紛争が泥沼的に続いているのは、そうしたものの重要性についての理解が欠けているからという理由によるのでしょうか?
 しばしば、紛争の当事者は次のようにいいます。「自分たちは、寛容の精神の重要性をよく知っている。だから、自分たちとしては、過去の恨みを超えて和解してもよいと思っている。ところが、相手方が寛容の精神をもっておらず、われわれを攻め続けているという現実がある。そうである以上、われわれが一方的に武器を捨てることは、相手による残虐行為を永続化させることになり、絶対に容認できない。あくまでも自衛のために、やむを得ずこちらも武力に訴えざるを得ないのだ」。このような論理を双方が唱え、結局、いつまでたっても平和が訪れないということになります。この場合、抽象的な一般論としての寛容の重要性は、どちらの側も――少なくとも言葉の上では――認識しているわけです。そのような認識があっても、紛争は解決しないからこそ、事態はいっそう深刻なのではないでしょうか。
 このような紛争状況――暴力的なものに限りません――が続いているとき、第三者としての知識人も、極めて難しい立場におかれます。
 先生もご指摘のように、「社会の底辺にいる人たちの意見がすべて正しい」わけではなく、それらの人をロマン化して美化するのはしばしば危険です(二〇八‐二一〇頁)。しかし、現に、ある勢力と他の勢力とが激しく対抗しているという現実政治の磁場においては、どちらの側に味方するのかを否応なしに問われてしまうという現実があるように思います。仮に、権力により近い集団と権力からより遠い集団とを区別することができるとして――いつもその区別ができるとは限らないように思いますが、その点はいまは措くとして――「権力からより遠い集団の方に心情的には共感するけれども、その集団を丸ごと美化することもできない」という立場は、ややもすれば現実政治においては無力で中途半端なものとして、圏外にはねとばされてしまうように思います。「それでもよい。自分は研究者であって政治家ではないのだから、特定の集団に丸ごと肩入れすることはない」というのも一つの選択です(私自身、多くの場合にそのように振る舞うしかないように感じます)。しかし、それは現実からの逃避ではないか、きれいごとだけいって現実との対決を回避しているのではないか、そして、コミットしないでいることは結果的には権力側の優位を放置することになるのではないか、という疑問が投げかけられるのも避けられないように思います。
 私の場合、そのような疑問を意識しながらも、当面は特定の勢力に肩入れするようなコミットは避けるしかないということで、「迷いながらの傍観」という態度をとることが多いように思います。これに対して、先生の場合は、底辺の人々をロマン化することの危険を承知しながらも、敢えて「より底辺」「より周辺」とみなされる人々の運動へと接近していくという態度をとられているように拝察します。それはそれで十分に理解できるのですが、同時に、やはりそのような接近の中で「接近対象への批判眼」をいかに保つかという問題をもう少し明示的に論じていただきたかったという気がいたします。
 一例ですが、先生が高く評価しておられる一連のフェミニストの仕事には、性差別を実体化し、「陰謀理論」的に説明する傾向がなくはないように私は感じております。そのような実体化に問題があるということは御高著でも指摘されています(たとえば一五四‐一五六頁)が、にもかかわらず、そのような問題をかかえている議論について、やや甘い評価に傾いてしまっているという面がありはしないでしょうか。これは個々の例だけのことではなく、フェミニズムなり環境保護運動なりにかかわる人の議論をどう評価するかについて、しばしばぶつかる難問であるように感じます(私は、環境保護関係の文献はあまり読んでおらず、はっきりしたことはいえませんが、フェミニズム関係の文献はかなり読み、その全部でないまでも一部に、性差別の実体化、「陰謀理論」的説明があるのは否定しがたいように思います)。
 更に、ご著書の中には、「男性はすべて性差別の敵となり、女性はすべて味方ということになる」というような発想の問題性が指摘されています(一五五頁)。この指摘に私は賛成ですが、そこで新しい問題が出てくるような気がします。それは、「男ではあるが差別の加害者でない人」「女であるが差別の加害者になっている人」がいるとするなら、誰がそれに該当するかをどうやって認定するのかという問題です(問題のレヴェルを、個人ではなく、各人の個々の行動というレヴェルに移しても、同じ問題が出てきます。「ある人が普段は差別的だが、特定の局面ではそうでない」「いつもは差別と闘っている人も、ある局面では差別的になってしまう」ということは当然ありうることですが、具体的にどの局面がどちらに該当するのかをどうやって認定するのかという問題です)。生物的に女であるとか男であるとかが、ごく少数の両性具有者を除き一義的に確定できるのに対し、右の問いには、それほど明快に一義的な回答はなく、人によって異なる答がでてくるでしょう。
 そうなると、しばしば次のような両様の見解の対立が発生します。一方の極は、「女の中にも差別に安住している人は多いし、男も差別的とは限らないのだから、結局、女とか男とかにこだわる必要はない」とし、「要するに、どっちもどっちだ」ということで、差別の問題を事実上無視する意見です。他方の極は、「女でありながら差別に加担しているのは、意識の低い裏切り者だ。男の中で差別的でない人は、特別に許可して仲間に入れてやろう」という発想で、これはかつての前衛党主義を思い出させる発想ということになります。この両極はいずれも支持しがたいという点で、先生は私と合致すると思いますが、では、先の問題に対してはどのような答え方があるということになるのでしょうか。
 このような、ややひねくれたことを考えるのは、私が社会主義国の研究をしてきたこととも関係するように思います。社会主義政権が差別・抑圧の問題を解決しなかったというのは今日誰もが認める点ですが、その理由は、単純にそうした問題を放置した――あるいは、甚だしくは、自ら差別者側に加担して、問題を増幅した――という点にあるのではなく(そのような側面もあることはありますが、それだけではなく)、より複雑であるように思います。
 多くの場合、社会主義政権は、少なくとも建前や法制のレヴェルでは、弱者・被差別者・被抑圧者を優遇する政策をとったのですが、そのことが逆に、他の人々に、「あいつらだけが優遇されている。逆差別だ」という意識を生みだし、新しい紛争の土壌をつくりだしたという面があります。また、「弱者優遇」のためには行政介入というものが不可避であり、それが国家権力を肥大化させたという面もあります。だからこそ、今日、旧ソ連や旧ユーゴスラヴィアの民族問題は、古典的な帝国主義時代における以上に複雑な形をとり、「誰が悪者か」「誰が被抑圧者か」を簡単に特定できない状況を生み出しているのだと思います(常識的に「侵略者」「支配・抑圧する側」とされるロシア人やセルビア人の側に、独自の被害者意識があるのはその好例です)。
 こうした状況は、それ自体としては社会主義国に特有なものですが、アメリカで「アファーマティヴ・アクション〔積極的格差是正措置〕の行き過ぎ」とか「PC〔ポリティカル・コレクトネス〕運動の教条化」などが指摘されている状況は、ある種の共通性があるかもしれません。日本の場合は、まだアファーマティヴ・アクションが全体として「行き過ぎる」ところにまではいっていないでしょうが、部分的な現象として、あるいは将来の可能性としてであれば、全く無縁でもないような気がします(2)
 
 このように考えてきますと、御高著の構成にも、多少の不満――「ないものねだり」であることは承知の上ですが――が出てきます。というのも、全体として、保守的な思潮への批判はたいへん鋭利ですが、「進歩的」知識人の営為の自己批判的再検討という作業には、それほどの重点がおかれていないような気がするからです。確かに、「進歩派」でさえもジェンダー問題や環境問題に目を十分向けていなかったという反省は述べられています。しかし、それは、いわば「進歩派の中にあった保守性」ともいうべきものに対する批判であって、「進歩的」思潮それ自体の内在的再検討ではないように思います。
 より具体的には――これは私が社会主義国の研究者であるための我田引水かもしれませんが――御高著には社会主義への言及がほとんどありません。もちろん、先生を含む戦後日本の「進歩的知識人」の多くは、決して教条的マルクス主義やソ連型社会主義をそのまま奉じてきたわけではありませんから、ソ連が崩壊したからといって、その意味で直接あわてふためく必要はなかったでしょう。しかし、拙著『社会主義とは何だったか』(特に、その第[章)で私が述べたように、「広義の左翼」と「狭義の左翼」とを区別するなら、ソ連崩壊は直接には狭義左翼の敗北を意味したにしても、間接的な意味では広義左翼にも決して無縁ではなかったという問題があるのではないでしょうか。
 御高著でも、そうした問題が全く触れられていないというわけではありません。例えば、中国に関する虚像のことに触れた個所があります(本文五四頁および注の二四二頁、注一八)。ところが、そこに「研究者の問題は、後の叙述の対象に譲る」と書かれているにもかかわらず、私が気づいた限りでは、後の方を読んでも、研究者の中国認識の問題については、あまり立ち入った論述がありません。このような問題があったということ自体は意識されているのに、それを主題として論じるという形にはなっていないように思われます。
 もう一つの例は、社会科学者の社会的活動を四類型に分けて論じている個所(二二三頁末尾以下)で、反体制運動や市民運動へのコミットが類型としてあげられていないことです。日本の「進歩的知識人」には、何らかの形でそうした運動にコミットした経験をもつ人が少なくない以上、この点も批判的検討の対象になってもよかったのではないでしょうか。もっとも、反体制組織への所属の問題が取り上げられている(二二六‐二二七頁)のは、この問題への部分的回答になるのかもしれません。しかし、これが主要な「類型」の中にあげられていないだけでなく、論じ方も、個人と組織所属の問題という風に限定されています。組織所属というと、日本共産党とか民主科学者協会とかへの所属といったことをすぐ思い浮かべますが、そうした特定組織に属さない、いわばノンセクトでの反体制運動や市民運動へのコミットというものもあるわけで、それらについて、単に個人と組織という観点からだけでなく、社会科学者の社会的活動の一類型として論じる必要があったのではないでしょうか。
 もっというならば――これは直接には論じにくいことだということを百も承知の上で、敢えて暴言を吐くことになりますが――先生が長らく在職された東大社会科学研究所(社研)の半世紀をどう振り返るのかという問題があります。戦後日本の社会科学史の中で社研が果たしてきた役割が大きかっただけに、社研はいま大きな曲がり角に立っているように、はた目には感じられます。数年前、社研が主催した社会主義をめぐるシンポジウムで、加藤栄一さんが社会民主主義の再評価を自己批判的かつ情熱的に説いたことを印象深く思い出します(3)。ところが、それから数年たった昨年の社研シンポジウムでは、社会民主主義さえも忘れ去られて、社会主義の社の字も出てこないという雰囲気でした。私の社研との縁は、わずか三年間の助手時代だけですので、それほど強い思い入れはないとはいえ、やはり今昔の感に耐えません(4)
 政治学という領域に関してつけ加えるなら、次のようなことを感じることがあります。つまり、経済学の世界では、かつてマルクス経済学vs近代経済学という構図があっただけに、最近のマルクス主義凋落を正面から受けとめざるを得ないというところがあるように思います(少なくとも、ある程度以上誠実な人の場合には)。これに対し、政治学の世界では、マルクス主義政治学vs近代政治学という対立は従来存在せず、これは一つの強みであったわけですが、それだけにかえって、マルクス主義の凋落について、「自分のこととして受けとめないでも済む」ということでやり過ごしてしまう嫌いもなくはないような気がいたします。教条的なイデオロギーにはとらわれてこなかったにしても、何らかの意味でマルクス主義の影響を受けてきたのであるならば、やはりそれはそれとして総括すべきことのような気がするのですが。
 
 妄言ばかり連ねましたことをお許しください。今後も御教示くださいますようお願いいたします。
 
 
(1)塩川伸明『社会主義と何だったか』勁草書房、一九九四年、二一〇‐二一一、二一八頁など。
(2)これらの問題について、この小文で書いたことをも一つの出発点としつつ、後に書いたのが、塩川「集団的抑圧と個人」江原由美子編『フェミニズムとリベラリズム』勁草書房、近刊所収予定である。
(3)加藤栄一「SPD・福祉国家・共産主義」東京大学『社会科学研究』第四三巻第一号(一九九一年)。
(4)この点について、この小文を書いたよりも大分後に、塩川「『二〇世紀』と社会主義」東京大学『社会科学研究』第五〇巻第五号(一九九九年)、四八‐四九頁で述べた。
 
*石田雄『社会科学再考』東京大学出版会、一九九五年
(一九九五年七月に執筆して実際に出した私信をもとに、一九九五‐九六年に、注をつけるなどして一部改訂)
 
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