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梁川通り

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黄緑のライン・・・梁川通り
北海道小樽市
五稜郭の戦いに敗れた榎本武揚はかつて、稲穂町一帯の土地を所有していた。梁川通りの名は武揚の号が「梁川(りょうせん)」であったことに因んで名付けられている。駅前中央通りを挟んで南側が「都通り」、北側が「梁川通り」となっている。梁川通りは、駅前の中央通りから、龍宮神社から下りてくる龍宮通りまでの区間をいう。榎本武揚は所有地の一角に小祠を設け、これが今日の龍宮神社の前身といわれている。龍宮神社には榎本武揚の銅像が建立されている。通りの西側にある朝日生命ビル付近が武揚と国道が設立した北辰社のあった所といわれている。北辰社は小樽の市街地開発を進め、小樽発展の基礎を築いた。
1872(明治5)年、開拓使は「土地払下規則」を発し、北海道の土地を開墾することを促進するために、安価で売り出した。これにより小樽(現在の小樽駅周辺)の土さ地20万坪を第四代北海道庁長官の北垣国道と共に払い下げを受けている。北垣国道の号は静屋といい、梁川通りの西側に静屋通り(ピンクのライン)としてその名を残してる。
 
 
榎本武揚像 東京都墨田区梅若公園内にて
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