傘の餅の話
 
満中陰のとき、傘の餅と呼ばれる餅をお供えすることがあります。亡き人の地獄での責め苦を和らげてくれるといわれるこの餅は、一体何なのでしょうか。
 
傘の餅が、いつ、どこで、何のために作られるようになったか、その詳細は不明ですが、調べてみたら同様のことが日本各地で行われていることが分かりました。ただし呼び名は様々で、満中陰の餅、四十九餅、忌明(きあ)け餅、笠の餅、などとも呼ばれています。
 
傘の餅の作り方は、まず餅米一升をひと臼でつき、その三分の一で丸いのし餅を作り、残りを四十九の小餅にします。小餅の数は満中陰の日数に合わせたものでしょう。そしてお盆に半紙を敷き、その上に小餅を山に盛ったり、七つずつ七段に積みあげたりして、一番上にのし餅をかぶせるように載せます。
 
傘の餅の名はこのかぶせる餅の形から来たようですが、傘の餅の名がのし餅だけを指すのか、小餅まで含めた全体を指すのかははっきりしません。米を一升にするのは人の一生に通じるからといいますが、一升では餅が小さくなるのでたいていは二升か三升にします。
 
そして法要のあと、丸いのし餅を切り分けて、笠をかぶり杖と数珠(じゅず)を手にした遍路姿の人型を作ります。笠の餅の名はこの人型の笠から来たのでしょう。切り方や人型の形はさまざまで、単に小さく切り分けるところもあって、これが正しいという切り方はありません。切り方の具体例はネットで検索すると見つかります。
 
そして最後に皆で食べたり、持ち帰ってもらったりします。体に痛い所のある人はその部分を食べるといいと言われ、亡くなった人が痛みを持って行ってくれるということのようです。
 
人型の餅は亡き人の体と見なされているらしく、遍路姿にするのは浄土への旅立ちを表していると考えられます。亡くなった人を昔は、わらじ脚絆に笠を添えた遍路姿で納棺することがありました。それと同じ趣旨です。またこの遍路姿の人型を弘法大師とする所もあります。
 
結論としては、本来この餅は、貧しい人や飢えた動物や、さらには迷える霊や餓鬼たちに、追善供養として施す食べ物であったと思います。昔、餅はめったに口にできない贅沢品でした。その貴重な餅を亡き人の冥福を祈って喜捨したのが、傘の餅の起源だと思うのです。葬儀のときに会葬者に配る粗供養も、本来は追善供養のための喜捨の品であったといわれています。
 
そしてこれらの喜捨は、お盆のときなどに行われる施餓鬼(せがき)の法要と、趣旨は同じです。傘の餅が地獄の責め苦を和らげてくれるといわれるのはそのためでしょう。

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