多聞寺 − 唐櫃からと in神戸 

兵庫県 神戸市北区有野町唐櫃  多聞寺

平家 平清盛ゆかりの寺
 福原京守護寺

「イラスト工房ユニ 」 へようこそ。
今回は 多聞寺 と呼ばれる寺の紹介です。

多聞寺 という名称の寺院は全国的に数多くあります。
ここに紹介する兵庫県神戸市の多聞寺といっても 神戸市内だけでも三寺を数えるほどです。
それぞれは別個で関連はありません。 
多聞寺という名称は仏神の 多聞天 に由来していると思われます。

多聞天とは? 
   当ページ末尾に注釈を入れています。


数多くある 多聞寺 のうち当サイトで紹介するのは 神戸市北区の 唐櫃(からと) という地区にあり 平家の平清盛ゆかりの寺院です。
  神戸市の他の多聞寺 → ページ末尾に紹介しています。

当多聞寺は 神戸電鉄「神鉄六甲」駅 のすぐ前に山門があり
「六甲山 真言宗 多聞寺」
という標識が立っています。 
「平清盛公祈願所」 となっており正式名称は
「六甲山吉祥院多聞寺」
で毘沙門天がまつられます。 
(毘沙門天とは → ページ末に注釈しています。)

創建はきわめて古く 西暦650年頃 孝徳天皇の治世の時とされています。
大化改新直後のことで 仏教伝来から100年程も経っていません。  
当初の所在地は現在の地より1.5キロばかり南の 古寺山(ふるでらやま)というところでした。  当時は日本の仏教の様式がまだ確立して おらず  天竺(インド)の僧侶によって建立されたとされています。
日本最古の寺は590年ごろ創建の 法興寺(飛鳥寺の前身) とされており それより僅か50−60年ばかり後のことです。      この頃 法隆寺はまだ創建されていないと考えられます。    いかにこの寺が古い来歴をを持つのかが分かります。

ここから僅か数キロ離れて ”有馬温泉” という日本最古の温泉場が当時すでに存在していました。
孝徳天皇(596-654)  はこの温泉を愛して長く滞在されており また仏法を非常に尊重された天皇でもあることから この 寺院創建に直接または間接的に関連したとするのが妥当ではないでしょうか。


その後 やや荒廃しましたが 九世紀に高野山の僧侶により再建されました。  その時に真言宗となったようです。

<多聞寺と平家>
平清盛が1180年に 都を福原  (現在の神戸市 福原地区)と定めた時 鬼門(丑寅:北東のこと)にあるこの寺を新都の守護寺と定めました。
そして領地を与え 京都の八瀬大原から多数の人々を呼び寄せ その寺近くに移り住まわせました。
多聞寺が新しい都で 京での鞍馬寺(鞍馬山)の役割を果たすことを望んだ故でした。    その並々ならない力の入れ方から いかに平清盛が当寺院を重要視していたかが伺われます。
平清盛について → ページ末に注釈を入れています。

平清盛の死後 源平合戦が起きました。 
源義経の別働隊である 多田源氏 が平家追討の戦の応援を求めたのですが この寺は拒否しました。  怒った源氏方はこの寺を焼き払い領地も没収してしまいました。 
平家に恩顧を受けた者達や寺社までも 平家の形勢不利とみるや ほとんど皆が裏切って源氏方になびいたのですが この寺ひとりだけは変わることなく平家に味方をしたのです。
裏切りを潔しとせず  たとえ滅ぼされることになっても信義を守った ことは後世に語り継がれるべき立派な態度です。  
<註> 多田源氏 とは:
多聞寺を焼き払った多田源氏は 多田庄(現在の兵庫県川西市あたり) を支配していた豪族で 裏切り たれこみ を繰り返した評判の悪い源氏の一族です。
結局は後に源頼朝により源氏から追放されました。   追放の理由はさまざま憶測されていますが源頼朝が そのさまざまな行状から源氏の武士道にふさわしからぬ一族 と みなしたためとするのが妥当でしょう。 


平家と運命を共にした多聞寺はその後荒廃してしまいました。
しかし時代が変わり 室町期に入ると 古寺山から1.5キロ北の現在の場所に移転される形で再建され 面目を回復しました。
以後も変わることなく 平家寄り を標榜しているようです。
もとの古寺山には創建時の礎石が残されているとされます。 

現在の多聞寺は きわめて質素なたたずまい なのが好感をもてます。 
元の場所から移転したとはいえ また短い間とはいえ 日本の首都(福原京)の守護寺であったという風格をたたえています。

なお 明治6年(1873) 当多聞寺の境内に簡易小学校が設立され現在の ”神戸市立唐櫃小学校” の発祥の地とされます。    神戸市では最古の歴史を持つ小学校の一つ ということになります。

< 多聞寺を囲む草木 >
本堂裏には杉の大木があり 正面には神戸の名木に指定された「かやの木」の巨樹があります。 
また花径13−14センチにもなる巨大な花を咲かせる椿の木が幾本もあり 花期には一見に値します。
原種に近いサザンカの木 もあります。 (花びらと花びらの間に隙間がある花)
脇参道(階段横の地道) には春には タチツボスミレ の群落が見られ 夏には野草の ギボウシなどが咲くようです。


また当多聞寺の周辺は ノジギクという西日本に自生する野菊の 北限(日本で最も北に位置する場所) の可能性が濃厚です。

<註> ノジギク(野路菊)とは : 
晩秋11月ー12月に咲く花径2−4センチほどの 気品のある白い野菊です。  分布は兵庫県を東端および北端とする西日本の瀬戸内海側で  「兵庫県の県花」 に指定されています。
最近 当寺の南の方で小さな群落が数箇所発見され 「日本で最も北に咲くノジギク」 と思われます。 

なお「多聞寺」自体の敷地内にも存在する可能性があります。   もしそうなら当寺院は貴重な 日本北限のノジギク のシンボルといえる場所になります。    「野路菊寺」 という別名がつけられてもいいかもしれませんね。
しかし当寺ではノジギクなど野菊には全く関心がないようで  もし存在しても保護する意図など無いと思われるのが残念なところです。

    



<神戸市内にある他の多聞寺の案内>
「多聞寺」  神戸市垂水区多聞台。  
平安期(西暦840)開基  天台宗。
山陽電鉄舞子駅より  山陽バス 54系統 「多聞寺前」下車。
神戸市垂水区の地名にも取られており 神戸にある多聞寺のうちでは 最も知られた存在でしょうか。 
3000株ものカキツバタで有名なお寺です。  五月中下旬が見頃で 息をのむほど壮麗な眺めです。    この時期に訪れてみられてはいかがでしょうか。


「多聞寺 (北野山多聞寺)」
神戸市北区長尾宅原 。
曹洞宗(禅宗)。  神戸電鉄横山駅下車 徒歩約8分。

明治時代に三寺が廃寺となり 明治28年に統合創立さたということです。     所蔵される 毘沙門天像 吉祥天女像 地蔵菩薩立像 の三像は国の重要文化財に指定された非常に貴重なものです。  拝観されてはいかがでしょうか。
毎年 1月13日に公開されるそうですが 念のために寺院にお問い合わせください。    問い合わせ先 : 078-986-2701



<注釈>
多聞寺の名称の由来と思われる 「多聞天」 とは?
インド神話に由来し 仏教の天部の武神である 四天王の一つです。  他の武神である 持国天 増長天 広目天 と合わせて四天王となります。
日本においては 革製の甲冑を身につけた武将風の姿で持物は宝塔なのが一般的です。
四天王の一尊として造像され安置される場合には多聞天と呼ばれます。 そして独尊神として造像され安置される場合は  「毘沙門天」  と呼ばれます。  毘沙門天と多聞天は根本的には同じものなのですね。

ついでながら吉祥院に名をとられる 吉祥天とは?
毘沙門天の妃または妹とされる女神です。 
吉祥とは 繁栄 幸福を意味します。  吉祥天女像として美しい女性の形で造像されることが多く 西欧のアフロデイテやヴィーナスに似た面があります。
神道でも取り入れられ 例として吉祥院天満宮 があります。



<註釈2>
平清盛    (1118-1181)
京都の 六波羅蜜寺 の平清盛座像(重文)を参考にしたイラストです。  51歳で出家しています。
平家の棟梁 平忠盛の嫡子ですが  確証はないものの実父は 白川法王 とする説がかなり有力です。
(後白川法王ではありません)。
清盛は福原遷都の翌年63歳で死去したため福原京(神戸市兵庫区あたり)は完成することなく終わりました。

行き詰まっていた貴族政治を終わらせ  その後数百年にわたる武家による政治を創始した人なので 革命家 といえるのではないでしょうか。
その人柄については色々といわれていますが 実像は温厚で人情の厚い人だったようです。

飯炊きや掃除夫など最下層の召使でも一人前の人として扱って気さくに話しかけ 家人たちから慕われたとか。
朝早く目がさめても 周囲でまだ寝入っている家来とか家族などを起こさないよう気ずかって 音を立てぬようにそっと 起床した とか
といったことが 「愚管抄」 などに記されています。

平清盛が創始した 武家政治 はこの後 源頼朝 に引き継がれました。
源平という敵対する家柄でありながら 源頼朝は命を救われたといういきさつもあり 平清盛を深く尊敬 していたといわれています。

     野路菊

≪筆者コメント≫
筆者は イラストレーター であるかたわら 市井の野草研究家です。
唐櫃の多聞寺のやや南よりが ノジギクと呼ばれる美しい野菊の北限(日本で最も北に咲く場所) に当たることを突き止め その旨をブログに掲載しました。
すると多聞寺を検索する方々が間違ってそのブログを訪れることがしばしばあるので困ってしまい   やむなく別途に多聞寺を紹介するサイトを作成することになったが当ブログです。

当サイトと多聞寺さんとはいっさい関係ありません。
筆者が独自に調べたことを寄せ集めて 勝手に作成したブログに 過ぎないことを理解ください。
難しい人名や年号などはあまり意味がないと考えて出来るだけ省略し わかりやすく読めるように心掛けたつもりです。


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