<座談会>検証・独立論「けーし風No.17」(97・12)
この座談会を読む限り、新川明vs新崎盛暉の勝負ははっきりしている。
しかし、それは「論争」での勝利でしかない。それ以上に、新崎さんの批判が「5.15闘争で苦労しているのに、喜納昌吉なんかと組んで、マスコミ受け狙いの放談会をやってる」という低レベルのものでしかなかったから論争そのものも「不毛」とか言いようがなかった。
新崎さんと言えば、自他共に認める沖縄の反基地運動の「顔」であるが故に、座談会冒頭で新川さんが「五月のタイムスの月評で新崎さんが独立論に対して、ナンセンスとしか取れないような批判的発言をした真意はいったい何だったのかが、僕にとっては非常に関心がある。……その真意を知りたい。」と述べたのである。だが残念ながら、新崎さんは「真意」を語ることをせず、「言い訳」に終始してしまった感がある。そして、自らを「没思想的経験主義」とすることで論争を回避してしまった。
論争を整理してみると第一に、「現実の運動を重視する」新崎さんに対して、どのような運動にとっても「理念」が大切であることを新川さんは突き出す。しかし新崎さんは、〈「理念によって運動をつくっていく」新川と、「運動の中からそういうのを獲得していったり展望していく」自分(=新崎)〉という対比構造を作り出すことで、議論を曖昧にしてしまった。
沖縄の運動にとって、「いかなる理念か」が鋭く問われているとする新川さんは、「理念によって運動を作るのではない」事を強調したが、それは彼にとって「復帰運動」の総括も含め、歯ぎしりする思いであったことは容易に想像できる。(彼は「復帰という選択は、僕は絶対に間違っていた」と断言。)だからこそ新崎さんも「理念」を語るべきであったのだ。そうすれば、「自立・独立論」について「居酒屋談義にすぎない」という揶揄嘲笑ですませるわけにはいかなかったろう。(もっとも新崎さんも論争過程で「自己決定権」なるものを提起してはいるが。)
さらに付け加えておけば、復帰運動に対する自己批判も総括もしない「感性の鈍い運動体」と「その連中が民衆を組織して支えている運動が果たしている役割というのも僕は切り捨てられない」と語ることで、これまた「民衆を切り捨てる新川」という批判を暗に繰り返す。
第二に、新崎さんは「意識の面だけで独立論が語られていて、生活構造はますます日本という国家に依存するような状況になっている。そういう生活構造の上での依存関係をどう断ち切るかこそ現時点での最大の課題ではないか」ということを一貫して強調している。しかし、それを「自立・独立論批判」として持ち出すことは全くの的外れか、タメにする批判でしかないのではないか。さらに「ヤマトゥ国家と沖縄社会の対立図式を作り出してきた反権力指向を拡散するカタルシスの役割を果たしている」と意味不明な論点で補強し「自立、独立論」批判を展開する。彼は自分のよって立つ思想的基盤を、鮮明に打ち出すべきなのだが、なぜそうしないのだろうか。そして、そした第三の問題とも絡むが、現在の百花斉放的(雑多な)「自立、独立論」をはっきり区分けして見せればいいと思う。そうしなければ、“新城(和博)君みたいな「穏やかな独立論」もあれはあれでいい”などと「評論」すること自体、恣意的な区分けで問題をはぐらかせているとしか言えない。
第三に、新崎さんは「独立というのは、僕は決断の問題だと思う。ところが、独立論というと経済的にはどうするかという話になっちゃう。飯が食えなければ独立しないのか、それは選択の問題ではなくて、決断の問題です。」という指摘に対して、新川さんは「それはそのとおりだと思う。だから、独立といった場合に、普通は、経済的にはどうするのかという話や質問は、逆にどっぷり浸かっている側から出されるわけ。おまえたち、独立というけれども、じゃあどう食うつもりかと。その議論は逆の方から出てくる。……今の生活レベルをどれだけ落とせるかの話です。血を流さないままで今のおいしい生活のままでさらにおいしい独立を夢みるなんてこんなムシのいいことは話にならない。」と70年前後から今日に至る歴史を踏まえて答えている。にもかかわらず、新崎さんは自らの反権力闘争なるものの内実を開陳しないまま、「今の独立論的な、社会的雰囲気をきちんと反権力闘争に凝縮しないと、フリーゾーン構想だとか一国二制度にからめとられてしまうという気がする。一国二制度などは、基地をゆすりのネタにして金を取るものにしか僕には見えない。/それを、新川さんが独立論と結びつけるのはおかしくないですか。」と批判。当然の事ながら新川さんは「結びつけるのと、僕がそれを了解しているのとは違う。」と反論した。ここでは、逆に新川さんがもう一歩踏み込んだ議論をぶつけて欲しかった。
こうして、「あの居酒屋独立論批判とは何だったのだろうか」という思いが残ってしまった。司会の岡本恵徳さんが冒頭で「未来構想を重視するのと、現実の運動を重視するという、この二つのポイントの置き方の違い」と語り、結びで「理念を大事にするという立場と、運動の積み重ねからだという方向性の違いはあるけれども、自己決定権こそが基本的に重要なんだというところで共通の立場に立っている。」とまとめてしまったのでなおさらであろう。もっとも屋嘉比収さんが「思想的枠組みとか、あるいは運動に対する考え方とか、これはやっぱり違っていたという印象を持ちました。」と付け加えている。今の沖縄の現状を鑑みると、岡本さんのようなまとめは、誠実であろうとしているのは誌面から充分伺えるが、しかし、問題を曖昧なまま先送りにしているように思えてならない。
座談会は座談会として、この論争はさらに深められなければならないのではないか。
とくに岡本さんの“いろいろな独立論の中には新城和博という若い世代まで入っていて、それこそいろいろな人たちがそれぞれ「私」として独立を思考している。ということは、もうこれまでのような議論では先に進まなくなっている。「私は」ではなくて、「われわれは」という議論をしなければならないところまで、独立論は展開しているのではないか。”という指摘は重要だろう。屋嘉比さんも「(僕なんかも)現実を考えると安直には言えないが、しかし独立志向はある。」と語りつつも、「現実に運動をしている人たちの新川さんに対する違和感。」としか触れていないが、この「違和感」を解きほぐすこと、ここらあたりに糸口はありそうだと思われる。「基地返還アクションプログラム」や「国際都市形成構想」にせよ、「一国二制度」や「全県FTZ(フリートレードゾーン)」にせよ、さらには、復帰前後の「沖縄州構想」や、その後の「特別県制」や「自治政府構想」など、それこそ新崎さん自身が語るごとく“新川さんたちは、運動体を切り捨てるのではなくて、彼らを理念の力によってつかまえる努力をすべきじゃないか”という批判を受けて、「自立・独立論者の怠慢」(新崎)についてもう少し考えてみる必要がある。
私たちはここから、「沖縄の自立解放」に向けた実践的な方向に一歩踏み出す必要をみることができる。但し、あくまでも沖縄人民の主体を前提にすることが肝要であることは言うまでもない。(2000.12.27)
「けーし風No.17」(97・12)の抜粋
岡本恵徳/1995年の9月に例の不幸な事件があって、その後、知事の代理署名拒否、政府が特措法を改悪するという、そういう中で改めて独立論、自立論が広がってきたと思う。そしてその背景には二つほど問題があって、一つは特措法改訂に象徴される政府の沖縄に対する姿勢に対して、差別だという形での反発、怒りがある。もう一つは沖縄側の内部の問題として、復帰後、沖縄で反基地闘争なり平和運動は盛りあがるけど、その都度、住民の要求は経済振興策にすり替えられてしまい、運動はそれを乗り越えきれない。同じような繰り返しでここまでずっときているということがある。従来のような運動では、そういうパターンを突破できないという苛立ちが、独立論・自立論の背後にあるんだろうと思います。
二人の立場というのは、未来構想を重視するのと、現実の運動を重視するという、この二つのポイントの置き方の違いという感じもするけれども、そのへんがどうなのか、そうだとすればその接点で、この問題を掘り下げていくと、沖縄の思想と運動の展望が開けるのではないかというのが、この座談会を開いた意図です。もう一つは、これまで新川・新崎というと金武湾闘争とか、70年代以降いっしょに運動を進めてきたという印象が強いわけで、その二人の間に論争が起きたのは、どういうことなんだろうか。
新川明/ただその前に、五月のタイムスの月評で新崎さんが独立論に対して、ナンセンスとしか取れないような批判的発言をした真意はいったい何だったのかが、僕にとっては非常に関心がある。
その真意を知りたい。
新崎盛暉/なにしろ僕の文章が思いがけない議論のきっかけになっているのは確かだから
僕としては特に独立論を問題にしたというよりも、こういう社会的雰囲気が、あの時点においては大きな問題であると考えざるをえなかった。
「村山が大田を訴える」ことから始まって、沖縄の世論を踏みつぶす形の特措法改悪に至る過程で、ヤマトゥ国家対沖縄社会の対立図式は深まる。そうした状況を、目先の変化を追い求める無責任なヤマトゥ・ジャーナリズムがはやし立てる。
それは、ヤマトゥ国家と沖縄社会の対立図式を作り出してきた反権力指向を拡散するカタルシスの役割を果たしているのではないか。
僕が言いたかったことは意識の面だけで独立論が語られていて、生活構造はますます日本という国家に依存するような状況になっている。そういう生活構造の上での依存関係をどう断ち切るかこそ現時点での最大の課題ではないかということです。
僕の舌足らずなところもあるのだろうが、「居酒屋独立論」という、言葉だけを全体の文脈から切り離してまるで独立論者への揶揄嘲笑として受け止めている人たちもいるらしい。
それからもう一つ、これまでいっしょにやってきた新川さんとの違いは、初めからわかっている部分があります。それは反復帰論の段階から新川さんといろいろと話をしていたことであって、違いはあっても別に対立はないものだと思っていたけれど、この考え方の違いがこの間はっきりしてきた。
あそこ(自立フォーラム)でも接続的な運動体に発展させていきましょうという話だったけど、結局はそうならないまで、また激論会。これでいいんですか、という思いが僕にあったのか間違いない。
なぜ、あの時とあれを書いたのかといわれると、直接的きかっかけは『金曜日』とのやりとりです。しかし、その底には、意識は独立、生活構造は依存の深まり、こういうことに対して僕が強い危機感を持っていて上滑りな独立論的なものがジャーナリズムで花盛りというのでいいのだろうかというのがあった。それが僕にあれを書かせた動機です。
新川/なぜ書いたのはわかったけれども
沖縄における自立・独立論を考える者に冷や水をぶっかけるようなことを書いた真意がまだよく理解できないですね。
僕は、激論会の報告集の中で「居酒屋独立論、結構ではないか」と書いた。「ありがたい話だ、涙がこぼれるくらい嬉しい現象」というふうにまで、書いたんですけれども、激論会に集まった人たちの中にも、またそこに来なくても自立や独立と言っている人たちの中にも、日常生活では、そういう生き方をしている人たちも相当数いるだろうと思う。だからといってひと括りにして、独立論は、現在の特措法、海上ヘリ、県が出している国際都市形成構想、その他を含めて、沖縄が今直面している、社会的、政治的、経済的もろもろの問題に対して何ら役に立たない議論であるような括り方は、これはどうしても納得できない。もちろんさっきのような指摘は大事だし、自立、独立論が、さらにどのように深められ、具体的な形をその後つくり出したのかということは問わなければならないけれども。
しかしながら、僕は逆の意味で、例えば「独立」という言葉自体が公にというか、居酒屋論議も含めて気持ちの上での抵抗もなく、あるいは他所からの抵抗もなく語られるという、そういった社会的な雰囲気にようやくたどりついたなという感慨の方が非常に強いんですよ。そういった矢先だったものですから、新崎発言に対する反発が強い。
実質的に自立論、独立論というものの骨格となる部分は80年代初めの議論の中でいろいろ語られてきているわけで、そういう面では、ようやく実質的な議論が深まる、広がりを持つ場がやっとでてきたという感じです。
新崎/ところが、今、ほんとうに半歩踏み出しているかというと僕はそうではないと思う。がっちり、下部構造を権力に押さえ込まれて、言葉の上では何でも言えるような雰囲気という、これこそ危機的な状況ではないのか、というのが僕にはあるんだな。
新川さんは50年、100年と言うけれども、僕は例えば海上へリポートが今造られたら50年、100年先に沖縄があるんだろうかという危機感が強い。沖縄はもちろんあるでしょう。しかし、それは沖縄の抜け殻に過ぎない
新川/独立論をいう場合にへリポート問題とか、特措法問題には関係ない議論でしかないというのは、これは誤解だと思うんですよ。いわゆる独立論者の中で海上へリにしろ特措法にしろ、まじめに考えている人たちはたくさんいるわけよね。独立論者はそういった現実の状況については無関心で、50年後、100年後の夢を語っているみたいな括り方はおかしい。ただしかし、僕は反復帰論の頃からそうだけれども、運動をするにしても、その人の意識の根底のところに何を持っているのかがいちばん大事だと思っている。そういった意味では、自立、独立という理念を引き据えておかないと、状況に対する対応の仕方も弱くなるというのが僕の基本的な考え方だから、何も新崎さんのように苛つくこともないじゃない。もっとのんびりいきましょうよ、という感じでいる。
新崎さんが批判したヤマトゥのジャーナリズムの沖縄独立論騒ぎは、あたかも沖縄で直ちに独立の大々的な運動が起こるかのような、あるいは起こってくれないかなという、という無責任な煽動でもあるわけだが、そんなものに踊らされない私たちのスタンスを示す意味もあります。つまり真の自立、独立を獲得するための“志”は50年、100年も持続しますよ、という決意表明でもある。
屋嘉比収/去年の最初に、「思想の科学」の沖縄大会が名護でありまして、その時に、僕より次の世代の新城和博さんが、独立論をぶちまけた。彼の言うところによると、70年代のように肩肘張って、眉間に皺を寄せるのではなしに、沖縄は日本と違うから、明るい形で独立論を言う、自分は言い続けるんだという話をしていた。それは完全に、居酒屋論議の延長線上で言っていて、その彼の発言に対し、鶴見俊輔が、あなたは国会での論議とその「居酒屋論議」とどちらが真実性を持っていると思うか、という質問をしました。僕は「居酒屋論議」を吸い上げることのできない思想はやはり力を持ちえないのではないかと思う。
しかしその際に、70年代から出てきた議論がほとんど変わってない。「居酒屋論議」の水準で推移している点に、独立論を言った人たちに対する批判が多分あったと思う。そのレベルと、一方では「居酒屋論議」をもう一度問い直す、独立論議が質的に80年代からほとんど積み上げられていないにもかかわらず、広範に議論されるようになってきた。これをどうとらえるかという問題は、沖縄の戦後思想を考えるときに、僕は意味のあることだと思います。
新崎/僕は新城君みたいな「穏やかな独立論」もあれはあれでいいと言っている。しかしその上で、どこに凝集させていくかということが必要じゃないかと言いたい。例えば、研究会などでもっと固めていく必要があるのではないかと言っているんです。つまり、常に何かのときに独立を言って、いつの間にか立ち消えになることに、僕の苛立ちはあった。だから擬集点をどうするんだとということであって、居酒屋で独立論議をすることが悪いとは言ってやしない。要するに、非日常的な部分ではそういうことを言っていて、日常の生活では、政府に首まで押さえられているではないか。そことどう対決するんだと。僕自身は、例えば逆格差論とか、生活の質を見直さなければいけないだろうという議論を、自分なりには対置させているつもりです。そういう方向性が、日常の部分で必要だろうと言っているだけだ。
新川/だから逆に、高率補助の社会にどっぷり浸かっている状況を断ち切る意志として独立という発想が出てくる。それに浸かっていることをよしとするところ出てくるはずはない。
新崎/独立というのは、僕は決断の問題だと思う。ところが、独立論というと経済的にはどうするかという話になっちゃう。飯が食えなければ独立しないのか、それは選択の問題ではなくて、決断の問題です。食えなかったら、どう食う努力をするかというのは、独立を決めて後の問題だと思う。
新川/それはそのとおりだと思う。だから、独立といった場合に、普通は、経済的にはどうするのかという話や質問は、逆にどっぷり浸かっている側から出されるわけ。おまえたち、独立というけれども、じゃあどう食うつもりかと。その議論は逆の方から出てくる。
(新崎−血を流すというのは、賛成できない)これは比喩です。血を流すというのは、今の生活レベルをどれだけ落とせるかの話です。血を流さないままで今のおいしい生活のままでさらにおいしい独立を夢みるなんてこんなムシのいいことは話にならない。独立の決意とか決断とかは、自ら血を流せるか否かの決意、決断のことなのです。
独立論と言った場合、非常に幅が広い。一国二制度も、独立論を射程においた一つのステップとして考える人たちもいる。国際都市形成構想もそのほんとうのおかしな姿がだんだん見えてくるはずだが、しかし、あれを言い出したときには、吉元副知事がテレビやなんかで、独立という言葉を使ったりしながら、出してきた。これは日本政府に対する効果をねらっての発言だったかもしれないけれども、とりあえずそういったところをステップにしながらというような発想が確かにある。それも言ってみれば、長い過程で見ると、一種の独立論として括っていい部分だと僕は思っている。
新崎/それが僕には逆に、非常に危険に思える。新川さんの『世界』の文章の中で、僕がエッ?と思ったのは、一国二制度とかそういうものも独立論の仲間に入れていることです。そうするとますます僕とは違うなという感じがした。僕は、今の独立論的な、社会的雰囲気をきちんと反権力闘争に凝縮しないと、フリーゾーン構想だとか一国二制度にからめとられてしまうという気がする。一国二制度などは、基地をゆすりのネタにして金を取るものにしか僕には見えない。
それを、新川さんが独立論と結びつけるのはおかしくないですか。
新川/結びつけるのと、僕がそれを了解しているのとは違う。
もう一つは、現実に直面している特措法とか、海上ヘリポートとか、そういった社会的政治的な状況に対応する反対運動が依拠すべき理念をどこに求めることが大事ではないかという問題提起をしている。僕の見る限りでは、運動の理念は復帰以来何ら変わっていない。そこに沖縄の運動の弱さが絶対にある。
新崎/(感性の鈍い運動体)その連中が民衆を組織して支えている運動が果たしている役割というのも僕は切り捨てられないわけ。
僕は、一つ一つの現実の運動、例えば、ヘリポートを潰さなければ自立も独立もありえない。そういう運動こそが、あるべき将来像を紡ぎ出していくものであって、まず最初に青写真として何かがあるというものではないと思う。
新川/僕が言っているのはそういうことではなく、その運動が拠って立っている理念がおかしい、それがはっきりしないと運動が本来めざしているものにならないで、何が現実の政治的な、政府なり権力側の攻撃に対して、状況対応の運動にしかならない。そういった限界性があるということです。沖縄の運動の特質を極論すると、攻撃に対応して後追い的に運動を構築する対症療法的なものに終始してきた、と言えるが、それは何故か。沖縄の反体制的な運動が、復帰運動以来、日本国憲法を唯一の拠りどころとして考えているものだから、その限界を乗り越えきれないという考え方なんです。そこに、将来構想への明確な理念がないからです。
僕が見るところでは、なおかつ復帰運動の理念にまだ縛られているとしか思えないわけさ。他に何も提示していないから。理念的なものとしては「日本国憲法」以外にはない。反基地とか反権力とかいうけれども。
新崎/僕は、それが自立だと思うけれどもね。自立とは何かと言えば、まず、自己決定権の拡大だと僕は考えている。だから僕は住民投票を大きく評価するし、そうした経験を積み重ねながら、俺たちのことは俺たちで決める、国家が何を言おうが決定権はわれわれにありという人民主権の自覚を積み重ねる中からしか自立はありえない。そして、どこかの段階で独立があるかもしれない。
新川/独立ということは、例えば日本という国から離脱して、沖縄共和国、あるいは琉球共和国みたいなものをつくればいいという話ではない。
独立論とは、まさに自己決定権をわれわれは持ちたいということだし、独立する国家形態や国境概念を越える共生社会への志向を基礎にしたものでもあるわけ。それが独立論であり、それは独立論以外にないじゃない。だから、独立論というのは、単に琉球共和国をつくりましょうという話ではないわけです。
屋嘉比/新崎さんの文章の中で、東京の一坪反戦地主の上原城信さんは、「独立志向が強いが、現実を考えると安直に言えない」という言い方をしている。僕なんか、逆に引っくり返して、「現実を考えると安直には言えないが、しかし独立志向はある。」
現実に運動をしている人たちの新川さんに対する違和感。
新川/例えばヘリポート問題について、あるいは一坪反戦運動について、具体的な運動にかかわらないものは運動じゃないという言われ方は、おかしいと僕は思っているわけ。
新崎/待てよ、僕はそんなことは言ってない。
新川/ああいった単発なこと(自立フォーラム)も運動として見れないわけ?
新崎/いいですよ。ただそこで終わったら、意味がゼロとは言わないけど、非常に少ないんじゃないかな。やっぱりああいうものは持続していくことによって、僕に言わせれば、新城和博君の言うような広がりをどこかに吸収していく場が、それは単一のイメージでなくてもいいけれども、必要なのではないか、それが社会的な力になるのではないか、そういうことだよ。
新川/あのフォーラムを持続的なフォーラムにしないと認められないということになるのかな。
新崎/いや認められないとは言ってない。しかし、やっぱりよりよい形は持続することによって発展していくのではないかなと。
新川/それは原則的にはそうですけれども、例えばあれはあれとしておいて、激論会みたいなものを、これは嘉納昌吉の呼びかけでまたいっしょにやってみたり、だからいろいろなことをこちらのできる範囲内でやっていくことで、質的にも量的にも拡がりを作り出す努力が僕にとっては運動の持続でもある。
岡本/そのいろいろな独立論の中には新城和博という若い世代まで入っていて、それこそいろいろな人たちがそれぞれ「私」として独立を思考している。ということは、もうこれまでのような議論では先に進まなくなっている。「私は」ではなくて、「われわれは」という議論をしなければならないところまで、独立論は展開しているのではないか。
必ずしも独立論が運動として展開しなくてはならないというふうには思わないけれども、しかし、独立とはこうだという考えかたを示す必要はあるのではないか。そうでないと思想としても影響力を持たないというか、もっと言えば「反復帰論」とか「非国民の思想」とか、それは復帰運動に対するアンチという形で出ているから、はっきりイメージできる。ところが独立論はアンチというよりも、何かをそこで創り出す。何を創り出すにしろ、独立論はこれから何かを創り出すという思想だから、ある種のイメージが要ると思うんだけど。
新川/いわゆる独立論が、例えば新崎さんの批判の中で、心情的な差別告発論にしかならないみたいな指摘があるから、そうじゃなくて、反復帰論以来言っている非国民、反国家、さらにそう言えば反権力の発想だと言えると思う。だから、なぜそれが心情的な差別告発論にいくという指摘になるのか、そういうのがわからない。
新崎/僕が言っているのは、例えば『金曜日』なんかもそうだけれども、むしろ居酒屋独立論の域に押し止められているのではないか、そのままでいくとそういうことになってしまうのではないか、という議論じゃなかったのか。
新川/例えば大山さん(大山朝常さんの『沖縄独立宣言』)が九七歳であれを書いたということについて、ものすごく敬意を表している。内容に対して敬意を表しているのではなくて、復帰運動の中心的な位置を占めていた人が、これからの世代に伝えるべく遺書として書いた、そのことに敬意を感じる。これまで例えば屋良朝苗にしろ喜屋武真栄にしろ、復帰運動の中心的な役割を担ってきた人で、一種の自己批判というか、そういったことをもろにやった人はいない。
復帰という選択は、僕は絶対に間違ってたいたと思う。あの選択は絶対におかしかったと思っているから、自分たちの世代が犯した間違いを繰り返し伝える責任をどこまで引き受けるか。もちろん現実的にはその後の政治的な状況について具体的な反対の運動を構築する、これも重要でしょうけれども、一方で、思想的な意味も含めて、あの70年代の沖縄の選択が正しかったのか間違っていたのかということを、絶えず問い返していく。基本的なこととして、現実のいろいろな政治的な運動を含めて。
新崎さんは、さっき具体的な運動の中で自己決定権の獲得に向けた具体的なものが、そこから展望されてくるだろうと言う。しかし絶対的に忘れてはいけない面としては、過去の歴史の中での選択の間違いを、その歴史を知らない世代に繰り返し伝えて行く、その責任を絶えず取り続けるということが一方ではなされていないと、さっき言ったように状況対応型の運動に終わっちゃうということなんです。
新崎/独立論という場合に、国家としての独立じゃないと言っても、ヤマトゥと沖縄の関係はというのはずっと独立論者の念頭にあって、議論されていますよね。新川さんにもそれはあるわけでしょう。70年代初期の頃だったと思うけれども、新川さんが反復帰論の中で、自分の母親がヤマトゥンチュで、血が混じっているというのも気に入らないなというような発言というのが、僕にとってはいちばん違和感がある部分だと言ったことがある。
それほどヤマトゥと沖縄の関係というのに拘る。それはさっきの反国家とか非国民とかいうのと、ちょっと次元が違うんだよね。
新川/日常と理念の問題を二項対立的には考えていない。理念を日常の中で共有する普遍化の手段は、スローガン的な文言ではなく、芸能や祭りのような遊びの要素を持つ方法論を考えたらよいと思うのです。理念を日常生活の中で耕していく。作業とはそういう営みや、文芸的営みの中にも求められるのではないか。つまり、両者を対立的にとらえるのではなく、相乗し合う関係としてとらえたいということです。
新崎/一つは、新川さんは、例えば憲法理念とかそういう理念によって運動をつくっていく。僕は、一つ一つの運動の中からそういうのを獲得していったり展望していくものではないかという、それこそ没思想的経験主義、そういう違いははっきりしてきたのではないかということですね。
新川さんたちは、運動体を切り捨てるのではなくて、彼らを理念の力によってつかまえる努力をすべきじゃないかと言った気がする。
新川/その部分はちょっと違うんだな。
岡本/例えばそこでこの憲法を変えろという意見については?
新川/変えろじゃなくて、沖縄の運動が依拠すべき理念は、日本国憲法ではありませんと言っているわけだから、それは別に説得でもない。ただそういう主張をしているのに対して運動の側は、そんなことはまったく無関心なんだね。だから、沖縄の運動は、そこのところをまず整理してもらいたいと。琉球共和国憲法という理念をぶら下げて、これについて来いの話ではないわけ。日本国憲法を運動の理念としている限りはおかしい、沖縄の運動はおかしいと、こう言い続けているだけで、それを聞くか聞かないかは運動の側の問題ですよ。
新崎/例えば1965年に違憲訴訟というのが出てきた。渡航の問題とか原爆被爆者の問題とか、ああいうのが提起されたり、復帰後で言えば、公用地法違憲訴訟なんか提起されている。そういうことも否定するの?これは憲法を盾に取って闘おうとしているよね。
新川/それは沖縄が今、日本国に所属している以上、現行憲法を最大限利用し闘いの武器にすることは大変結構です。当然です。その場合に、民衆に対してのキャンペーンを含めて違憲訴訟でも何でもいいんですが。国のやり方は現行憲法に反しているという主張になる。そうすると、そこでは日本国憲法が唯一絶対の正義として主張される。それを否定しているわけでもない。そういう掲げ方で相手の武器を自分の武器にすることは、闘いですから、それはそれで別に構わない。
ただしかし、沖縄では復帰運動以来、日本国憲法というものをトータルとしての絶対の正義という認識を動かせないくらいに固めてしまっている。
新崎/「平和憲法下への復帰」だったからね。
憲法に依拠しているとは思ってない。僕が例えばある雑誌の憲法特集みたいなものの中で、特置法が沖縄に押しつけようとしているのは、反憲法的状況の極致だというようなことを言うのも憲法をトータルに肯定した上での発言になるのかな。
新川/いやいや、僕もそれはそのとおりだと思っているし、それは同意する。だけど、その反憲法的状況に対峙すべき沖縄の運動の理念はどこに求めるかというところで、これまたちょっと違う。憲法に求めたらおかしくなる。
新崎/僕は憲法に何も求めていない。僕は自己決定権だと言っているんだから。
新川/いや、それは新崎さん個人の問題ではなく、沖縄の運動の全体としての流れを見た時に、僕にはそうしか見えないわけ。
独自の理念を運動は持たなければ、自己決定権を獲得する運動、または闘いは限界がはっきりしている、と言っているのです。
つまり、当面する現実の個別的問題に対する運動や闘いが依拠したり、あるいは利用したりする理念としての日本国憲法と、われわれの将来構想とかかわる自己決定権の獲得のための運動論が依拠すべき理念とは峻別して、沖縄の運動論を再構築しなければ、いつまでも状況対応型の後追い的運動から脱却できない、と言うことです。
岡本/方法の違いというか、理念を大事にするという立場と、運動の積み重ねからだという方向性の違いはあるけれども、自己決定権こそが基本的に重要なんだというところで共通の立場に立っている。
屋嘉比/そうですね。しかし逆にいうと、思想的枠組みとか、あるいは運動に対する考え方とか、これはやっぱり違っていたという印象を持ちました。
(抜粋・終)
「けーし風」/新沖縄フォーラム刊行会議
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