どんな言語も、澤山使ひ、慣れる事が習得の近道である。英會話が上達するには、英語をきき、喋る機會が多ければ多い程よい。表記である漢字も一緒である。目にし、實際に書く機會が多ければ多い程、漢字を覺えるのには都合がよい。
「石井式漢字教育法」と云ふが、要するに漢字を、出來る限り、子供の目に觸れるやうにし、子供が自然に使ふやうにせよ、と云ふだけの事である。「だけの事である」と簡單に書いたが、これが實は、現在の學校教育では守られてゐない。
いまだに「子供に澤山の漢字を教へるのは、子供がかはいさうだ」とのたまふ「教育者」がゐる。だが、石井氏が述べてゐるやうに、澤山の漢字が現實に使はれてゐるのだから、それを教へないと、のちのち子供が困る、と云ふ事を考へて貰ひたい。
本當に子供のことを考へるのならば、子供に今、樂をさせると云ふ「教育」をしてはならない。子供のうちに漢字を出來るだけ澤山おぼえさせておいた方が、大人になつて──いやいや、大人になる過程でも、その子は非常に樂をするのである。
かう言ふと、「子供に漢字を強制するのか」と云つた批判が現はれるのだが、その批判は現實に基いてゐない、「批判の爲の批判」でしかない。漢字學習が子供にとつて苦痛であるならば、この批判は正しいのだが、漢字を覺える事は子供にとつて樂しいものである、と云ふ事は石井氏が既に證明してゐる。
小學生に上がる以前の子供は、見るもの聞くものを片端から記憶する。2、3歳兒は好奇心の塊である。その頃に澤山の漢字を教へれば、それを子供は樂々と記憶する。だが、その頃、子供が興味を覺える對象は、具體的な事物である。その時點で、子供は抽象的なるものを理解しない。
石井氏は、好奇心旺盛な子供にとつて漢字が、特に具體的な物を示す漢字が面白くてたまらないものである事を見出した。その結果として、「石井式漢字教育法」が生れた。
教育者の方々には、以下の石井氏の言葉に、是非とも耳を傾けていただきたい。
『漢字つて實に厄介なものだ」とは、漢字を學ぶ者にとつても、漢字を教へる者にとつても、等しく懷いてゐる思ひでは無いでせうか。私も、小・中學校11年間を通じて、漢字が最も苦手でした。
しかし、それは漢字を学習する"時期"と"方法"とが大變に間違つてゐたからであつて、この二つの點を正しく改めさへすれば、漢字の学習ほど樂々と樂しく出來て、身に着くものはないのです。
小學校の學習で、漢字の學習ほど重要なものは無いでせう。なぜかと言へば、漢字に強ければどんな學科の學習でも效率よく進めることが出來ますが、漢字に弱かつたならどんな學習もうまく行かないからです。
私は若い讀者の皆さんがまだ生れてゐない昭和26年に、東京都八王子市の教育委員會指導主事になりました。その時私は31歳でした。まだ若くて張切つてゐましたから。小・中學生の漢字力が弱くて、數學・理科・社會科などの教科書が滿足に讀めない状態に在ることを知ると、これはどんな事をしてでも、教科書位は讀める子供にしてやれる教育法を編み出さなければいけない、と強く思ふやうになりました。
そこで創案したのが「最初から漢字で教へる」といふ教育法でした。これを私は「正書法方式」と名付けたのですが、人々は「石井方式」と呼び、いつしか私もそれに從ふやうになりました。
この理論は、昭和27年8月、お茶の水女子大學で開催された全日本國語教育協議會で發表いたしましたが、この時は何の反應もありませんでした。そこでいろいろと思案した末、指導主事を辭め、昭和28年から小學校の1年を擔任して、この理論を實踐し檢證することにしました。
この實踐は、昭和42年まで14年に亙つて行ひましたが、昭和36年に、それまで一應檢證された事について一冊の單行本にまとめ、これを『私の漢字教室』(黎明書房刊)といふ書名で刊行しました。
この教育法を受け容れて實踐してくれた先生は全國各地に輩出しました。皆、信じ難いほどのすばらしい教育成果を擧げてくれました。然し、殘念なことに、多くは教育委員會や校長に禁止され、實踐できなくなりました。また、好調に認められた所でも、同僚の教師たちに非難されて實踐できなくなりました。
それでも、全校擧げて實踐してくれた學校がいくつかありました。それは、新潟縣龜田町の袋津小學校、静岡縣熱海市の桃山小學校、富士市の須津小學校、青森縣弘前市の船澤小學校がこれです。
これらの學校では、全校擧げて實踐しただけに、私が檢證し、發表した以上の成果を擧げてくれました。それにも拘らず、これとても五年内外の實踐で中止されてしまひました。
その理由は、「石井方式は文部省の指導要領に示された漢字學年配當表を無視したものであり、法令違反に當る。從つて、公務員として許すべからざる行爲である」といふ文部官僚の批判があつたからです。この批判に立ち向かへる校長がゐる間は實踐できますが、その校長が退職するとそこで中止されてしまふのです。
この頃、指導要領の編集に當られた國立國語研究所の輿水實先生は、「漢字の學年配當表は、學習の最低線を示したものであつて、それを學習させないならばこれは指導要領違反である。然し、それ以上の漢字を學習させてゐる石井方式を指導要領違反と言ふのは不當である」と言つて辯護して下さいましたが、結局はその甲斐もありませんでした。私は、これで小學校教育に見切りを着け、昭和43年より幼稚園の漢字教育に轉じました。
それから十數年の月日が流れたある日、時の文部省の教科書調査官、小林一仁先生が文部省刊行の漢字教育について書かれた書物の中で、「漢字學年配當表に囚はれた指導をしてゐては漢字教育の效果は擧がらない。上の學年の漢字でも、機會があつたら呈出した方が有效である」といふ意味の事が書かれてゐるのを讀みました。
今まで金科玉條とされてゐた漢字學年配當表が、今やそれに囚はれずに指導する事が望ましい、といふ風に文部省も變つて來たのです。そして、平成4年度より施行されてゐる新指導要領では、小林一仁先生の書かれた事がそのまま明示され、その上、今まで高學年に配當されてゐた漢字が大幅に低學年に移されました。
「漢字の學年配當表を亂す石井方式は指導要領違反である」と言つて文部省から責められ、24年前に小學校における漢字教育を諦めて幼兒の漢字教育に轉じた私でありますが、文部省が、「學年配當表に囚はれた指導は望ましくない」といふやうに百八十度の轉換をした今こそ「再び小學校の漢字教育の爲に頑張らなければ」と思ひます。
顧みますと『私の漢字教室』の刊行から30年といふ年月が流れました。30年と言へば丁度1世代です。長い年月です。當時私の著書を讀んで實踐してくれた先生たちも今は教育界を去り、そのお子さんがその頃の先生の年頃に達してゐることでせう。
私も30年の昔に若返つた氣持で、若い教育愛に燃える先生方に、「厄介な漢字教育を樂しい教育に變へる」本當の漢字教育──正しい國語教育をぜひ語り傳へたいと思ひます。どうぞこれから私の語る所をじつくりと讀み、じつくりと考へていただきたいと思ひます。
子供は漢字字典や諺辭典を最初のページから最後のページまで通して讀んで、しかも繰返し讀む。大人は子供がすぐ厭きるものだと思つてゐるが、子供はひとつのものに實に執着する。子供にとつて言葉が一番面白い。
子供から言葉を取上げてはならない。
今の教育は、全て大人の都合が優先され、子供が本當に求めてゐる知識を與へる、と云ふ事が後囘しにされがちである。或は、子供の將來にはいかなる教育が有益なのか、ではなく、イデオロギーが基準となつて、教へるべき知識が選別される。
そもそも、知識の選別と云ふ考へ方がをかしい、と云ふのは、豫め偏つた考へ方を注入された頭で判斷出來る事は制約されるからである。しかも、漢字と云ふ、それ自體には何のイデオロギー的偏向もあり得ない存在にまで、選別が行はれてゐる。
難しい漢字を讀めるやうになつて、子供が困る事はない。だが、そこで出てくるのが、「他の人間が困る」と云ふ「理窟」である。あきれた話である。教育の目的が「一人の人間を立派な大人に育て上げたい」から「或集團にとつて都合の惡い人間を作らないやうにしたい」にすり替へられてゐる。
減點法の教育に反對する連中が、この手の消極的な「教育」を推進してゐるのだから、あきれた話である。もつと積極的に、「子供にものを教へる」と云ふ教育の原點に、我々は囘歸すべきである。