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このような二段になった方形の舎利孔をもつものは九州ではこの塔原廃寺と上坂(かみさか)廃寺(福岡県豊前市)の二例しかなく、極めて珍しいものです。塔心礎とともに、この寺跡を特徴づけるものに出土した瓦があります。この瓦は奈良県の山田寺跡から出土した瓦に類似しており、九州では小郡市の井上廃寺から出土した瓦にこの系統のものがみられます。軒丸瓦は縁に三重の圏線を巡らし、また軒平瓦は三重ないし二重の弧文を施した古式の文様をもっています。
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は塔心礎が残っており、1979年と1988年の発掘調査により塔の基壇とそれに先行する7世紀後半代の掘立柱建物が確認されている)説がだされました。その後、小田富士雄氏によって出土した瓦の年代や心礎の様式等から、この塔原廃寺は創建期の般若寺にあたり、その後太宰府市所在の般若寺に移転したとする説がだされました。そして蘇我臣身刺(ムサシ)=武蔵寺に通ずることから、字名を継承して再興されたと考えられています。
因みに、山田寺は大化改新で中大兄皇子と共に力を尽くした蘇我倉山
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