播  磨  転  法  輪  寺  三  重  塔

播磨転法輪寺三重塔

播磨名所巡覧圖會:文化元年刊

千坊谷竜華山転法輪寺
記事:「東たるみ、岩の上にありて、大伽藍・坊舎数百ありし所なれども、今はなし。
同郷の内三十余丁北に、寺号、古佛存すゆゑに、今その廃地を千坊が谷とよべり。」

転法輪寺三重塔(左図拡大図)
転法輪寺拡大

・・・この塔は明治維新で焼却処分にされたという。
「兵庫の塔」では明治維新の火災(寺伝)で焼失という。
 ※但し、焼却処分であって「火災」であることには相違ない。

詳細は不詳、
転法輪寺三重塔についての図版及び情報は以上しか掌握していない。

三重塔跡現状

現状は、相当荒れている。

転法輪寺三重塔跡(場所)・・・図中の石塔の表示がある場所 が跡地。
  同        (遠望)・・・写真中央の木立が塔跡で、左の堂宇は
                  弁財天堂。
  同   三重塔跡1・・・・中央が塔跡平坦地で左は観音堂道
  同         2・・・・同上拡大
  同         3・・・・塔跡の石塔 (左図拡大図)
  同         4・・・・石塔土台石、木製標識がある。
  同         5・・・・塔跡平坦地
  同         6・・・・塔跡にある石造物
 ※ここにある木製標識は確かに「二重塔跡」とあり、不審であるが
  詳細は不明。

誰も省みないようで、潅木が茂る。
塔土壇や礎石などの遺跡・遺物は表面観察では何も認められない。
但し石塔の土台石は塔礎石であった可能性はあると思われる。

転法輪寺概要

竜華山と号する。高野山真言宗。
寺伝では大同元年(806)平城天皇の勅願で、在原行平が建立したと伝える。
江戸期には三重塔があったとされる。
また多くの坊舎があったと思われる。今も坊舎跡と思われる石垣と平坦地が辛うじて庫裏から本堂に行く道筋に残る。
周囲は近年の開発で新興住宅に囲まれ、古の千坊ヶ谷といった面影はなく、危機的状況にある。
唯一、急に谷に落ち込むような感じの、原生林の中の旧参道は昼なお暗く、辛うじて古の雰囲気を残す。
 (ただし、旧参道の面影を残す距離はほんの短いものである。)
本尊阿弥陀如来坐像(木造・平安後期・重文)を伝える。
  転法輪寺本堂


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