尾 張 大 須 観 音 五 重 塔
尾張大須観音五重塔(北野山真福寺宝生院)
★江戸期の五重塔
尾張名所図会 巻之1;下図拡大図 :2022/09/07画像入替
記事:「本尊(正観音は摂津国四天王寺を移したる木像なり) 五層塔(文政年中の造立にして、本尊に安置せる愛染明王は、 弘法大師の作。むかし長岡庄大須にありし古像五智如来は、 新作の木像なり)」
◆ 2007/06/22追加: 尾張名所図絵 巻之1
尾張名陽圖會 巻之4:下図拡大図
記事:「 ○五重大塔 本尊愛染明王。むかし大須に在りし時、塔の本尊なる由。五智如来は文政年中再建の節の新仏なり。
★明治初頭の五重塔
大須観音:左図拡大図1
大須観音;拡大図2
大須観音五重塔:左図拡大図
五重塔は文政年中もしくは文化年中の再興と思われる。
明治24年頃の撮影
撮影時期不詳
2007/06/22追加:「写真に見る明治の名古屋」より
大須観音本堂五重塔 大須観音五重塔:左図拡大図:上記本堂五重塔写真の五重塔部分 大須観音観音堂
※明治5年頃の撮影とされる。明治25年2月25日火災焼失。
以下は昭和初期の大須観音 2007/06/22追加 大須観音観音堂:昭和初期の撮影と云う
2019/07/11追加:〇「大須観音」名古屋市博物館、真福寺大須文庫調査研究会編、平成24年(2012) より 五重塔は文化12年(1815)着工し、文政7年(1824)にほぼ竣工する。ただし、上棟式は理由は不明であるが延期され、天保7年(1836)に行われた。 塔には移転前の真福寺に存在した「塔」の本尊である愛染明王像が安置されてたという。 北野山真福寺五重塔図:本書の図版がもともと不鮮明である。 高力種信(猿猴庵・えんこうあん)筆「大須観音開帳案内記」(文化10年)には本堂で「塔」本尊であった愛染明王像が開帳された様子を描く。 塔本尊愛染明王像繪圖◎大須観音略歴北野山真福寺寶生院と号する。真言宗智山派2別格本山の一つ。 元亨4年(1324)後醍醐天皇は勅願により長岡庄大須郷(現在の岐阜県羽島市桑原町大須)に北野天満宮を造営。 元弘3年(1333)能信上人が北野天満宮別当として開山する。 慶長17年(1612)徳川家康、成瀬正成に命じ、大須より現在地に移転する。 文化12年(1815)五重塔建立に着工。文政7年(1824)ほぼ竣工する。 明治25年(1892)大須の大火により本堂、五重塔、仁王門焼失。 その後再建するも(但し五重塔は再興されず)昭和20年の空襲により再び焼失。 昭和45年(1970)本堂再建。 近年まで、五重塔再建の計画があったとされるも、現在は立消の状態と思われる。