尾 張 法 妙 寺 多 宝 塔

尾張法妙寺多宝塔

法妙寺多宝塔

平成16<2004>年撮影画像:「X」氏ご提供画像

平成16<2004>年「X」氏撮影画像
 2004年 法妙寺多宝塔:左図拡大図

平成15年<2003>/08/29撮影画像
 2003年 法妙寺多宝塔1     2003年 法妙寺多宝塔2     2003年 法妙寺多宝塔3
 2003年 法妙寺多宝塔4     2003年 法妙寺多宝塔5     2003年 法妙寺多宝塔6
 2003年 法妙寺多宝塔7
撮影当日は門が閉まり、境内外から撮影。
この時は多宝塔構造をRC造で木調風な彩色をしている塔婆と誤推定をする。

平成13<2001>年撮影画像
 2001年 法妙寺多宝塔:「塔をゆく 第3巻 多宝塔」より転載
「塔をゆく 第3巻 多宝塔」では以下のように記載する。
昭和40年落慶。総高役13m。素木造。屋根銅板葺。基壇は石組二重基壇。
下重は組物出組、柱間・中央間は板唐戸、両脇間は連子窓、擬宝珠勾欄付きの椽を廻らす。
上重は裳階を付ける邪道な特異な構造をもつ。組物は四手先。

平成2<1990>年撮影画像:「X」氏ご提供画像
 1990年 法妙寺多宝塔1     1990年 法妙寺多宝塔2     1990年 法妙寺多宝塔3

法妙寺の概要とその後

「塔をゆく 第3巻 多宝塔」では「法妙寺は日蓮宗単立。住職は十数年前に遷化し、寺の後継者もなく、現在(平成13<2001>年1月7日)は留守居の女性が守る。従って、詳しい寺歴聞く機会を失する。」(大意)と云う。
Webには法妙寺に関する情報は皆無であると思われる。

上掲の写真では2004年には確実に存在し、下記のように跡地にはマンションが2008年4月に竣工というので、
「取壊し」時期は2004年〜2006年頃であろうと推定される。

 ◎法妙寺位置:名古屋市名東区亀の井一丁目

法妙寺のその後については、これも全く分からない。
Webの各種地図を参照した結果で推測すれば、跡地はマンション(星ヶ丘ヒルズコート)となって2012年度では分譲は終っているようである。
マンションは2008年4月末日竣工、2009年分譲開始と云う情報がある。

法妙寺には本堂及び多宝塔などがあったが、これらの建物の処置は取壊されたのかあるいはどこかに譲渡され移建されたのか、あるいは法妙寺そのものが移転し(この可能性はほぼ無いと思われる)堂塔も移建されたのであろうかなどについても全く分からない。
しかし、宗教活動は長く停止し、後継もなく、単立寺院であったことなどを勘案すれば、取壊された可能性が最も高いと判断される。


2006年以前作成:2012/10/29更新:ホームページ日本の塔婆