★備中野山妙本寺概要
弘安4年(1284)伊達弾正朝義が当地に地頭として赴任、その館の北東の丘に位置した天台寺院を改宗して草創する。
(歴代譜:開山は日像上人、第2世は大覚大僧正)
伊達弾正は鎌倉御家人で、日蓮上人の「竜ノ口法難」の奇瑞を眼前にし、日蓮上人に「信伏随従」す。
弾正は赴任にあたり、日蓮上人に西国下向を乞うも叶わず、しかし日蓮上人より山号の「具足山」、寺号の「妙本寺」を授かると伝える。
その後、日像上人弟子大覚大僧正が度々入山し、当寺を拠点に西国弘教の拠点とする。
野山は旧大和村に属するが、旧村にある寺院10ヶ寺は全て妙本寺の末寺と云い、現在でもこの地方は「野山法華」と称される。
これは伊達弾正が領内の寺院を全て改宗したことによると云う。
2016/08/15追加「大覚大僧正」 より:
野山及び野山氏は日像上人や大覚大僧正の自筆書状に度々名前がみえる。
野山氏は伊達陸奥守の子孫といい、伊達朝義は日蓮上人の龍口の法難に立ち合い、信者となり、備中賀陽郡野山庄に移って妙本寺を開く。その子義光は日像上人に深く帰依し、さらにその子義直の時に大覚大僧正の来下を得るという。
●妙本寺番神堂(重文)
一間社流造。
寺伝では明応(1497)卜部兼倶(吉田神道)が寄進したものと伝える。妙本寺
7世日具上人と卜部兼倶との番神問答のが行われ、日具上人答釈を見た兼倶が感嘆した故と云う。中央の工匠の手になる建築とされる。
なお日具上人は京都妙顕寺住僧(妙顕寺第8世)で、その後当寺は西国の拠点と云う意味で「西身延」と称された。
●妙本寺本堂
本堂は寺伝では建治元年(1275)の建立と云う。
当初は重層入母屋造茅葺であったが、無住の時代に大破する。
後世の大修理で外観は大きく変更される。しかし骨格は中世の遺構を残すといわれる。
平成元年〜3年の解体修理で入母屋造に復元される。修理以前は5間5間の宝形造、屋根茅葺の姿であった。
野山妙本寺本堂1 同 本堂2 同 本堂内陣
妙本寺旧本堂宝珠:旧本堂宝珠であろうか本堂に至る石階途中に安置される。
※以下は修理以前の本堂の姿
妙本寺本堂修理前1:「岡山の建築」岡山文庫13、昭和42年 より
妙本寺本堂修理前2:「岡山の宗教」岡山文庫51、昭和48年 より
妙本寺本堂修理前3:「岡山の神社仏閣」岡山文庫82、昭和53年 より
妙本寺本堂修理前4:「おかやまの古寺巡礼」山陽新聞社、昭和59年 より、仁王門背後に写るのが修理前本堂
野山妙本寺仁王門1 同 2 同 3:具足山の扁額を掲げる。
2015/09/25追加:
○「吉備郡史 巻上」永山卯三郎編、岡山県吉備郡教育会、昭和13年 より
野山古刹並末寺10坊
野山一山10坊、大和村に在り。北村、岨谷、西村、宮地の旧4ヶ村、是を野山と称す。中古日蓮宗具足山妙本寺の巨刹に依りて世に西身延の名を以て著はる。而してこれは真言宗の古刹を改宗せしものにして元堂々たる山上伽藍の遺跡なり。
1.森原山妙仙寺、嘉元2年(1304)實成院日圓改宗:<加賀郡吉備中央町北1785>
2.寶塔山和泉寺(宮地)嘉元2年(1304)實成院日持改宗:<加賀郡吉備中央町宮地137>
3.天久山妙教寺(岨谷)嘉元2年(1304)華光院日信改宗:<加賀郡吉備中央町岨谷3022>
4.妙足山圓満寺(北村)嘉元2年(1304)法性院日正改宗:<加賀郡吉備中央町西2919>
5.一致山本迹寺(北村)嘉元2年(1304)智蔵院日覺改宗:<加賀郡吉備中央町西900>
6.東林山眞成寺(岨谷)慶長8年(1603)蓮華院日行改宗:<廃寺か>
7.松王山妙音寺(北村)嘉元2年(1304)常光院日忍改宗:<加賀郡吉備中央町北446>
8.神光山圓通寺(宮地)文禄元年(1592)松林院日照改宗:<廃寺か>
9.神明山稲荷寺(北村)改宗日時不詳:<廃寺か>
10.興福山常護寺(北村)改宗日時不詳:<廃寺か>
●妙本寺末寺
森原山妙仙寺(岡山県加賀郡吉備中央町北)<上述>
天久山妙教寺(岡山県加賀郡吉備中央町岨谷)<上述>
宝塔山和泉寺(岡山県加賀郡吉備中央町宮地)<上述>
一致山本迹寺(岡山県加賀郡吉備中央町西)<上述>
妙足山円満寺(岡山県加賀郡吉備中央町西)<上述>
<松王山妙音寺も現存し、末寺に追加すべきものであろう。>
○名越妙見山真城寺(岡山市北区吉備津)
→ 備中名越真城寺:既に建物はすべて崩壊、廃墟であり寺院の形態をなさない。
2010/09/21作成:2016/08/15更新:ホームページ、日本の塔婆、日蓮の正系
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