播 磨 明 王 寺 ・ 攝 津 徳 光 院 多 宝 塔

播磨明王寺・攝津徳光院多宝塔


播磨明王寺多宝塔跡

播磨明王寺本堂;右の小丘に多宝塔があったとされる。
  同 多宝塔跡1:正面の小丘の潅木中が跡地です。
           (左図拡大図)
  同       2:中央が多宝塔跡
  同       3:跡地
  同       4:跡地

本堂向かって右の小丘上が多宝塔跡地という。
遺物には平坦地があるのみで、何も無いようです。
右写真の不動明王石像の後には、登り口のような道の痕跡がありますが、近年の境内整備で道は切断されたようです。

川崎家への譲渡についての経緯は分かりませんが、明治維新後、明王寺は一時無住であったといわれ、
それから類推すると、経済的理由あるいは老朽化で維持困難などの理由が考えられます。
但し現在は本堂・庫裏などが新築され、隆盛のようです。

明王寺は高野山真言宗で、大同元年(806)厳賀の開基という。応永19年(1412)山城北野社の書経に多くの垂水郷明王寺の僧が写経に参加しているという。(北野社一切経)、江戸期の朱印高は12石。本尊不動明王。
「兵庫の塔」 より
山号は龍華山と号する。附近の転法輪寺と同じ山号で、転法輪寺では、かっては転法輪寺塔頭であったが、明治維新で独立したと云うようです。しかし明王寺では転法輪寺塔頭であったのは垂水区の明王院であり、本寺は関係ないと云う

播磨徳光院多宝塔

室町期文明10年(1478)建立。
元垂水名谷の明王寺塔で明治33年に川崎家の所有になり、
旧川崎邸(現新神戸駅あたりのようです)に移建、
昭和13年徳光院に寄進され再び移建。
塔本尊として薬師如来が安置されている。
一辺3.6mm高さ約14m。和様を用いる。

2002/12/23撮影
播磨徳光院多宝塔1
 同          2
 同          3(右拡大画像)
 同          4
 同          5
 同          6

2001/4/29撮影
播磨徳光院多宝塔11
  同        12
  同        13
  同        14

徳光院

寺院自体は明治38年に川崎家(川崎造船)の菩提寺として創建された禅寺(臨済宗天竜寺派)のようです。
またこの地は真言宗瀧勝寺の寺地であったようです。
有名な布引の滝がすぐ近くにあります。
なお鐘楼は三木伽耶院(寛永8年)の鐘楼で、明治40年当院に移築したという。

瀧勝寺:大正9年に旧地を川崎家に売却、現在地(中央区)移転。かっては現徳光院を含む広大な寺地におおくの坊舎があったようです。役小角の草創、天正年中、荒木村重の乱に伽藍を焼失。江戸期には復興したようです。