播 磨 明 王 寺 ・ 攝 津 徳 光 院 多 宝 塔 |
播磨明王寺・攝津徳光院多宝塔
川崎家への譲渡についての経緯は分かりませんが、明治維新後、明王寺は一時無住であったといわれ、
明王寺は高野山真言宗で、大同元年(806)厳賀の開基という。応永19年(1412)山城北野社の書経に多くの垂水郷明王寺の僧が写経に参加しているという。(北野社一切経)、江戸期の朱印高は12石。本尊不動明王。 ★播磨徳光院多宝塔
★徳光院
寺院自体は明治38年に川崎家(川崎造船)の菩提寺として創建された禅寺(臨済宗天竜寺派)のようです。
瀧勝寺:大正9年に旧地を川崎家に売却、現在地(中央区)移転。かっては現徳光院を含む広大な寺地におおくの坊舎があったようです。役小角の草創、天正年中、荒木村重の乱に伽藍を焼失。江戸期には復興したようです。 |