★伊勢・宇治山田神宮寺概要
○「伊勢の寺」 より
神宮周辺には山田大火前の寛文6年(1666)には371寺、後の安政2年(1855年)で120寺、廃仏毀釈後の昭和初年には24寺に激滅した。
現在、宇治には寺院は皆無という。 ※菩提山神宮寺などが伊勢神宮寺の代表例である。
★山田常明寺概要
天台宗常明寺は貞観元年(859)の創建で、下宮渡会氏の氏寺であり、境外の妙見堂には正安3年(1301)銘の妙見大菩薩が祀られるも、明治の神仏分離の処置で廃寺となる。 明治27年日蓮上人の三大発誓の伝説に基づき、新居日薩が再び浄明寺を開山、日蓮宗浄明寺として再興される。
昭和31年、廃寺となった常明寺妙見堂安置の妙見大菩薩像は読売新聞社の所有になり、現在よみうりランド妙見堂に安置される。
その後、妙見堂は幾多の災害に遭うも、修理復興される。 平成3年(1991)天台宗浄明寺境外仏堂であった妙見堂が長野県諏訪ゴルフ倶楽部((株)ヘルシ−リゾ−ト)に移築され、跡地は売りに出される。
売却された跡地は伊勢妙見顕彰会(四日市本覚寺)などの尽力によって購入され、現存する。
2023/04/09追加: ◇GoogleMapに見る常明寺跡
○GoogleMap より 宇治山田駅、伊勢妙見堂、常明寺跡石碑、廃常明寺、日蓮誓願の井 を示す。
妙見堂・常明寺跡位置図
2006/03/17追加:
〇伊勢妙見(よみうりランド)妙見菩薩:
およそ以下のような経緯で、伊勢妙見菩薩がよみうりランドに遷座していると云う。
日蓮上人伊勢神宮に赴き、浄明寺(常明寺)に100日止宿する。この時妙見大士の示現することありと伝える。
天台宗(真言宗?)浄明寺は明治の神仏分離で廃寺となる。
明治27年日蓮上人の伝説に基づき、新居日薩が再び浄明寺を開山、日蓮宗浄明寺として発足する。
妙見菩薩については、貞観元年(859)にはじまる度会氏(伊勢外宮神官)外護の伝承があり、神仏分離の折、境外仏堂の妙見堂は中西氏(度会氏末裔)の所有となる。
妙見菩薩は正安3年(1301)仏師院命の銘を持ち、昭和16年旧国宝指定となる。
昭和31年、浄明寺妙見堂安置妙見菩薩像は読売新聞社所有(正力松太郎氏所有)となり、よみうりランドに祀られることになる。
平成3年(1991)浄明寺妙見堂も長野県諏訪ゴルフ倶楽部((株)ヘルシ−リゾ−ト)に移築され、跡地が売りに出される。
(移築された妙見堂には原寸大複製妙見菩薩像を祀ると云う。)
また、売りに出された浄明寺妙見堂跡地は、伊勢妙見顕彰会(四日市本覚寺)、篤信者、有志の努力により、150坪の土地が購入され、浄徳庵(礼拝所)が建立され、保存されている
と云う。
よみうりランド妙見堂:この折は運悪く、外装の塗装工事中であった。
伊勢妙見像:日蓮宗新聞より
伊勢妙見堂は平成3年、諏訪ゴルフ倶楽部(諏訪の森)に移築され、平成10年、妙見像を勧請し、法華経で開眼・開堂と云う。
移転前妙見堂(1990年)
諏訪の森妙見堂 諏訪の森妙見堂2
複製妙見菩薩像 :いずれも日蓮宗新聞などより
2023/04/09追加: ○「伊勢おいないな日記 FC2版 妙見堂 妙見像 〜 2007/11」 より
近鉄宇治山田駅を下りて 小田の橋を渡り、内宮方面に向かう左側の小高い山に位置する「妙見堂」である。(旧伊勢街道か、妙見堂浄徳庵)
この山は、大きく見ると尾部山の一部であるが妙見山とよばれる小名がある。そしてここには「妙見堂」という不思議な運命をたどった「お堂」がある。
妙見堂は、もともと豊受大神宮(外宮)家の禰宜「度会氏」の祖を祀った岡崎宮であったといわれる。
「貞観元年(859)度会氏の遠祖大内人高主の女が川に落ち溺死し、淵に沈んだ高主の女を探そうと川の中を探したところ 妙見菩薩の木像を見つけた。人はみな不思議と思い岡崎宮に安置し、宮を瓦堂にかえて妙見堂となったと伝えられる。」
この妙見堂は「子授け」「乳の神」「子育ての神」として信仰を集めていたことは事実であり妙見堂に通じる参詣の石段は、よく賑わい、終戦前までは遠くから旅費を使い参詣する人も多くいたという。
妙見堂に安置される妙見像は伊勢神宮の「ミコ」を祀ったものと言われ、平安時代の作と称される。
昭和16年になり国の重要文化財に指定されるものの、当時の所有者であった中西家の事情から困窮を救うため東京の富豪で「読売中興の祖」正力松太郎氏に買い取られ、現在は「よみうりランド」の一角に安置されているらしい。
本尊不在となった妙見堂は、伊勢湾台風の被害により屋根が飛ばされ無残な姿になったが、数年後、寺堂だけ建て替えられ復興した。堂塔は19世紀頃の作と言われる。
その後、本尊の無い寂しい妙見堂の仏像再彫の話が出ると伊勢市岩渕町に住む「豊田勧」氏が即座に楠材を寄贈し、志摩市大王町波切の女性彫刻家「伊藤きん」氏が1年がかりで謹彫し、15年ぶりに本堂に安置され、原像と寸分変わらぬ立派な出来栄えで安置されたと言われている。
しかし、残念なのは、この妙見堂、その後、何度か火災にあったということだ。
そしてまた本尊無き妙見堂は、平成3年(1991)年に株式会社ヘルシ−リゾ−ト所有となり、長野県の諏訪湖の森・諏訪ゴルフ倶楽部に移築され、よみうりランド内の妙見像を模した銅製の原寸大複製「妙見像」を祀って今日にいたっている。
妙見堂の跡地は、日蓮宗が買い取り浄徳庵として建立されたが、私の記憶にある昔の面影は石垣ぐらいですが、歴史ある「妙見堂」がここにあったことを示してくれる。
また、妙見堂の参詣道の階段や軽トラック1台が通るのがやっとの道幅は、ここが内宮(伊勢神宮)に向かう街道として使われていた当時の風景を残している道幅である。
数奇な運命をたどった「妙見像」が元々拾われたものであれば、本来の居場所に戻ったのであろうか?まさに不思議と受け継がれたいった「妙見堂、妙見像」である。
2023/04/09追加: ○「伊勢おいないな日記 FC2版 常明寺跡 (倭姫命御陵墓参考地 隠岡遺跡) 〜2007/12」 より
現在の倭町は、常明寺門前町という地名であった。それは「常明寺」という江戸時代初期の伊勢案内書にも登場する程、伊勢有数の古刹があり「常明寺門前町」として栄えたからである。
常明寺門前町は、人が住み着く前は「米野刑場」という犯罪者の処刑場所であり墓場であったが、神宮の参宮街道に相応しくないと処刑場を移し、古墓碑も田丸城主稲場蔵人太夫が妙見山の裏の一誉坊(いっちょぼ:岩渕町)に移し、参宮街道を整備したことで人が住み着くようになったが、すぐに発展せず、竹やぶばかりの土地であった。その土地を、華やかに変えたのは、常明寺住職澄瑞法印の功績である。
澄瑞法印がこの地に寺を作ったとき、澄瑞法印自身は、隠居の身であったが明和4年(1767)奉行衣田肥前守に誓願して新地を開き、移住民を受け入れ、古市遊郭に遅れること100〜120年、塗り塀あでやかな常明時門前町としての花街を作りあげた。
遊郭の奉行所への届けは、あくまでも茶屋で茶汲女をおいているという名目上である。
当然この時代であっても、派手に営業する遊郭に奉行所、伊勢独自の自治組織である三方会合からも注意を受けたが、効果はなかったそうだ。それだけに、参宮街道という土地への魅力、商売の機会をうかがっていた人が多かったのであろう。
まさに寺院門前まで遊郭があったのであろうから「聖と俗」が混同しているといえる。
常明寺門前町の以前は、神宮に通じる街道沿いでありながら米野刑場(処刑場所)であったことから、常明寺は、穢れ払いとして歓迎して受け入れられたのであろうし、神宮も再びこの地が不浄の地にならないよう寛永6年(1629)遷宮時の古材をもって、現両口屋前あたりに大鳥居を建てた。
ところがである、 おごれるものは久しからず であろうか常明寺は大失態を行う。
それは神宮が建てた鳥居に無断で「両太神宮内院高日山太神宮寺」という偏額を掲げたからである。
常明寺は、神宮に仕える度会神主家と因縁深く、また「常明寺はこれ神宮の崇寺也」と書物に残すほどであったが、神宮側は「仏寺にあるまじき行為」として山田奉行所に願い出て、即刻額を取り外させた。
一方、神宮は、鳥居について「せっかく建てたものだから、朽ち次第取り壊す」という条件で、一応そのまま存続されることとなった。
しかし、常明寺はここで面白い行動に出る。
鳥居を壊されてなるものかと、鳥居の汚損箇所を見つけるとその日の夜中、密かに人夫を出し古材を持って修理するのである。結局、神宮勅使の取り壊し命が出る明治6年まで鳥居は、綺麗に建っていたそうだ。その間なんと244年間鳥居は、持ちこたえていたことになる・・・。20年に1度の遷宮の12倍である。
常明寺は、なんとしてもこの鳥居は守りたかったのだろう。仏寺でありながらも、神宮への思いが伝わってくる。
さて常明寺門前町であるが、明治元年11月倭町と改称され、常明寺自体が、明治2年2月廃絶となり、同時期に常明寺門前町の遊郭街の姿も消えた。幕府時代の天保の改革、明治政府の神道改革は、華やかなこの町を静かな宅地へと一変させたのであろう。
この常明寺跡は、「金比羅山」と呼ばれる山にあり、この山には現在、金刀比羅神社(元:神落萱社か?)が祀られるほか、昭和3年、宮内省から「倭姫命御陵墓参考地」に指定された前方後円墳と思われる古墳の廃墟がある。
これは、尾上御陵と呼ばれ、倭姫命のご陵墓であると伝えられてきたことから人々の思いに宮内省が「倭姫命御陵墓参考地」として認め、現在は宮内庁の手により維持、整備されている。
倭姫命は天照大神を伊勢神宮内宮への遷幸に功績のあった「伊勢の草分け的姫神」であるが、なぜか、上記の御陵墓伝説を残すのみで御祀りする宮もなかった。しかし大正12年この地から500mはなれたところに、市民、崇敬者の熱望に答え「倭姫宮」が建てられ鎮座している。
また、近くには「隠岡遺跡」があり、昭和の発掘調査で神宮神官の遺構やそれ以前、弥生時代から平安時代の遺構、土器も発見され神宮との関係の歴史に注目される発掘調査となった。
現在は、この遺跡は、隠岡公園としてモニュメント的に掘建て式住居が建てられている。
常明寺跡入口石碑1
2023/04/09追加: ○「暮らしのぞき箱226号 度会氏ゆかりの妙見菩薩」千種清美 より
伊勢常明寺妙見像は伊勢常明寺に連なる岡本宮(妙見堂)に安置されていた。
常明寺は下宮渡会氏の氏寺で、江戸期には広大な境内を有するも、明治の神仏分離の処置で廃寺となる。その後、妙見像は地元有志に支えられるも、昭和31年読売新聞社の所有となり、東京に遷される。
現在、妙見堂は伊勢市岩淵町3丁目に復元される。この堂前の説明板には「貞観元年(859)渡会氏遠祖大内人高主の15歳の娘(大物忌)が勢田川で水死、遺体は上がらず、その際、川底から得た童形像を岡本宮に祀る。すると、その翌年から高主に3年続けて双子の男子が生まれる。」とある。
○「岡崎宮妙見堂跡」説明板 より 次のようにある。(大意)
この地(下宮神官渡会氏の墓地である岡崎宮、伊勢山田妙見堂)は伊勢妙見の聖地である。
「岡崎宮妙見本縁」(「高津蔵等秘抄」南北朝期 所収)では
貞観元年(859)渡会氏遠祖大内人高主の娘(15歳)が御贄河で水死する。遺体は発見されざるも、替りに、水底から童形の妙見菩薩を得る。
この像を尾部御陵に安置し、岡崎宮として祀る。そしてその翌年から高主には三年続けて双子の男子が誕生する。 という。
「本化別頭高祖伝」身延地寂院日省、享保5年(1720)では
建長2年(1250)日蓮、伊勢大神宮に詣で、真言宗間山常明寺に止宿し、200日沐浴盥濯し、アマテラスに誓願する。結願の後、妙見大菩薩が日蓮の前に現れるのが見られた・ という。
この地は尾部山の一角で、妙見山とも呼ばれ、最古の伊勢街道に面し、下宮から内宮に向かう人々の目印でもあった。
明治初年の廃仏毀釈で常明寺が廃寺となり、妙見堂も個人所有となる。 昭和31年重文妙見大菩薩像は読売新聞社所有となる。
平成3年には(株)ヘルシーリゾート所有となり、長野諏訪の森に移築される。
2023/04/09追加:
○「常明寺」安藤希章著『神殿大観』(2011-)最終更新:2023年1月21日 より
倭姫命の陵墓の伝承地が隣接する。日蓮旧跡ともされる。廃絶。
聖徳太子が再興したとされる。『神祇本源』所載の「尾上寺」や「泉寺」の後身という見解がある。
日蓮が伊勢神宮に参拝した時、常明寺の井戸(誓願の井戸)で「三大誓願」を建てたという。 もと真言宗だったが寛永年間に天台宗に改宗。
境内には神落萱社があり、現存している。
常明寺は明治維新の神仏分離で廃絶。1882年(明治15年)、常明寺跡に伊勢・欣浄寺が復興されたがのち移転した。
常明寺入口石碑2 常明寺跡
日蓮大誓願霊場 日蓮誓いの井戸
★日蓮誓願の井戸
○「日蓮聖人『誓願の井戸』」成正寺ブログ、2019年11月01日 より
この地には天台宗常明寺が建っていたが、明治の神仏分離の処置で廃寺となる。
1222年2月16日、安房国長狭郡の小湊に誕生した善日麿は11歳(1233年)の時、清澄寺の道善房に弟子入りし、1238年に正式に出家して『是生房蓮長』の法名を授かり1240年に蓮長(日蓮)は比叡山に遊学し、高野山でも勉学に勤しまるる。
その後、伊勢外宮祀官度会氏の寺であった天台宗常明寺に百日間籠もり、誓願の井戸の水をかぶって身を浄め、伊勢神宮に百日参りをしたという。
その際に日蓮は三大誓願を立てたという。 その後、日蓮は建長5年(1253)安房清澄寺に戻り、日蓮宗を立教開宗する。
★再興常明寺 ○「日蓮宗寺院大鑑」池上本門寺、昭和56年 より 伊勢市一之木1−5−19
高日山と号す。身延林藏坊末。
明治維新までは天台宗、伊勢三大寺の一。宗祖参篭100日、三大発誓の寺院である故に、身延文明院日薩が再興・開山する。
伝日蓮釘彫の宝塔石塔、勅額(天台宗時代山門に掲額)がある。
○「日蓮宗大図鑑」日蓮宗大図鑑刊行会編、昭和62年 より
再興常明寺本堂
◇GoogleMapに見る再興常明寺
○GoogleMap より
再興常明寺門前 再興常明寺山門 再興常明寺本堂1 再興常明寺本堂2
★諏訪湖の森妙見堂
浄明寺境外仏堂であった妙見堂が長野県諏訪ゴルフ倶楽部((株)ヘルシ−リゾ−ト)に移築される。
◇GoogleMapに見る諏訪湖の森妙見堂
○GoogleMap より ここには説明板が設置されるも、Googleの画像を見る限り、かなり劣化していて、判読が出来ない。
諏訪湖の森妙見堂1 諏訪湖の森妙見堂2 諏訪湖の森妙見堂3
諏訪湖の森妙見堂4 諏訪湖の森妙見堂5
2023/04/12作成:2023/04/12更新:ホームページ、日本の塔婆
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