★大和南法華寺三重塔(重文)
現三重塔は明応年間(1492-1500)の建立で、数回目の再建とされる。塔は高い基壇の上に建つ。
数段ある高い石垣の上の八角円堂・礼堂(室町期・重文)の南に位置する。
一辺4.6m、高さ23.06m。
2007/01/14追加:
「大和の古塔」黒田f義、天理時報社、昭和18年より:
「壷坂古老伝」:「永久3年(1115)正月26日始同3年3月3日立心柱願主越中擬講良慶文治2年(1186)4月23日供養阿闍梨叡尊」とあり
鎌倉初期に再興とされる。
「大乗院寺社雑事記」:明応6年「壷坂(南法華寺)塔供養、導師高野山明王院云々」とあり、室町期に再度の再興と思われる。
大正年間の修理で、二重目南西2番の柱上斗栱から「文明12年云々」の墨書が発見され、文明年中も再興工事中であった可能性はあるとされる。
2010/03/02追加:
大和壷阪寺三重塔31 大和壷阪寺三重塔32 大和壷阪寺三重塔33 大和壷阪寺三重塔34
大和壷阪寺三重塔35 大和壷阪寺三重塔36 大和壷阪寺三重塔37 大和壷阪寺三重塔38
大和壷阪寺三重塔39 大和壷阪寺三重塔40 大和壷阪寺三重塔41 大和壷阪寺三重塔42
大和壷阪寺三重塔43 大和壷阪寺三重塔44 大和壷阪寺三重塔45
壷阪寺三重塔本尊1 壷阪寺三重塔本尊2:本尊は大日如来
○「大和の古塔」 より:
基壇一辺29尺6寸、高さ6尺8寸
初重全3間15尺1寸7分、中央間5尺6寸5分、両脇間4尺7寸6分
二重全3間13尺2寸5分、中央間4尺7寸5分、両脇間4尺2寸5分
三重全3間11尺8寸5分、中央間4尺2寸5分、両脇間3尺8寸、相輪長23尺5寸、全高76尺1寸
★大和南法華寺概要
壷坂寺と通称される。壷阪山の山中に位置する。西国六番の札所。
創建は文武天皇大宝3年(703)元興寺の弁基上人の開基と伝える。
その霊験は元正天皇に達し、養老元年(717)天皇は弁基上人が観世音を感得したという壷を安置する八角円堂(本堂)を建立、同時に礼堂、五大堂、宝塔、鐘楼、経蔵なども造営、「南法華寺」(山城清水寺が北法華寺)の寺号を送ったとする。
その後観音霊場として栄え、
36堂60余坊を擁したとされる。
現在の主要伽藍は文政10年(1827)に建立されたものと云う。
本堂については、発掘により、八角円堂の基壇石が確認され、大宝3年建立時から本堂の位置は変わっていないとされる。
大和名所圖會 寛政3年(1791)刊より;
壷阪寺三重塔(部分図)
西国三十三所名所圖會:巻之6:壷阪山南法華寺
三層塔(拝殿左の向ひにあり。本尊大日如来)
壷 坂 全 図 壷 坂 部 分 図
2002/04/29撮影:
大和壷坂寺礼堂・本堂 同
本堂・礼堂
2010/03/02撮影:
大和壷阪山礼堂31
大和壷阪山礼堂32:室町初期の建立と推定される。
2017/01/11追加:
絵葉書:s_minaga蔵:通信欄の罫線が3分の1であり、かつ「きかは便郵」とあるので、明治40年4月〜大正7年(1918)3月までのものであろう。
大和壺阪山三重塔絵葉書
★大和南法華寺多宝塔
多宝塔は元の因幡堂があったと思われる石垣の中段に建立され、平成14年(2002)4月28日の落慶と思われる。
開創1300年記念で建立と云う。高さ12.45m。若干禅宗様を採用するも、基本的には伝統様の木造塔婆である。
施工:竹中工務店。本尊:大日如来(平安時代・木造)。
なお、さらに下段に大講堂も同時期に建立され、正面10間の大建築である。
柱は鉄筋コンクリート、造作は木造と思われ、外観は古式で内観は現代風である。
資金は多くの信者の喜捨によって集められる。
★大和南法華寺心礎
「日本の木造塔跡」:大正年間の解体修理の時に、西北隅の四天柱礎に舎利孔のある心礎が発見される。
大きさは1.42×1.5mで、上面に径66×12cmの円穴があり、その中心に径18cm深さ17.2cmの円孔がある。
再建時に元の心礎を転用したとするより、他の寺院の心礎を四天柱礎に転用したとするのが妥当であろう。
2007/01/14追加:「大和の古塔」黒田f義、天理時報社、昭和18年より:
「いま四天柱礎として二段凹式の立派な旧心礎が用いられてゐる」
南法華寺三重塔旧心礎
「幻の塔を求めて西東」:大きさは151×142cm、径63×12cmと径18×16の円孔を穿つ、白鳳。
2010/03/06追加:
本年3月より特別に三重塔を開扉・内部を公開。
三重塔初重は床を張らず、古式な土間・石敷と云う。しかし公開にあたり、初重南・西・北の3面に仮設の床張を行う。
以下住職談;
西北隅の四天柱礎に転用された心礎は四天柱および須彌壇が上にあり、仮設の床張が無い通常の状態でも、見ることはできない。
見ることが出来るとすれば、それは三重塔の解体修理や須彌壇の大修理などの機会があった場合だけであろう。
2006年以前作成:2017/01/11更新:ホームページ、日本の塔婆
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