2004/01/17:「(財)京都市埋蔵文化財研究所」主催「栢杜遺跡発掘調査現地説明会」が実施される。
以下「栢ノ杜遺跡発掘調査現地説明会資料」から要約する。
★栢杜推定三重塔跡
今年度発掘(平成15年度)で新たに建物基壇、石垣、溝、石敷などの遺構と大量の瓦の散布、鋳鉄製の風鐸・風招の破片などが出土する。
概要は以下のとおり。
栢ノ杜遺構配置図:2011/07/19追加
栢ノ杜遺構実測図: 同 上
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栢杜遺跡三重塔跡1:
発掘された遺跡概要(北側より撮影)
同 2:
建物基壇概要1、石で固められた基壇跡が南北約10m、東西約4m出土、西側は流失し失われる。
同 3:左図拡大図
建物基壇概要2(いずれも北側から撮影)
中央のテープは建物本体範囲、中のテープは基壇範囲、外周テープは椽範囲を示す。 |
同 4:建物基壇概要3、西側より撮影。西側は石垣が組まれ、石垣前面には排水溝が掘られる。
同 5:建物基壇概要3、北側より撮影。特に東側に瓦の堆積がみられる。中央の窪みは遺跡確認の発掘坑。
同 6:西側石垣、南北約10mで、もっとも高いところは0.8m。
同 7:石敷、基壇の外南西部。やや不鮮明であるが、これは西側溝に流失したためであろうと見られる。
同 8:基壇東側の瓦の堆積で、建物から落下したものと推定される。 |
栢杜遺跡出土瓦1 同 軒丸瓦 同
軒平瓦1 同
軒平瓦2 同
軒平瓦3
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出土風鐸・風招破片
出土風鐸破片
出土風招破片(左図拡大図)
建物が塔であったことを示すもっとも有力な物証と思われる。
礎石(根石、抜取り穴なども含め)は全て失われ、そのために平面プランの復元は困難な状況であった。
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★栢杜遺跡の概要:史跡
栢杜遺跡についての文献資料は以下のものなどがある。(「現地説明会資料」から転載)
「醍醐雑事記 巻第5」(平安末):
1.大蔵卿堂 八角二階
九体丈六堂 三重塔一基 各檜皮葺
本佛阿弥陀丈六像
願主大蔵卿 正四位上源朝臣師行之建立也、敷地は三寶院領也、
「南無阿弥陀佛作善集」(鎌倉期・・・俊乗坊重源の事蹟を著すという):
下酉酉栢杜堂一宇并九体丈六(注:酉酉は醍醐の略字)
奉安置皆金色三尺立像一々
上醍醐経蔵一宇 奉納唐本一切経一部
遺跡は下醍醐寺主要伽藍の南方約1kmにある醍醐寺子院金剛王院(一言寺)の建つ丘のすぐ南の地点にある。
→山城醍醐寺
昭和48年の発掘調査で八角円堂(北方)跡と方形建物(南方、3間四方)が発掘される。
昭和48年発掘図:2011/07/19追加
八角円堂跡は「醍醐雑事記」のいう八角二階の大蔵卿堂と判断され、方形建物は「南無阿弥陀佛作善集」のいう「九体丈六を奉安した栢杜堂一宇」と判断される。
方形建物を「九体丈六を奉安した栢杜堂一宇」と判断した根拠は方形建物の平面プランが播磨浄土堂(建久3年1192、重源造営・国宝)と同一であるということ
であろう。
今年の発掘で判明した建物跡は「醍醐雑事記」のいう「三重塔一基」であろうと判断(推定)される。
その推定の根拠は以下のとおりである。
・建物基壇が一辺約10mの方形と推定される。
※この遺構が三重塔であると仮定した場合、三重塔平面としては大規模であるが、有り得ないことではない。
同時期の三重塔の遺構として播磨一乗寺(承安元年1171建立、一辺約9m)の例がある。
・出土瓦に混ざって、「風鐸・風招の破片」が出土し、この時代での「風鐸・風招」の使用は塔以外には考えられない。
・「醍醐雑事記」のいう「三重塔一基」の遺構が今まで見つかっていない
以上などが根拠である。
ただし三重塔跡とするには以下の幾つかの弱点がある。
出土状況から判断して、この建物跡のものであると明らかな大量の瓦の出土は「醍醐雑事記」のいう「各檜皮葺」と矛盾する。
(現地説明では当初は檜皮葺であったが、後に瓦葺に変更されたと推定されるとの説明がなされるも、そういう変更が可能なのかどうかあるいは檜皮葺→瓦葺の変更の類例があるのかかどうかは
良く分からないしご都合主義の感は否めないであろう。)
さらに、建物基壇の北東隅及び南東隅は明確に検出されているが、北西・南西隅は遺構の流出で不明確であるが、正方形と推定している。(しかしこの推定は西側の石垣の存在によりほぼ正しいであろう。)
礎石(及び礎石据付の痕跡)が全く失われ、建物の平面プランが不明である。(極端に云えば平面が方3間であることの確証がある訳ではない。)
しかしながら、この地が大蔵卿堂伽藍地であるとすれば、今般の発掘遺跡は、文献に「三重塔一基」とあることさらには発掘成果なども勘案すれば、「三重塔」である蓋然性は極めて高いもの
と判断される。
2014/03/19撮影:
◆栢杜堂(大蔵卿堂)現況:
栢杜遺跡石碑:醍醐寺境内/栢杜遺跡の石碑が建つ。
向かって左上に写る土盛が八角円堂跡、右中央やや上の壇が栢杜堂跡、三重塔跡は栢杜堂の奥/住宅の手前である。
推定大蔵卿堂三重塔跡
推定大蔵卿堂八角円堂跡 推定栢杜堂跡:中央の壇が栢杜堂跡、左下隅に三重塔跡の一部が写る。
2006年以前作成:2014/03/23更新:ホームページ、日本の塔婆
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