★河内観心寺三重塔初重
室町期文明年間(1469-86)建立。
寺伝では楠木正成の建掛の塔(正成は湊川で延元(南朝)元年1336に戦死)とする。
しかし記録では現存塔初重が「楠木正成の建掛の塔」ということにはならない。
即ち
永和4年(1378)賢耀の「観心寺参詣諸堂巡礼記」には「金堂(5間4面)の東に三重宝塔があり、破壊のあと之を作る」<要旨>との記載がある
。<本堂東南三重宝塔・・・・然而破壊後重被造之。>
「仏舎利相伝記文の別記」では「寛正3年(1462)5月14日塔焼失」と云い、「文明6年(1474)再建塔に仏舎利奉納」との記録があると云う。
さらに
寛文9年(1669)の「観心寺伽藍寺役僧坊法式控」には「二重塔」(一重破壊、残る一重萱葺き)との表現があると云う。
<寛永10年(1633)の大洪水で「本堂塔并数多之坊舎破壊」(寺蔵文書)>
※2011/10/09追加:以上の項は「観心寺の建築」林野全孝(「観心寺」歴跡会、1988 所収)より補足。
現状一層の枓供までが残り(天井はない)、垂は竹で、屋根は茅葺で宝珠を乗せる。
大日如来を本尊とする。堂内四仏(弥勒・宝生・釈迦・薬師)重文は現在霊宝館安置される。
※河内名所圖會より:観心寺塔婆残欠(部分図)・・建掛塔の図が描かれて
いる。
2001/05/20撮影:
河内観心寺塔残欠1
図 2
図 3
図 4
2010/11/01追加:「国宝観心寺金堂・重要文化財同建掛塔修理工事報告書」昭和59年 より
観心寺塔残欠解体中 観心寺塔残欠初重平面
□河内観心寺金堂
2006/05/06撮影:
河内観心寺金堂1
同
2 同
3 同
4 同
5
同
6 同
7 同
8 同
9
同
鎮守堂:訶梨帝母天堂・室町前期・重文
金堂(南北朝)は国宝。
5間4面(桁行7間梁間7間)の大堂で和様を基調とした折衷様の中世の本堂として貴重な遺構とされる。
本尊は国宝如意輪観音坐像。
当寺は役小角の開創、弘法大師が再興と伝える。南朝との関係は太平記に譲り割愛。
楠木家菩提寺(中院)。正成首塚。後村上天皇行宮。同檜尾陵・・・など現存。
南朝没後も勢力を維持し、観心寺伽藍寺役僧坊法式控には46坊舎及び各院支配の院坊が27見られるという。
現在は主要伽藍及び仏像他什宝はよく護持されるも、坊舎は退転し、多数の坊舎跡と思われる跡地を残すのみ。
現在本坊(槙本院)の1坊が残存する。中院を勘定すると2坊を残す。
2001/05/20撮影:
河内観心寺金堂01
図 02
図 03
図 04
★河内観心寺法性塔(小宝塔)
なお、霊宝館には
地蔵菩薩(平安)、如意輪観音坐像(本尊前立)、弥勒・宝生・釈迦・薬師の塔内四仏、聖観音四体など(以上いづれも重文)などの古仏が祀られる。
2006年以前作成:2011/10/09更新:ホームページ、日本の塔婆
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