★近江石山寺多宝塔
建久5年(1194)[須彌壇墨書]源頼朝の寄進により建立と伝える。現存多宝塔中で原形を留める最古の多宝塔とされる。
一辺5.8m、高さ17.2m。内部は四天柱を立て、来迎壁を設ける。
2016/04/07追加:
○「石山寺の信仰と歴史」鷲尾遍隆監修・綾村宏編集、思文閣出版、平成20年(2008) より
「石山要記」(文化6年/1809尊賢僧正編纂)では「宝塔 塔高5丈6尺8寸、・・・・是宝塔建立時代不分明、但古老所伝云、鎌倉将軍頼朝卿御建立、今以如是申伝者也」とある。
さらに、多宝塔須弥壇框裏に「大法師□□□建□(甲寅)十二月廿日 供養」と書かれている。このことから、建築の様式とも合わせて、「建□(甲寅)」は建久5年(1194)と考えられるから、その時の建立と見てもよく、あながち頼朝の建立は伝承として捨て去ることは出来ない。
2000/04/09撮影:
近江石山寺多宝塔01 近江石山寺多宝塔02 近江石山寺多宝塔03 近江石山寺多宝塔04 近江石山寺多宝塔05
2005/03/13撮影:
近江石山寺多宝塔11 近江石山寺多宝塔12 近江石山寺多宝塔13 近江石山寺多宝塔14 近江石山寺多宝塔15
近江石山寺多宝塔16 近江石山寺多宝塔17 近江石山寺多宝塔18 近江石山寺多宝塔19 近江石山寺多宝塔20
近江石山寺多宝塔21 近江石山寺多宝塔22 近江石山寺多宝塔23 近江石山寺多宝塔24
2015/05/09撮影:
2023/04/14撮影: 石山寺多宝塔69 石山寺多宝塔70 石山寺多宝塔71 石山寺多宝塔72
●塔本尊金剛界大日如来:快慶作
2005/03/13撮影:
石山寺多宝塔本尊1 石山寺多宝塔本尊2 石山寺多宝塔本尊3
※昭和62年の文化庁の調査で、像内頭部に「アン(梵字)阿弥陀」という快慶の阿弥陀仏号の墨書が発見される。
それまでは、江戸期の修理で鎌倉期の造立とは分からなかったという。
※なお、別の伝元多宝塔本尊像という木造大日如来坐像(重文)も所蔵するというも詳細は不明。
2016/04/07追加:
○「石山寺の信仰と歴史」 より
この大日如来像は現在は豊浄殿(収蔵庫)にある。元多宝塔本尊と云われる。像高96.6cm、金剛界大日如来。
古来、頼朝の念持仏と云われ、9世紀頃の製作と見られる。
2015/05/09撮影:
多宝塔内部1 多宝塔本尊大日如来坐像 多宝塔内部2 多宝塔内部3 多宝塔内部4 多宝塔内部5
★石山寺多宝塔資料など
2007/03/05:
○「日本建築史基礎資料集成 十二 塔婆U」:
慶長年間解体修理、寛文年間、寛政年間、文化4年(1807)、文政10年(1827)、天保13年(1842)、天保14年、弘化4年(1847)、明治26年修理。昭和7〜8年解体修理、昭和40年屋根葺替
。
下重総間19尺2寸、中央間7尺8厘、両脇間6尺6厘、総高53尺9寸、相輪長17尺8寸、本尊は大日如来(鎌倉初期・重文)。
石山寺多宝塔立面図
2015/02/24追加:
○「朝日百科・国宝と歴史の旅 8 塔」朝日新聞社、2000 より
初重には心柱は通らず、金剛界大日如来を安置し、四天柱に42体の仏像を描く。
多宝塔初重内部
◎東海道名所圖會
石山寺伽藍図(
石山寺及び石山寺門前/東寺ガ崎)、図多宝塔(部分図)
記事;「
二層多宝塔:建久の頃、将軍頼朝卿の建立したまふなり。本尊大日如来、四隅の柱に三十七尊の画像あり。丹青妙厳なり。」
○2007/08/12追加:
「近畿名所」高木秀太郎、神戸:関西写真製版印刷、明36年 より
近江石山寺多宝塔31
「滋賀県写真帖」、滋賀県、明43年 より
近江石山寺多宝塔32
「特別保護建造物及国宝帖」内務省宗教局編、東京:審美書院、明43年 より
近江石山寺多宝塔33 近江石山寺多宝塔実測図
「日本著名建築写真帖」斎藤兵次郎編、東京:信友堂、明治41年 より
近江石山寺多宝塔34
○2010/01/10追加:
「湖国聚英」昭和3年、(昭和天皇即位式の記念の写真帖) より
近江石山寺多宝塔81
「大津市の写真帖」(表題は不明)、戦前 より
近江石山寺多宝塔82
「観光の大津」大津市観光課、戦後(写真帖と思われる) より
近江石山寺多宝塔83
○石山寺発行リーフレット(1980年年代か)をスキャン
石山寺多宝塔84
○2017/01/11追加:
絵葉書:s_minaga蔵:本はがきの年代は通信欄の罫線が3分の1であり、かつ「きかは便郵」とあるので、明治40年4月〜大正7年(1918)3月までのものであろう。
近江石山寺多宝塔85
★石山寺現況
○真言宗東寺派大本山、石光山と号する。 天平19年(749)聖武天皇発願による良弁僧正の開山。(「石山寺縁起絵巻」)西国33所13番札所。
▽は2000/04/09撮影、△は2005/03/13撮影、無印は2015/05/09撮影、□は2023/04/14冊撮影
○東大門(重文):建久元年(1190)源頼朝の寄進で建立され、慶長年中に大修理が行われたという。
近世には東大門の外、瀬田川近くに惣門があったが、今は公園となる。
▽東大門
△石山寺東大門1 △石山寺東大門2
石山寺東大門11 石山寺東大門12 石山寺東大門13 石山寺東大門14 石山寺東大門15
石山寺東大門16 石山寺東大門17 石山寺東大門18 石山寺東大門19 石山寺東大門20
□石山寺東大門21 □石山寺東大門22 □石山寺東大門23
○旧坊中跡:「東海道名所圖會」では以下のように云う。
寺房の旧跡多し。之を略す。
現存の寺院門内の北には宝性院、明王院、吉祥院。南には法輪院、蜜蔵院、持宝院、世尊院、円乗院。
門外の西には松中坊、中西坊、西本坊。東には岩本坊、岸本坊、梅本坊、東池坊、大聞坊、湖月坊等なり。
東大門門前:上記の坊中があったものと思われるが今は土産屋や駐車場や緑地となり一宇も残さず。
但しこの写真は東大門から東を写したものであるが、東大門から北に参道がありその東西に坊舎が並ぶ景観であった。
○寺中:
東大門内には8ヶ院の院家(寺中)があったが、近世の堂舎を残すのは寶性院と法輪院のみとなる。
寶性院:表門(藥医門、江戸期期)を入ると東に庫裡、西に書院があり、両者の間に入母屋造の式台玄関がある。三棟とも妻を正面とする。江戸後期の建築であろう。
寺中寶性院1 寺中寶性院2
法輪院:表門(藥医門、江戸前期)を入ると、寶性院と同じく、東に桟瓦葺の庫裡・西に檜皮葺の書院が建ち、両者は北側に妻を向ける。2棟の間を繋いで向唐破風造の式台玄関がある。江戸後期の建築であろう。
寺中法輪院1 寺中法輪院2 寺中法輪院3 寺中法輪院4
拾翠園藥医門は宝暦6年(1756)の棟札がある。
寺中跡拾翠園:「東海道名所圖會」に従えば、明王院か吉祥院あるいは両院の跡地と推定される。
公風園藥医門は江戸中期の建築。
寺中跡公風園1 寺中跡公風園2 寺中跡公風園3:「東海道名所圖會」に従えば、蜜蔵院か持宝院あるいは両院の跡地であろうか。地蔵院と表示する別書もあるので、近代には地蔵院であったのかも知れない。
大黒天藥医門は江戸中期の建築、大黒天堂は明治期の建築。
石山寺大黒天1 石山寺大黒天2
大湯屋鬼瓦の銘に享保18年(1733)の年紀があり、この頃の建立であろう。
石山寺大湯屋1 石山寺大湯屋2
世尊院薬医門は江戸中期の建築。
寺中世尊院1 寺中世尊院2
寺中蜜蔵院:世尊院と蜜蔵院との間には明王院及び吉祥院の院が現存すると思われる、現に建物が存在する。しかしその区画を詳らかにすることは能わず。
○33所観音堂
石山寺観音堂 観音堂西国33所諸尊
□石山寺観音堂2
○毘沙門堂:安永2年(1773)建立、本尊は兜跋毘沙門天立像。
石山寺毘沙門堂1 毘沙門堂内部 石山寺毘沙門堂2
□石山寺毘沙門堂2 □石山寺毘沙門堂3
○御影堂(重文):室町期の建築で元来は方3間、宝形造、屋根檜皮葺き、江戸期に背面に1間の張出しを設ける。慶長期に全体の修理が行われる。堂内には真言宗開祖弘法大師、石山寺開基良弁僧正、石山寺第三代座主淳祐内供の遺影を安置する。単層の檜皮葺で、
内部は室町時代初期を降らない様式という。
石山寺御影堂1 石山寺御影堂2 石山寺御影堂3 石山寺御影堂4 御影堂内部
□石山寺御影堂5 □石山寺御影堂6
○本堂(国宝、平安期):以下の建築から構成される複雑な構造を持つ。正堂は正面7間、側面4間、寄棟造の建築で、合の間(桁行1間、梁間7間)を付設し、南に懸造の礼堂(正面9間、側面4間、寄棟造、檜皮葺
)を設ける。創建は天平期であるが、正堂は永長元年(1096)、礼堂は慶長7年(1602)澱君による造替である。
▽本堂
△同石山寺本堂1 △石山寺本堂2
石山寺本堂1 石山寺本堂2 石山寺本堂3 石山寺本堂4 石山寺本堂5 石山寺本堂6
□石山寺本堂7 □石山寺本堂8
○三十八社権現拝殿(重文):慶長7年(1602)澱君による再建、文化8年(1811)屋根桟瓦葺きに変更。明治以降蓮如上人の6歳画像や遺品を安置するため現在では「蓮如堂」とも称される。
三十八社権現拝殿1 三十八社権現拝殿2 三十八社権現拝殿3 三十八社権現拝殿4 三十八社権現拝殿5
三十八社権現拝殿6 三十八社権現拝殿7 三十八社権現拝殿内部:蓮如6歳画像
□三十八社権現拝殿8 □三十八社権現拝殿9 □三十八社権現拝殿10
○三十八社権現本殿(重文);石山寺鎮守社。一間社流造、屋根檜皮葺、硅灰石の上に建つ。慶長期の伽藍復興時に本堂の礼堂とともに建立される。
三十八社権現本殿1 三十八社権現本殿2 三十八社権現本殿3 三十八社権現本殿4 三十八社権現本殿5
三十八社権現本殿6 三十八社権現本殿7 三十八社権現本殿8 三十八社権現本殿9
□三十八社権現本殿10
○経蔵(重文):慶長期の建立と推定される。
石山寺経蔵1 石山寺経蔵2
□石山寺経蔵3
○鐘楼(重文):鎌倉後期の建築と推定される。
あるいは「源頼朝の寄進と伝えるも、修理記録や様式などから南北朝期の建立と推定される。」(「石山寺の信仰と歴史」)
△石山寺鐘楼1 △石山寺鐘楼2
石山寺鐘楼1 石山寺鐘楼2 石山寺鐘楼3 石山寺鐘楼4 石山寺鐘楼5
□石山寺鐘楼6 □石山寺鐘楼7
○月見亭
石山寺月見亭
○心経堂;平成2年落慶、花山法皇西国33所観音霊場再興1000年記念事業として建立。心経写経を納める。堂中央には八角輪蔵があり、その1面には本尊如意輪観音を祀る・残り7面に心経を納める。
石山寺心経堂1 石山寺心経堂2 石山寺心経堂内部
○宝蔵:棟札があり、文化5年(1808)の建立。
石山寺宝蔵
○宝篋印塔;亀谷禅尼供養塔と伝えられる宝篋印塔は重文。その隣に源頼朝宝篋印塔がある。その他多くの宝篋印塔がある。
亀谷禅尼宝篋印塔1 亀谷禅尼宝篋印塔2 亀谷禅尼宝篋印塔3
源頼朝宝篋印塔1 源頼朝宝篋印塔2 源頼朝宝篋印塔3
○石造宝塔
石山寺石造宝塔:めかくし石と云われる。平安期のものという。
(鎌倉後期とも云う。)
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