過去に訪問した塔婆履歴(2000/12/16〜2001/2/10)

過去の訪問塔婆履歴

2001/02/10

山城・三明院多宝塔1
  同         2
昭和37年建立。純木造塔で山城・金胎寺多宝塔をモデルにしたようです。
狭い境内の急斜面にコンクリートの土台を造り、その上に塔婆を建造している。そのため大変写真の撮りにくい塔婆です。
山城・鞍馬寺多宝塔1
  同         2
昭和35年建立。鉄筋コンクリート。
御室・仁和寺五重塔1
  同         2
  同         3
  同         4
  同        金堂
寛永14年(1637)建立。高さ約33Mの復古調の五重塔です。金堂(桃山)が国宝。
たびたびの戦火で焼失を繰り返し、現在の主要伽藍は桃山・江戸期の再建ですが、広大な空間(境内)に多数の堂塔を配置し、今なお、諸大門・金堂・塔婆等の配置は古代寺院の雰囲気をもっています。御室派大本山。
嵯峨・大覚寺多宝塔1
  同         2
  同         3
昭和42年復興。鉄筋コンクリート。塔は主要伽藍の外(東北)・大沢の池の北に位置している。なお当寺には古くは五重塔・多宝塔が存在したようですが、早期に失われたようです。大覚寺派大本山。
嵯峨釈迦堂(清涼寺)1
  同          2
  同          3
  同        釈迦堂
嵯峨釈迦堂。元禄13年(1700)江戸にて建立(釈迦如来出開帳での寄進)、元禄15年回漕移建・現在に伝わる。江戸期・関東風な装飾が施されている塔婆です。
巨大な本堂に安置する本尊は有名な釈迦如来像(国宝)で、全国各地に清涼寺式釈迦如来として模刻されている、かの尊像です。
嵯峨・常寂光寺多宝塔1
  同          2
  同          3
  同          4
  同          5
江戸元和6年(1620)頃建立。2世日韶上人代に京都町衆(辻藤兵衛尉直信)が献上。今なお桃山風の雰囲気を残す流麗な多宝塔です。
開山は本國寺16世日ワ辮l。上人は文禄4年(1595)東山方広寺千僧供養の折、不受不施の宗制を守り、出仕せず、本國寺を出寺して、当地に隠棲し当寺を開山する。
嵐山・法輪寺多宝塔1
  同         2
昭和17年建立。嵐山・渡月橋西岸山腹にあり。現在、初層を保護のため?か、アクリル様の板で囲ってある。これは塔婆の価値を著しく損ねるもので残念なことである。
山城・樫原廃寺八角三重塔跡1
  同              2
  同              3
1967年発掘調査で、7世紀半ばに建立されたと推定される八角三重塔等の遺構を検出。史跡指定され中門・塔・回廊跡とともに史跡公園として保存されている。
図3の想定復元図は現地案内板からのもの。
2001/01/13 美濃徳源院三重塔1
  同        2
  同        3
江戸期寛文12年(1672)建立。讃岐・丸亀藩主京極高豊の寄進と伝える。
美濃真禅院三重塔1
  同        2
  同        3
  同        4(本地堂)
寛永19年(1642)建立。総高25.38M。
朝倉山(天台宗)と号する。かって南宮神社を取り巻く多くの院坊があり、真禅院もその一つであった。明治の神仏分離に際し、真禅院秀覚が中心となり、村人の絶大な奉仕のもと、本地堂・三重塔・鐘楼等22棟の堂宇を統廃合して明治4年までに移設したのが現真禅院です。
図4は本地堂(重文)です。
美濃日吉神社三重塔1
  同         2
  同         3
  同         4
  同         5(本殿)
室町期永正(1504-20)頃建立。総高24.7M。
塔婆は院坊跡の参道を進み、本殿の向かって右に今なお神仏混淆時代の姿のまま残っています。
図5は本殿です。
尾張万徳寺多宝塔1
  同        2
  同        3
  同        4
室町中後期建立。下記性海寺塔婆をモデルにしたと推定されいる。
寺伝では奈良期創建という。建長6年(1254)後深草天皇の勅願で常円上人が中興。以来尾張真言宗の中心といて繁栄するも、現在の印象はいささか境内は荒れている。多宝塔横の鎮守社(室町)は重文。
尾張性海寺多宝塔1
  同        2
  同        3
  同        4
室町中後期建立。
寺伝では弘法大師創建という。建長5年(1253)大塚の領主長谷部氏が僧良敏(熱田宮司)とともに伽藍を再興。天正年中(1573-91)兵火で焼失。慶安元年(1648)伽藍再興。
尾張長谷院多宝塔1
  同        2
  同        3
天保5年(1834)建立。堀江観音。大和長谷寺と同木という巨大な観音を本尊とする。今次大戦等たびたび被災し、現在境内は少々荒廃している。
尾張甚目寺三重塔1
  同        2
  同        3
  同        4
  同        5(南大門)
江戸寛永4年(1625)建立。
寺伝によると、白鳳期甚目(はだめ)竜麿の建立と伝える。今も古代寺院風な伽藍配置を採り、本堂向かって左に塔が配置されている。他に南大門が珍しく鎌倉期の建築です。尾張4観音の一つとしていまなお隆盛なようです。
尾張笠覆寺(笠寺)多宝塔1
  同            2
正保年間(1644-7)建立。たびたび焼失・再興を繰り返したようですが、今は尾張4観音の一つとして隆盛なようです。
尾張興正寺五重塔1
  同        2
文化5年(1808)建立。興正寺は元禄元年(1688)尾張徳川2代光友が創建。広大な境内にいまなお数十棟の建物を有する真言宗の大伽藍です。
尾張日泰寺五重塔1
  同        2
平成9年3月新造塔。木造・素木の流麗な塔婆です。覚王山と号する。明治33年(1900)タイ(シャム)国王より贈呈された仏舎利と金銅仏を安置(本尊)とするため明治34年(1904)に建立された。
付けたし 宝生院(大須観音)及び七つ寺 「その他の塔婆」→「著名な塔跡の現状」の項をご覧下さい。
2001/01/11
提供画像
池上本門寺五重塔(その2) 池上本門寺様五重塔(国の重文)は現在解体工事中です。その様子は、現在池上本門寺様ホームページ中で「五重塔解体大修理の状況」として公開されています。大変貴重なまた興味深いページと思います。
○初層水準調整○初層水準調整○初層化粧天井組立○二層軸部組立○二層四天柱組立○構造補強材組立・・等詳しく解説されています。
なお左リンクの池上本門寺様五重塔(その2)の画像は池上本門寺様のご好意で、今般、使用許諾を頂いた画像です。
2001/01/05 和泉水間寺三重塔 1
  同         2
江戸後期(天保6年<1835>頃か)建立。天平16年(744)聖武天皇の勅願で創建と伝える。現在は厄除観音として参詣が多い。水間鉄道は当寺への参詣鉄道として敷設されたもので、今も健在です。
和泉慈眼院多宝塔 1
  同         2
  同         3
  同         4
  同         5(金堂)
金堂と共に文久8年(1271)造立。高さ10.6Mの由。寺伝によると、天武2年(673)天武天皇の勅願によって願成就寺無辺光院として、創建されたと伝える。金堂・多宝塔のある位置は、日根神社の別当神宮寺として、今日まで、存続したようです。金堂(国宝)は鎌倉期の端正な建造物です。
紀三井寺多宝塔 1
  同        2
  同        3
宝亀元年(770)唐僧為光上人によって開基されたと伝え、その後も広く朝野の信仰を集めた名刹です。西国33ヶ所の第2番札所。海を隔て、和歌の浦が遠望できます。特に和歌の浦海禅院多宝塔が印象的です。
紀伊海禅院多宝塔 1
  同         2
  同         3
  同         4(内部)
江戸承応2年(1653)建立。和歌の浦・妹背山のあり、観海楼の背後にそびえる姿で有名である。対岸のはるか紀三井寺(多宝塔)を望む絶景の場所にあります。紀三井寺からも良く見えます。
紀伊長保寺多宝塔 1(左・本堂)
  同         2
  同         3
  同         4(大門)
鎌倉時代末期の様式。1357年建立。本堂(鎌倉)・大門(南北朝)が国宝。長保2年(1000)一条天皇の勅願によって性空上人によって創建と伝える。寛文6年(1666)、紀州徳川家の菩提寺と定められ、広大な地所に歴代藩主等の廟所が造営されている。
紀伊浄妙寺多宝塔 1
  同         2
  同         3
  同         4
鎌倉中期建立。寺伝によると、大同元年(806)創建と伝える。薬師堂(重文)とともに鎌倉期の建築と推定されている。
紀伊道成寺三重塔 1
  同         2
  同         3
宝暦12年(1762)再建塔。安珍清姫の物語で有名。ちょっとした門前町も健在です。

2001/01/04
提供画像

定義如来(西方寺)五重塔 定義如来・西方寺様から画像を提供いただきました。最近の塔婆ですが、純和様木造五重塔です。
2000/12/27 備中宝福寺三重塔 1
  同         2
室町中期建立塔婆。かっては一山50余の塔頭を有したと伝える。禅宗様の伽藍を完備している。なお雪舟が修行した寺としても有名。
備中国分寺五重塔 1
  同         2
文化3年(1830)頃建立。元の塔は延元元年(1336)福山合戦で焼失。江戸期に国分寺跡に現伽藍を再建。
備中国分尼寺塔婆?跡 松林の中に金堂礎石・築地塀跡等が良く残っている。中門と金堂跡東方に一辺12Mの土壇があり、塔跡といわれている。が、その土壇あとの規模(小規模)から塔跡ではなく経蔵・鐘楼等の可能性も高いと思われる。
備中五流尊滝院三重塔 1
  同            2
  同            3
文政3年(1820)建立。熊野神社境内にあるが、五流尊滝院の管理になっている。
この地は新熊野五流修験の本拠地で、現在は熊野神社と尊滝院のみ健在です。塔婆は今熊野神社拝殿(長床)の前の東方壇上に鐘楼とともに立ち、神仏分離令で所有が区分されたとはいえ、明治以前の神仏習合の姿が残されている。
備前禅光寺(安住院)多宝塔 1
  同               2
寛延4年(1751)建立。禅光寺一院の安住院管理。塔婆は後楽園の借景として丘陵地の山腹に建立されている。
2000/12/26 備後明王院五重塔 1
  同         2
  同         3
  同         4(本堂)
貞和4年(1348)頃造立。本堂と並んで立つ様は圧巻であろう。
図4は典型的な折衷様を採る密教本堂建築として有名な本堂(鎌倉期・国宝)です。
備後浄土寺多宝塔 1
  同         2
  同         3(本堂)
元徳元年(1329)再建塔。同時代の本堂も国宝。尾道水道に接して立つ姿には圧倒される。西国寺とともに尾道を代表する寺院で数多くの文化財を擁する。図2は主要伽藍配置、 図3は本堂です。
備後西国寺三重塔 1(金堂)
  同         2
  同         3
永亨元年(1429)足利義教建立。塔は金堂の後方の山腹に立ち、遠くからも望見できます。図3は金堂(鎌倉・重文)です。
備後天寧寺三重塔 1
  同         2
南北朝期嘉慶2年(1388)建立。元禄5年(1692)五重塔を三重塔に改築。唐様の代表作として知られる塔。山腹の急斜面の街中に塔のみ屹立している状態。塔自体は良く遠望できます。
安芸宮島五重塔 1
  同        2
応永14年(1407)建立。天文2年(1533)大改修。巌島神社背後東方の丘上に千畳敷と並んで立つ秀麗なかつ良く目立つ塔婆です。
安芸宮島多宝塔 1
  同        2
大永3年(1523)建立。厳島神社社殿西方の丘の中腹にある。
安芸三滝寺多宝塔 天保6年(1835)建立。昭和26年移建。元の所在地は紀伊湯浅の広八幡宮であった。
2000/12/25 播磨斑鳩寺三重塔 1
  同         2
室町永緑8年(1565)建立。西南播磨の大寺である。法隆寺の別院とされる。
備前真光寺三重塔 1
  同         2
  同         3(本堂)
室町中期建立。本堂(室町期)も密教本堂の典型として有名。塔は本堂の西の一段上の基壇に立つ。
備前余慶寺三重塔 1
  同         2
天保2年建立。現在、塔頭6院によって維持されている大寺院です。今なお1山多院制の中世寺院の姿を伝えています。吉井川河口東側の丘上にあり、西からは塔の姿が遠くから見えます。丘上で四方から風雨を受ける位置にありますが、良く現在まで伝えられたものと思います。
備前観音院(西大寺)三重塔 延宝6年(1678)建立。会陽で有名。近世の建築ながら壮大な本堂等を有する。
備前曹源寺三重塔 文政年間(1820頃)建立。今なお妙心寺派の大寺である。塔は伽藍中心から相当登った山中(中腹)にぽつんとある。
備中遍照院三重塔 1
  同         2
  同         3
室町時代応永23年(1416)頃建立。塔は遍照院の土塀の外、熊野神社参道の傍らに立つ。
備中遍照寺多宝塔 1
  同         2
桃山期慶長11年(1606)建立。寺そのものは埋め立て地に移転し、塔のみ現在も旧市街(寺町)に取り残されたままです。
備中明王院多宝塔 昭和63年新造。純木造本格塔。総高16.3M。
2000/12/16 京都教王護国寺五重塔 1
 (東寺)          2
  同            3
  同            4
  同            5
東寺は真言密教・弘法大師空海の根本道場。塔は寛永(1641)〜正保(1644)の5回目の再建塔。現存の古塔では最高(55M)の塔で、街中のこともあり、どこからでも仰ぎ見ることが出来る。

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