★当ページはサイト「風景の哲学を夢見て」様ご提供写真
並びに情報・「信濃国分寺資料館」様ご提供情報に依拠する。
1)サイト「風景の哲学を夢見て」掲載写真転載
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サイト
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から転載 |
2)信濃国分寺資料館様ご提供情報大意 「以前から「エボ神様」として知られていて、心礎の中に溜まった水を付けるとイボが治ると地元で伝承されていた。
塔心礎といわれるようになったのは戦後のことで、黒坂周平氏
が「イボ神様と塔心礎−東山道亘理駅の所在をめぐってー」『千曲』18号
東信史学会 1978年−で考察している。
心礎の大きさは、縦131.5cm、横177cm、地表面からの高さ41cm、穴の直径38cm、深さ20cmである。
なお、廃寺に関するその他の明確な遺構は検出されてはいない。」
曰理駅(わたりのうまや):
平凡社刊「日本の地名大事典」長野県編大意および信濃国分寺資料館様ページ記事大意:
千曲川畔に設けられた駅(うまや)で、伝馬10疋をそなえていた。
その場所
は、現在の上田市常磐城に推定されており、中世からこのあたりは「唐臼(からうす)」「越し上り(河岸段丘を越し上がる)」
「古屋敷」と称されていた。唐臼とは心礎のことを云うようで、この呼称は全国に散見される。
昭和48年、付近から瓦塔片も発見され、布施屋的性格をもった寺院があったと推定される。
3)200/09/19:サイト「風景の哲学を夢見て」の管理人様よりのご提供画像
当サイトのために、新たに撮影して頂く。
管理人様情報:心礎の大きさは、孔の径37−38cm、深さ約20cm、外寸140×110cm。
◆信濃エボ神様心礎1:下図拡大図
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◆信濃エボ神様心礎2:下図拡大図
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◆信濃エボ神様心礎3:下図拡大図
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●「幻の塔を求めて西東」:
180×140×45(見える高さ)cm、径35×21cm、奈良後期。とする。
●2008/11/追加:2008/11/13撮影
信濃エボ神様心礎11 同 12 同 13
同 14 同 15 同 16
千曲川氾濫域北側にある。今は半市街化し、耕作を放棄したような土地に心礎だけがポツリと残る。
そしてここには心礎以外古代を偲ばせるものは何もない状況にある。
かっては「イボ神様」として信仰されたということであるが、今は見捨てられ、忘れられた存在のように見える。
2006年以前作成:2008/11/25更新:ホームページ、日本の塔婆
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