★讃岐国分寺塔跡
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巨大な塔心礎及び14ヶの柱礎石(2個欠)を残す。
塔基壇は一辺10.1m。心礎は2.8m×1,8mで、その上に石造五重塔が据えられている。礎石は原位置を保つとされる。
「幻の塔を求めて西東」:心礎は一重円孔市式で、大きさは300×185cm、円孔の径40cm。
実測するとおよそ280×170cmで、たしかに円孔が存在すると思われるも、上に石製五重塔が据えられ、円孔の大きさは不明。
2003/12/30撮影:
讃岐国分寺塔跡略図
讃岐国分寺塔跡1
同 2(左図拡大図)
同 3
同 4
同 5:石製五重塔台石と心礎との隙間で、円穴が見て取れる。
同 6:同隙間で、穴の深さは深くない様子が見て取れる。 |
2016/10/08撮影:
讃岐国分寺塔跡21 讃岐国分寺塔跡22 讃岐国分寺塔跡23 讃岐国分寺塔跡24 讃岐国分寺塔跡25
讃岐国分寺塔跡26 讃岐国分寺塔跡27 讃岐国分寺塔跡28 讃岐国分寺塔跡29 讃岐国分寺塔跡30
讃岐国分寺心礎1 讃岐国分寺心礎2 讃岐国分寺心礎3 讃岐国分寺心礎4
★江戸期の讃岐国分寺
「金毘羅参詣名所圖會」:白牛山千手院国分寺
記事:「大塔の址(鐘楼の傍にあり、往昔の礎石のこれり)」
讃岐国分寺部分図(上図拡大図) |
「讃岐名所圖會」:国分寺
記事:「七重塔跡(五間四面、並びに礎今存す)」
讃岐国分寺伽藍図(部分図)
(上図拡大図) |
★讃岐国分寺概要 平安初期の弘法大師が来錫し、諸堂を修理したと伝える。
その後荒廃したが、高松藩松平氏の庇護を受け、ほぼ現在の山容になる。 〇印は2003/12/30撮影
、無印は2016/10/08撮影:
讃岐国分寺仁王門 讃岐国分寺鐘楼 讃岐国分寺銅鐘:創建当時
(平安初期)の鐘で、重文。
讃岐国分寺閻魔堂 讃岐国分寺毘沙門天堂 讃岐国分寺千躰地蔵堂 現本堂(鎌倉中期・重文
、5間×5間、入母屋造、本瓦葺。)は講堂跡に再建されたもの。本堂内陣に1丈7尺3寸(約5.7m)の本尊十一面観音立像(秘仏・行基作・弘法大師補修・重文)を安置するという。
〇現 本 堂 1 〇現 本 堂 2
讃岐国分寺本堂1 讃岐国分寺本堂2 讃岐国分寺本堂3 讃岐国分寺本堂4
讃岐国分寺本堂5 讃岐国分寺本堂6 讃岐国分寺本堂7
現本堂南50mの地点に7間5間規模の金堂礎石が現存、その南東50mに塔跡がある。
金堂礎石はいずれも巨石で、33個(3個欠)を残す。
〇金堂跡礎石
讃岐国分寺金堂跡1 讃岐国分寺金堂跡2 讃岐国分寺金堂跡3 2009/09/20追加:
「国分寺址之研究」堀井三友、堀井三友遺著刊行委員会編、昭和31年 より
塔址は15個(2個欠)の礎石を存す。心礎は9尺×5尺5寸で、上に建つ石塔のため枘部は不明。塔一辺は天平尺で34尺を測る。
金堂址は30個の礎石を地上に露出する。7間5間の堂を示す。
讃岐国分寺址平面図 讃岐国分寺塔址実測図 讃岐国分寺金堂実測図
★讃岐国分寺大師堂(二層塔)
建築年は不明(昭和の終り頃か平成初頭と思われる)。鉄筋コンクリート製の簡略化されたやや品格を欠く二層塔風の建築である。
平面1辺はかなり大きい建物と思われる。屋根銅板葺き、組物などは省略。
この二層塔風建物は大師堂で、前面建物が納経所と思われる。
2003/12/30撮影:
讃岐国分寺二層塔1
同 2 同 3
2016/10/08撮影:
讃岐国分寺二層塔4 讃岐国分寺二層塔5 讃岐国分寺二層塔6
★讃岐国分寺復原模型
境内の本堂裏北東に創建時讃岐国分寺を10/1のスケールで復元した模型が展示される。
模型素材には石材を用いる。
その他、東築地塀の一部、北面僧坊の東半分露出展示し、覆屋内では実物の礎石の上に建物を一部復原する。
2003/12/30撮影:
讃岐国分寺復元模型1 同 2 同 3 同 4
2016/10/08撮影:
讃岐国分寺石造模型11 讃岐国分寺石造模型12 讃岐国分寺石造模型13 石造五重塔模型11
石造五重塔模型12 石造五重塔模型13 石造五重塔模型14
2006年以前作成:2016/10/18更新:ホームページ、日本の塔婆
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