1999年6月5日、天気は快晴。
待ちに待った入替戦の日が訪れた。
大阪からも家族総出で神宮球場に足を運んできた。
相手は東都の名門・専修大学。
史上最多の31回の優勝を記録し、中央大学と共に一時代を築いた。
古くから実力の東都を支えてきた両雄が、奇しくも入替戦で相まみえることになったのである。
第1戦。中央大学は1塁側、後攻め。
ウグイス嬢によるスターティングラインナップ発表。東都リーグでは、名前のあとに出身校が紹介される。
もちろん僕にとっては、悪い気はしない。
2回裏に1点を奪って、尚も1死1、3塁で打席には僕が入った。
「絶対つないで、もう1点入れる。この流れは絶対失ったらあかん」
集中力を高め、狙い球を絞る。外野フライでも1点、内野ゴロでもゲッツーにはならない自信はある。スクイズの心構えも必要だ。
低めのボールに手を出さないように、基本的にはストライクゾーンを上げて甘い球を待った。
おかれている状況を冷静に分析できるほど、大舞台に溶け込んでいる自分がいた。
カウント1−2からの4球目、甘く入った高めのカーブに体が勝手に反応した。
――カーン!
打球はレフト前で弾んだ。クリーンヒットで、この回2点目。さらにリードを広げた。
「よし!いけるぞ!」
短期決戦において、先にリードを奪うことは、すこぶる重要なことだ。ましてや2点のアドバンテージは中央ナインに勇気をあたえた。
しかしその後は専修の2年生エース・酒井が立ち直り、クレバーな配球術と、抜群のコントロールの前に打線が沈黙。なかなか追加点が奪えなかった。
4回表、簡単にツーアウトを取った花田が、4番・半田にこの試合初のフォアボールをあたえる。
5番・本永にヒットでつながれ、6番・佐藤にはセカンド左を抜けるタイムリーツーベースを浴び、2者が生還。
たちまち2対2の同点に追いつかれてしまった。
しかし中央の守りも、ランナーを出すものの要所を抑え、6回、8回には、慎之助の素晴らしい肩でピンチを脱するなど、4回以降の得点を許さなかった。
遂に試合は最終回へ。
9回表を0点におさえ、その裏の攻撃。
先頭の溝渕が出塁してすかさず2塁へ進めると、バッターボックスには藤原が入る。
一打サヨナラのチャンスで、今シーズンのラッキーボーイに打順が回ってきた。
彼はここまで3打数無安打で、タイミングが合っているわけではなかった。しかし、何かをやってくれそうな気配が漂っている。
けれども、藤原が打ち抜いた打球はあえなくファーストゴロ。これで2死3塁、次の申原に全てが託された……はずだった。
ところが、ここで信じられない光景を誰もが目にする。
藤原の打球はアンツーカーでバウンドが変わり、ファーストの佐藤のエラーを誘った。そしてボールは転々とファウルグラウンドへ――。
セカンドランナーの溝渕が3塁を回り、ホームベースを踏むときには、ベンチの中は監督と部長、そしてスコアラーを残して誰もいなかった。
「しゃー! サヨナラや!」
メンバー総出で、歓喜の輪に入る。スタンドは総立ち。
3対2、試合終了。
またしても神風が吹いた。鳴り止まない拍手が、入替戦で勝利することの大きさを物語っていた。
2年前は1勝すらできなかった。
先にこちらが王手をかけられたことはもちろん、1部の専修大学と互角に戦えたことが何よりの収穫だった。
「やれる。俺らはやれる。明日も勝って1部にいくぞ」
帰りのバスは、夢と希望に満ちていた。
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