僕はお酒の力は必要だと感じている。
もちろん他人に迷惑がかかるような飲み方はよくないけれど、親睦を深めるためや、本音で話ができたりするので、仕事の上でも役立つのでないかと考えている。
大学時代は、必ず週に2回は飲んでいた。
1日は行きつけの居酒屋、そしてもう1日は僕の部屋だった。
フローリングが敷かれてあるので掃除がしやすかったということと、部屋子の高木も飲んべえで、先輩と飲めることがむしろ楽しそうなので、僕が毎回部屋を提供した。
いつもの固定メンバーは、僕を含めて4人。柳川の花田真人、明徳義塾の平田直己、観音寺中央の久保尚志である。
たわいもない話から野球の話まで、よくもまあこれだけ気の合う仲間が集まったものだと感心するぐらい、ほとんどの行動を共にしていた。
花田は、ピッチャーをするために生まれてきたような奴で、性格は優しい反面、負けん気は人一倍強かった。
愛称は「マー坊」。
肘や肩に持病があり、ベストコンディションでいることが全くなかった。
肘は曲がり、真っすぐに伸ばせない。
「俺の腕と交換してあげたいけどな」
将来のある彼に、このようなことを言ったのを覚えている。
相撲が大好きで、よく行司のものまねをやっていた。
平田は、ひと言でいうなら熱い男。
愛称は「ナオキ」。
筋肉痛が友達というほど、筋トレに励んでいた。
鎖骨や首筋を触られるのが大の苦手で、触ろうものなら飛び上がって驚く。
「サッと剃ってください」
これが、首筋に触れられるのが苦手な彼の床屋での決まり文句である。
久保はセンバツ優勝投手の肩書きを捨て、本格的に打者へ転向した。
愛称は「クボ」。
静かな性格は、闘志を内に秘めた証拠。
責任感が強く、副キャプテンに選ばれたのも納得できる。
酔っ払うと「久保ダンスコール」が起き、しばしば華麗な踊りを披露した。
花田以外は全員B型。
自己チューの塊のような僕らを、O型の彼がうまくバランスをとっていたのかもしれない。
今でも変わらぬ付き合いを続ける僕の大親友たちである。
普段は羽を伸ばせない下級生も、僕は積極的に飲みの場に呼んだ。3つも年上の先輩とは、お互いなかなかコミュニケーションを取る機会が少ないからだ。
もちろん未成年の彼らにお酒をすすめるわけにはいかないので、ジュースやコーラなどは僕らが用意した。
中央大学の歴史や、野球部が歩んできた道を話すことによって、お互いの距離が縮まればいいと考えた。
野球という上下関係の厳しい環境で育ってきたので、後輩たちも最低限の礼儀は知っている。僕は、それ以上は求めない。
好かれる者は、よく気が利いたり、喜ばせるようなことをしたりと、それなりの理由がある。
社会に出て得をするのは、大抵こういう処世術に長けた人だろう。
後輩たちには、ちょっとした気配りができないせいで、この先の人生で損をしてほしくない。
せっかく中央大学に来たのだから、将来の役に立つ何かを感じてほしかった。
寮の中は、学生でありながら社会勉強ができる素晴らしい空間でもあったのである。
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