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25.新チームでのレギュラー争い

「仕事」が一切ない夢の寮生活へ

待ちに待った新チーム。
「とうとう僕たちの時代が来たぁ!」
高ぶる気持ちはおさまらない。
寮生活もガラッと変わった。
何かに怯えながらの理不尽な生活から、天国のような毎日に様変わりした。
洗濯も、スパイク磨きも、ご飯の用意も、全部後輩がしてくれる。
僕は、野球のことだけを考えていればいい身分になった。
そう、遂に最高の環境を手に入れたのだ。

新体制で副寮生長に就任

新チーム練習初日、キャプテンを決める指名投票が行われた。
この年は、総理大臣がころころ変わり話題になっていたので、指名投票には誰もが興味津々だった。
4月に細川護熙首相が辞任して羽田孜首相が誕生したと思ったら、ひと月前の6月には村山富市首相になっていた。政界が混沌としていた時代だったのである。
僕は迷うことなく、八尾フレンド小学部の頃から全幅の信頼をよせている諸麦健二に票を入れた。
投票の結果、新キャプテンは福留孝介が選出された。
副キャプテンは前田忠節(ただとき)に決定。
そして、「寮内のキャプテン」である寮生長には諸麦健二副寮生長に稲荷幸太(僕)と、渡辺剛史が選ばれ、新体制がスタートした。

熾烈なレギュラー争いの幕開け

僕の緊張と不安は、すでに別のところにあった。
「レギュラーとれるかな……」
全ては初日のノックでわかる。どのポジションで誰と競うのか、いち早く知りたかった。
僕らの年代の内野陣には、ちょっとした変化が起きていた。
入寮した時点では、サードに福留、ショートに渡辺剛史と河村剛、セカンドに僕と植田隆士となっていたが、サードの福留が昨年のチームでショートを守ったことによって、何人かのコンバートを余儀なくされたのだ。
「稲荷、サード行け
中村監督の指示はこうだった。
ショートは福留、セカンドに渡辺と植田、同じサードに河村が来て、レギュラー争いが幕を開けた。
「なんでセカンドさせてくれへんねん」
そんなことを思っている暇などない。とにかく、レギュラーになれるなら、どのポジションでもよかった。
熾烈なレギュラー争いは、連日のように繰り広げられた。
首脳陣の個別指導を受けると「よし」と内心ガッツポーズをしたが、逆にライバルがそれを受けていると不安になった。

骨折で背番号は「13」に

この年は、前年の冷夏から一転、記録的な猛暑となった。梅雨明けが早く、西日本では深刻な水不足になっていた。
PLでも、ことあるごとに「節水! 節水!」というフレーズが飛び交っていたほどだ。
そんなうだるような猛暑の中、練習試合が多く組まれ、選手にアピールの場が平等にあたえられた。
今の時点では、誰がレギュラーになるのかは全くわからない
帝京高校、観音寺中央高校、崇徳高校など、様々な高校との練習試合を消化していった。
そして夏休みも終わりにつく頃、それは起きてしまった……。
「ボキッ」
この衝撃に血の気がひいた。
練習中、捕球しようとしたときに、イレギュラーバウンドしたボールが、僕の右手の薬指に直撃した。
ただの突き指だと思いこみたかったが、これは尋常な痛みではない。みるみる腫れ上がっていく指をみて、すぐに悟った。
「あかん、折れた……」
全治1ヶ月。診断結果は、予想どおり骨折だった。
指の痛み以上に、レギュラー争いから脱落したことが何よりも痛かった。
「俺の高校生活は、もう終わりや……」
やり場のない怒りでさえも、さざなみのように寄せてくる絶望感によって、どんどんかき消されていった。
心にポッカリと穴があいたような虚無感に打ちひしがれた僕の頬を、自然と涙が伝っていった。
秋季大会直前、僕がもらった背番号は13番だった……。

26章につづく

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