ペルー、ボリビア、ニューヨークの日記

小さいころからあこがれていたアマゾンのジャングルやマチュピチュ遺跡は 期待以上。しかし、現地の人たちとのコミュニケーションという点では残念。 東南アジアでは少々溶け込みすぎていたのかもしれないが、南米では様相の違う人種の中で、しかもスパニッシュが覚えようとしても難しい。町で歩いていると 「チーノ!」(中国人を馬鹿にした呼び名)と声をかけられたりと疎外感すら感じた・・・

平成21年2月5日 

出発前日

荷物を整え終え
市内を意味もなく走り、思いっきり愛車の洗車してバッテリーを抜く 。親がちょっと普段よりも手の込んだ食事を出す 。部屋を徹底的にきれいにする。
帰ってこれるのだろうか・・・・。4年間、冬になる度行ってきた儀式は年々重圧になって来る。そろそろ足を洗う時が近づいているのだろう

本日は名古屋入りして、黄熱病の予防接種を受けてきた。

平成21年2月6日

JFKでホームレス体験

8 時半に名古屋を出発→成田→ニューヨークと乗り継ぐ。チケットは思うように取れず、成田とNYの空港では10時間以上の待ち時間があった。成田空港では昼 間でネットカフェがあったから良かったものの、NYに付いたのは夜で、朝まで時間をつぶさなくてはいけなく、ホームレスのようにうずくまって寝ていた。写 真はJFK空港に降りる寸前のNY夜景

平成21年2月7日

リマに到着

寒さで、あまり眠ることができなかった。ペルーへの出発ロビーに着くと、すでに廻りはスパニッシュで溢れており体つきや顔つきもラテン系だ。

 いよいよ今回の旅の玄関となるペルーのリマに到着。客引きは多いものの、東南アジアほど押しの強いものではなく、すんなり身を引く。

本日の宿は日系人が経営するペンションだ。とりあえず、ここで、最新の情報を詰め込んでいく。

平成21年2月8日

地上絵

今 回の旅はチケットの関係上、一ヵ月後には日本へと帰らなくてはいけない。実質、移動の時間を省略していくと20日ぐらいが自由に使える時間だ。無駄な時間 はほとんど無い。後半に重要なところをとっておき、とりあえずの名所を急ぎ足で巡るペルーを反時計回りのコースに決定。

起きるとと直ぐに、荷物をまとめバス会社へと向かう。朝一番ののチケットをゲットしてナスカへと駒を進める。

15 時にナスカ到着、風は穏やかではないが視界は良好、即効でセスナの予約をして空中散歩に出かける。人数が集まると、4人乗りの小型セスナは有名な地上絵 をいくつか旋回してくれる。あまり期待していなかったが、大きさに圧倒された。しかし、不安定すぎるセスナは二度と乗るものかと思っ た。

平成21年2月9日

本日はアレキパという町。ナスカの町は地上絵以外に見所は無いので、深夜バス7時間の道のりをやってきた。バスの中で急に始まった ビンゴゲーム・・・スペイン語のわからない自分は隣のオッサンに助けてもらいながらゲームに参加。そしてなんと、一人しかもらえない商品をゲット。ピスコ という名産のお酒らしい

平成21年2月9日

石灰岩でできた町並みはうわさ以上に美しく、晴天も相まって歩いていて清々しい。

平成21年2月10日

 同じ宿にいた日本人を誘って市場などの散策をする。ペルーに来て初めて地元料理にありつく。セビーチェと呼ばれる料理で新鮮な魚介類を何かに漬け込ん だものとご飯を一緒に食べた。清潔とは程遠い感じの市場だったが収穫は多かった。午後は有名な修道院跡の見学する。

平成21年2月11日

アレキパ最終日

それほど観光客の訪れないこのあたりでは、アルパカ製品が安いとの情報を得たので、昼間は買い物中心の街歩き。夜はフォルクローレの生演奏を聞きながら少し贅沢なレストランで食事をとる。客は自分ら以外居らず貸切状態だった。

平成21年2月12日

バ スでチチカカ湖で有名なプーノへとむかう。途中バス同士が正面衝突して無残な姿となっているのを目撃。後で見た新聞によると、イタリア人旅行客など17名 が死亡した悲惨な事故だったらしい。何かの間違いで、もう少し早くチケットがとれていたら乗っていた可能性のあるバスだ・・・南無南無。

 プーノに到着すると、町中いたるところでパレードが行われている。実は今日まで、ガイドブックの脅しで、カメラを取り出す機会が少なかった。本日は観光客も多く、カメラを持ち歩いている人もちらほら、安心して撮影できました。

カメラを取り出した瞬間、視線が集まる東南アジア某国と比べると、危険な感じはしないんだけどなぁ・・・

しかし、祭り中は無礼講らしく、水やら泡状のスプレーをかけられ、それらからカメラを守るのには苦労しました。(写真:下泡スプレーで戦う女の子)

平成21年2月13日

朝からどんよりした天気

昨 日ホテルのオーナーにチチカカ湖ウロス島のクルーズチケットを頼んでしまっていたので、仕方なく乗船。乗ったころに は雨が降り出し、最悪のクルーズ。事前の情報収集の中で、相当綺麗な景色が拝めるとあったが残念。トトラ草を積み重ねて作ったウロス島もかなり観光地化 しており、物売りの攻撃も激しい。

 今日ボリビア入りする予定でバスのチケットを買ったのだが、ホテルに干したまま合羽を忘れた ことに気が付き、チケットを捨てて明日出発することに・・・

何かツイテいない日だった。

平成21年2月14日

国境を越えボリビアにやってきた。ガイドブックの情報があまり役に立たなくてかなりまごついたが、夜行バスに乗りラパスからウユニの町へと移動することができた。噂通りの悪路はロディオ状態で12時間の移動は、最強に疲れた。

 あ まり寝ていない状況だったが、到着早々、ウユニ塩湖のツアーを探しに代理店を探す。「地球の歩き方」絶賛のお店に行くと5人の日本人バックパッカーがたむ ろしている。その中の一人がやたらウユニマニアで周辺情報が半端無い。 実は、この人のうわさはアレキパで聞いていた。雨が降り、塩湖が鏡状になるのを見 るために10日間以上待ち続けている人だったのだ。しかし、この人もリミットが近づいているらしく、今日ツアーに参加するのだとか。他2名の日本人含め4 人で1泊二日のランクルツアーに決定。塩湖ほとりにある本日の宿「ルナ・サラダ」に向かう。壁から椅子、テーブルにい たるまでほとんどの物が塩のブロックでできており真っ白。久々5つ星ホテル並みのサービスに戸惑う。

普通は、このまま至れり尽くせりのサービスでくつろいで今日は終了なのだが、我々は自力で塩湖のほうに歩いていき4時間ほど遊びまわる。



平成21年2月17日

夕 日が沈むと同時に気温が急激に下がり、夕食を食べているあたりから熱が出てきた。休み無くここまで旅を続けてきて疲れが溜まっていたのだろう。ツアー仲間に朝食を部屋まで運んでもらったりと迷惑をかけてしまった。出発の12時ごろまでには何とか動けるほどに回復。

 今日は一面真っ白な世界をランクルでひた走りイスラデペスカという塩湖上の島に行ってきた。途中銀世界の中にポツンと十字架が立っているところでドライバーが 口を開く「日本人の旅人6人がここで自動車事故にあい死んだ・・・」とても重くのしかかってくる話だ。旅行の最中、幾度か死の恐怖を感じたことがある。管 理しつくされ安全清潔な日本とは違うのだ。

 塩ばかりの世界に突き出た島「イスラデペスカ」は巨大なサボテンがにょきにょき生えた不思議な世界。生命力の強さというものを実感できる。

平成21年2月17日

ま たもや12時間かけてラパスへと戻る。体調は思わしくないままだが、せっかく訪れたラパスでの時間を大切にしなくてはいけない。無理をして通称魔女通りという場 所まで歩くことに。しかし、どうもカメラを取り出しにくい どうしてガイドブックであれほどまでカメラをぶら下げて歩くのは危険といわれているのかいまだ に理解できない。 急ぎ足の旅行だけに状況判断を誤れば日程が大幅に削られるので、大事をとって・・・残念ながら隠し撮りのような写真しか撮れなかった。魔 女通りは怪しい物好きの自分にはなかなか見ごたえのある場所だった。黒魔術?系の道具、アルパカの子供やアルマジェロ、コンドルといった動物のミイ ラ・・・怪しさ満点

平成21年2月18日

朝8時半にラパスからクスコへのバスに乗り込む。今日も12時間に及ぶバスでの移動。バックパッカーの移動は過酷を極める

 ク スコに到着は夜中。しかも、狙っていたホテルはFullRoom... 本気で困った顔をしていたのだろうか? 宿のオーナーは、帳簿を眺めて日本人が泊まっている部屋をみつけ、ノック「このかわいそうな日本人が部屋が無くて 困っている、相部屋にしてやってくれ」と話してくれたようだ。女性でしたが、心の広い人で相部屋させてもらうことに。

平成21年2月19日

相部屋した人も、同じようにマチュピチュへ向かうとのことだったので、タクシーシェアで一緒にオリャタイタンボまで行き、ハイラムビンガム号鉄道に乗っ てアグアカリエンティス(通称マチュピチュ村)まで向かう。この村、かなり適当に作った感たっぷりの安宿街になっており、あまり感心しないものだった。 20ソルの安宿に部屋を取りこの村の名物温泉につかりに行き2~3時間疲れをいやす。とりあえず明日のマチュピチュ見学に向けて、日本から持っ てきた飯と味噌汁でパワーアップ。


平成21年2月20日

早 朝6時半バスに乗り込みマチュピチュを目指す。発見者ハイラムビンガムの名前の付いた有名な九十九折の坂を上る。いよいよ念願の遺跡が見えてきたとき、鳥 肌が立った。急いで一番有名なビューポイントで撮影した後、一日400人限定のワイナピチュ登山の整理券をもらいに走る。10時からの登山許可が出たの で、やっと一安心、それまで、ゆっくりと見て廻ることに。

テレビや本で幾度と無く見ている風景だが、この場に立ち込める神聖なオーラに圧倒される。当時の技術は今の現代技術を使っても困難と思えることをやってのけている。自らの手で、繊細に切り取られ積み上げられた巨石をなぞる・・・インカの声が聞こえたような気がした。

 ワ イナピチュへの登山が許された10時になり向かうことに。年間何人かの死人が出ているというだけあって、なかなかハードなトレッキングだ。一日400人が 上るというのに、断崖絶壁に向かって何の安全策も取られていない箇所が多数ある。下りでは、よせばいいのに月の神殿と呼ばれる場所に、辛く長い寄り道をす る。帰途に付くころには大雨が降ってきてずぶぬれになった。宿の近くにある温泉が唯一の救いだ。

平成21年2月21日

 昨 日は一日中歩いていたが、すべてを廻りきれなかったので、今日もマチュピチュ入りすることに。今日は生憎の天気で多くの人は残念がったのだろうが、完全防 備で向かった自分はイメージどおりの撮影を観光することができた。晴天では幻想的な「天空の城」という絵が撮れないのだ。昨日とあわせると、一応隅から隅まで 廻ることができ、さらに人も少なかったおかげで物思いにふける時間も沢山取れた。

昨日に引き続き最終バスまで粘って夕焼けを撮る

平成21年2月22日

 早 いもので、ペルーでの時間は実質あと一週間ほど。早朝5:30のハイラム・ビンガム鉄道に乗りこみ、クスコの町へと戻る。前回と同じホテルにチェックイン して休むまもなく、次の目的地へのチケット手配のため町を徘徊する。マチュピチュ観光に並んで、今回の旅でのメインイベントであるアマゾンへ行くためのチ ケットだ。そんな中、クスコのアルマス広場を歩いているとき、「どこかで、会いませんでしたか?」と声をかけられる。なんと、前の年にラオスでルームシェアして3日間ほど行動 をともにしたU君との再会である。地球の裏側での再開に二人とも唖然とする。

平成21年2月23日

 昨 日はU君と飲みに出かけ、本日も行動を共にすることに。日本円にして千円ぐらいで2時間の乗馬遺跡ツアーがあると彼が情報を仕入れてきたのだ。 馬はスマートでカッコイイし、スパニッシュを操るU君のおかげで馬使いの青年とも仲良くなれた。2時間も乗っていると尻が痛くな り、もう十分というくらい。遺跡自体は保存状態など悪く、あまり記憶に無いが、良い乗馬経験になった。

平成21年2月24日

9時半にリマの空港にチェックインしてイキートスへと飛んだ。あまり需要の無い路線らしく、197ドルも払う。イキートスに到着したのは 夕7時。タクシーを捕まえ「地球の歩き方」に載っていた旅行代理店へと向かう。ロッジ三泊四日のジャングルツアーを240ドルで契約し安ホテルにチェックイン。

  それにしても南国っぽい熱気、香り、バイクの多さ、トゥクトゥク、東南アジアを髣髴とさせる町。すでに暗く、出歩くのは危険と判断。ホテルの前でやってい る唐揚げ屋さんで飯を喰う。

平成21年2月25日

早朝6時よりスラムの市場に向かう。日本では観賞魚として高値で取引されるアマゾンの魚たちが食材として市に並ぶ・・・。以前自分でも飼育していた魚たちも、こちらでは重要な蛋白源。

9時にアマゾンツアーへの出発

ア マゾン川をボートで下る。他の都市から孤立したイキートスでの移動手段は専ら船だ。本流から幾つかの川を分岐してジャングルっぽくなってきたところに本日 とまることになるロッジがある。原住民がいまだに伝統を守りすんでいる村と隣接しており、原住民の歓迎を受ける。吹き矢での狩の方法を教わったり、シャー マンから幾つかの薬を飲まされたりと、初日から実の詰まったツアーだ。

 特に夜のアマゾンジャングルサウンドツアーは粋な計らい。満天の星空の下、 懐中電灯の光だけで手漕ぎボートを走らせる。さまざまな動物や昆虫の声が聞こえる湖の真ん中でしばらく浮いていた。南十字星の見える中で、地球上最高の音 楽を聴いた。

 

平成21年2月26日

 立 派なロッジとはいえ、ジャングルでの眠りは、いろいろな音が神経をすり減らす。

日の出と同時に昆虫探し に出かける。現在は雨季で、かなりの面積のジャングルは水没している。こういったときは昆虫は少なくなった陸地に集結するので見つけやすい・・・はずなのだが、 なかなか思うようには行かない。擬態が上手すぎて目に留まらないのだ。

 昨日までは自分を含めて4人の観光客がいたのだ が、今日はガイドのホセとマンツーマンで進んでいく。今日のメインイベントはジャングルの巨木探しだ。長い山刀を携えて密林の中に入っていく。雨 季ということもあり、泥沼状になったところで手こずったり、なにより、蚊の量が半端ない!前を歩くホセはまるで黒いオーラをまとっているかのようだ。

 イメージ的にサルが気を飛び回り、綺麗な蝶が飛び回るジャングルの様子とは、まったく別世界。動物はわれわれの視界に入る前に気配を感じ逃げていく ので、逃げる音しか聞こえない。しかし、ジャングルが人を寄せ付けない様を五感で感じてこれたので最高の思い出だ。

 

平成21年2月27日

ジャ ングルツアー3日目、昨日の夜中から大雨が降り朝も小雨が続いている。9時ごろには天候は回復、予定通り釣りに出かける。釣りといってもホセが木 で作ったさおに釣り針・・豚肉を吊り下げるという簡単なものだ。かなり独特な釣り方で、はじめに水面をバシャバシャ勢い良く叩き、豚肉を投入。どうやらピ ラニアが今回の獲物らしい。何度か当たりはあるもののまったくつれる気がしない。結局一日でホセが3匹釣って、自分は坊主。どうやら、雨季はいたるところが水没して魚は広範囲に広がっていて釣りには向いていないというが情けない。

 

平成21年2月28日

アマゾン最終日、洗濯物は湿気でまったく乾かない。食い物のお蔭だろうか?自分の体臭が変化したのか?洗濯物がトロピカルなにおいを発している。ジャングルツアー最終日を飾るイベントは動物園見学!?・・・・

 多くのアマゾンにあこがれてきた旅行客はTVでみたイメージが先行してしまい、動物が腐るほど いると勘違いして来て、ツアー会社とトラブルになるそうだ・・・そこで、保護した動物などを一箇所に集 めて飼っている場所を案内するのだとか。

巨大な淡水亀、ワニ、アナコンダ、サルの類を順々に抱かせてくれる。まじかで見るナマケモノはなかなか味のある動物で、以外に剛毛 敵を威嚇するときダースベーダーの呼吸のような音を出す で、爪で挟まれると痛い

平成21年3月1日

昨日は4時にジャングルツアーが終わり、ガイドとの別れを惜しむ時間も無く即効で空港へと向かい、リマへ戻る。同じ飛行機で久々に日本人を見る、彼は一ヶ月間アマゾンの原住民の村で過ごしていたのだという。上には上がいるもんだ。

リマでの宿は「オキナワ」日系の人が経営しているドミトリー形式の宿だ。本日は日曜日で休みの場所が多い、町に出てもあまり見るところが無いのだ。思わず置いてあったゴルゴ13を読み始めるとハマッテしまい、さらに戦力低下・・・。