国指定重要有形文化財: 犬飼の農村舞台
              阿波人形浄瑠璃公演
                    2009:11:3 11・00〜15・00
  
 1 農村舞台 
    江戸時代から昭和初期にかけて、庶民の娯楽として人気を博した歌舞伎や
   人形浄瑠璃を上演する場として作られたのが「農村舞台」とのことです。
   全国調査(昭48年公表)によると全国で確認された1,338棟の農村舞台のうち
  
209棟が徳島県です。
   
太夫座を有する人形芝居系農村舞台は、218棟あり、その約96%に当たる
  
208棟が徳島県内にあると報告されている。(角田一郎編「農村舞台総合的研究」)

   ただし、人形芝居を公演しているのは、平成16年現在、坂州・今山・小野・拝宮
  法市・
犬飼の6舞台とのことです。

 
2 犬飼農村舞台
   徳島市の南南西に位置する八多川上流の名勝「五瀧」の登り口に鎮座する
  
五王(ごおう)神社境内の社叢の中、山の斜面を切り盛りしたところに農村舞台
   は、建っています。
   当神社の祭礼は、昔から神輿や山車を出さず、秋祭り宵宮に、地元の若連
  (瑞穂劇団)による地芝居や人形座を招いての
人形浄瑠璃、氏子たちが継承
   してきた「
襖からくりなどを、神々に奉納してきたとのことです。
      
   犬飼舞台は、江戸時代に建立、現在の舞台は、明治初年に再建される。
  構造は、木造寄棟造茅葺でしたが、昭和10年に屋根を鉄板で覆う。
  舞台右側の斜め前方に「太夫座」が、舞台後方には「千畳敷場」が付設され
  ている。
   平成10年12月に坂洲(木頭村)の舞台とともに、
国の重要有形民族文化財
  に指定される。

    五王神社:犬飼農村舞台 近辺地図

   

  八多町近辺 農村舞台
     
    
速雨神社(雨の宮)クスノキ徳島市天然記念物    左の道は五瀧へ 右は、犬飼農村舞台
     
            
五王神社            農村舞台 右の小さな建物は、太夫座

   阿波人形浄瑠璃編 
    
     
      傾城阿波の鳴門 母娘の出会い          壷坂観音霊験記 沢市・里 夫婦愛の物語
             右のアイコン(写真)をクリックしてください。
              阿波人形浄瑠璃編:biglobeウェブリアルバムへリンクします。
                             
   襖からくり 段返し千畳敷
      舞台の特徴
   舟底楽屋」と「襖からくり」が、大きな特徴です。

  2 舟底楽屋」は、からくり場の下方に、地面を40cm程掘り下げて造った舟底型
  
上造りの楽屋で,10uほどの広さがある。

   襖からくり」は、氏子8〜10人の手動により130余枚の襖が、42の景色・動物・
    花・文様に変化する。
     犬飼では、からくりを遣う人を道具役・主役・綱引役・合図役など10名程度で
   構成されている。

    「舟底楽屋」とともに、阿波独特のもので、全国的にも非常に珍しく、、民族的
   に見ても
貴重なものだそうです。
    「からくり」の技法としては、田楽・引分け・引抜き・千鳥・上昇・切り落とし等
   あり、口千畳から中千畳、そして奥千畳へ次々と展開させていきます。
    襖は、明治時代に徳島の絵師等によって、泥絵の具
で描かれたものです。
     平成10年4月、その価値が高く評価され、「犬飼農村舞台の襖からくり」として、
   徳島市指定無形文化財に指定されました。
    また、舞台斜め前方に付く
太夫座は、徳島県下に残っている約3分の1の舞台
   に付いており、
重要な役割をしている。

     
      
  竹虎図 田楽返し 見事完成               鷹図 田楽返し 完成
     
       中央から左右引き分け・・・変化                波鷹図  完                                   
                           
                             太夫座
                    上のアイコン(写真)をクリックしてください。

                  
襖からくり等編biglobeウェブリアルバムにリンクします。
                                
   阿波の人形芝居と人形座
  
 阿波の人形芝居は、300猶予年の歴史と伝統があるとのことです。
   人形芝居の発祥の地は、淡路島で、元阿波藩主蜂須賀公が領有しており、
 地方巡業に出る時には、阿波の城下で興行してから出発したそうです。
   隠密が、人形座と同行することもあったと伝えられています。

   このように人形芝居は、阿波藩の庇護のもとに榮え、最盛期には、淡路で48座
 阿波で67座の人形座が生まれた。
  
現在では、小中学校のクラブ活動、民芸部を含めて、約20座が、伝統を受け継ぎ
 活躍しています。
  
  
阿波の人形浄瑠璃が全国に名をなしたのは、近松半二の「傾城阿波鳴門巡礼歌
 の段」、吉田角丸の「伽羅先代萩」、竹田出雲の「菅原伝授手習鑑」、などの不朽の
 名作が当時の日本人の気質に乗ったためと思われます。
   神社境内の常設舞台や掛小屋で、人形芝居が盛んに上演奉納されていました。

   
太夫座では、浄瑠璃を語る太夫と、伴奏を務める糸(三味線)が袴を付け、分厚
  い座布団に座り見台に浄瑠璃本を載せて、屋外棧敷に響き渡るよう朗々と語ります。
   一体の人形は、3人遣いで、舞台の木手や二の手で数体の人形が操られます。
   人形・太夫・糸・客席(棧敷)が一体となって、舞台は一段と熱気を帯びていきます。
                           (犬飼農村舞台保存会資料より掲載)