第19番 橋池山 摩尼院立江寺(たつえじ)
              

                   立江寺近辺地図
                 
                              JR立江駅から 徒歩約5分
                     小松島市営バス 立江小学校前→恩山寺前→徳島駅への運行あり。

                            立江寺 境内 配置図
                            

                    
                                第19番 立江寺 仁王門

                    
                                    立江寺 本堂 

              
                          大師堂                        多宝塔

              
                           黒髪堂                 庫裏(信徒会館):宿坊「350人宿泊可」

                      
                          御本尊(延命地蔵菩薩)           納  経

 山 号  橋池山
 院 号  摩尼院
 寺 号  立江寺
 本 尊  延命地蔵菩薩
 開 基  行基菩薩
 宗 派  高野山真言宗

                    住  所  〒773−0017 徳島県小松島市立江町若松13
                             電 話  80885)37−1019

            御真言  おん かかかび さんまてい そわか
          
御詠歌  いつかさて 西の住居の わが立江 弘誓の舟に 乗りて到らん

立江寺 略縁起(抜粋)

 当山は、人皇45代聖武天皇の勅願寺という格式をもった名刹であり、天平19年
747)に行基菩薩が光明皇后のご安産の念持仏として勅命により、金の一寸八分
の本尊「延命地蔵尊」
−世にこれを子安の地蔵尊と称し奉る−をお作りになり伽藍
を建立、開基されました。


  伽藍建立の地を決めるに当たり、一羽の白鷺が何処からとなく飛んできて九ッ橋
(現在の白鷺橋)の上に止まり、行基菩薩に仏天の暗示として霊城を示したと伝え
られている。
 

 
弘仁6年弘法大師が、四国八十八ケ所霊場を開創になられます時に当山に留錫
され
大師自ら一刀三礼をなして、6尺に余る大像を刻まれ、一寸八分の本尊「延命菩
薩像」を、その御胸に秘収安置され、当山を「立江寺」と号し、第19番の霊場とされた。

  天正年間に四国制覇を目指した長宗我部により、ご本尊を残して兵火にあい焼失
した。
  豊臣秀吉の四国征伐後、阿波に入国した阿波藩主:蜂須賀家政が再興して、現在
地に移したという。

 当寺は、阿波の関所寺として知られている。請人の理非曲直を見分け、不義常通と
か、邪悪の心を抱いた者には、天罰を下すと言われている。
ちなみに、四国霊場には、四つの関所寺がある。「第19番立江寺」「第27番神峰寺」
「第60番横峰寺」「第66番雲辺寺」である。

 本堂は、昭和49年10月28日未明に本尊を残して焼失した。
昭和52年12月に復興再建された。本堂を中心に左側に観音堂、右側に護摩堂を有
する見事な建築である。
 また東京藝術大学の教授はじめ約40人によって、本堂天井に描かれた
絵は、見事
です。

 本堂内の左側に寿老人(じゅろうじん)、右側に賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)が安
置され、息災延命などの願いを叶えてくれるとのことです。

    
 ー黒髪堂 肉付き鐘の緒の由来ー
 石洲浜田(現在の島根県浜田市)城下通町3丁目桜井屋銀兵衛に、お京という娘あり、16
歳のとき、大阪新町へ芸妓に売られ勤めるうち、要助という者と契りそめ、22歳のとき、大阪
を脱走し生国浜田へ立ち帰り、親に頼みて要助と夫婦になりしが、お京心様最も悪しく、馴れ
るにつれ、我儘増長し鍛治屋長蔵という密夫をつくり、之を夫要助に嗅ぎ付けられ、二人とも
散々に打ち殴られるが、邪見なお京は長蔵を手引きして夫要助を打ち殺し、讃岐丸亀(現在
の香川県丸亀市)へ渡り、自害せんとするも、気後れし、後生のため、四国巡拝をなさんもの
と当山まで来たり。

 地蔵尊を伏し拝まんとするや忽ち、お京の黒髪逆立ち鐘の緒に巻き上げられ、苦痛の体に
長蔵狼狽し、院主へ救いを請いければ、院主は、罪の次第を問いただし、お京が懺悔すれば
不思議にも、お京の黒髪もろともに肉はぎて、鐘の緒に残り、辛うじて命はたすかりける。

 生国にて自害の時おくれ、当山まで来たリて大罪をこうむるは天の然らしむところと両人改
悛の心を起こし、発心出家して、当村田中山(当山より北へ500メートル・現在のお京塚)とい
う所に庵をむすび一心に地蔵尊を念じ、生涯を終われり。

 肉付鐘の緒を当山の堂に納め置くは、享和3年(1803)の春のことなり。
                                         
(立江寺資料から抜粋)


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