独断的JAZZ批評 370.






KEITH JARRETT
このアルバムは人間、KEITHの紡ぎ出すピアノの一音一音がカーネギーホールを埋め尽くした聴衆とコミュニケートし、強靭な一体感で結ばれていく・・・そういうアルバムだ
"THE CARNEGIE HALL CONCERT"
KEITH JARRETT(p)
2005年9月 ライヴ録音 (ECM 1989/90 985 6224)

カーネギー・ホールでのソロ・コンサート完全収録盤
ディスク2枚に即興演奏が10曲、アンコールで5曲
ジックリと時間をかけて味わってみたい
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DISK 1
@"PART 1"
 変幻自在のリズムとメロディ。
A"PART 2" 力漲る低音部のリズムパターンに乗って右手が踊る。
B"PART 3" タイトルを思い出せないが、スタンダードナンバーの一節をモチーフに。
C"PART 4" 一滴の水が渓流を下り、やがて、河になっていく、そんなイメージ。
D"PART 5" 暗く沈んだ闇の奥に仄かに見える明かりのよう。

DISK 2
@"PART 6"
 乱反射した光のようなアブストラクト。
A"PART 7" ゴスペル調の力強く躍動するプレイ。やんやの喝采。
B"PART 8" しっとりと心潤すバラード。
C"PART 9" ユーモアと泥臭さを併せ持つグルーヴィなプレイ。
D"PART 10" 繰り返されるリズム・パターンから波紋のような広がりをみせる。万雷の拍手。

ENCORES あとの説明は必要ないでしょう。聴けば分かる!!
E"THE GOOD AMERICA" 
F"PAINT MY HEART RED" 
G"MY SONG" 
聴衆、床を踏み鳴らす。
H"TRUE BLUES" 
I"TIME ON MY HANDS" 

以前、"METHENY MEHLDAU"(JAZZ批評 366.)で僕は書いた。心の通いあうデュオは、時に、トリオよりも濃密な時間と空間を提供してくれると。そして、その究極の演奏がソロだと思っている。ソロには相方がいないので、どう心を通わせるのかと疑問をもたれる方もいるだろう。その相方こそ、リスナーだと僕は思っている。今までにいくつかのソロ・アルバムを「厳選」に紹介しているが、共通しているのはソロイストの向っている方向が内向きではないということ。あくまでも、外向きにエモーションを発信しているのだ。まさにコミュニケートしている相手はリスナーなのだ。だからこそ、深い感動を得ることが出来るのだと思っている。
BILL EVANS"ALONE"(JAZZ批評 298.)、BRAD MEHLDAU"ELEGIAC CYCLE", "SOLO PIANO IN TOKYO"(JAZZ批評 278.219.)、GIOVANNI MIRABASSI"AVANTI !"(JAZZ批評 60.)、そして、KEITHの"THE KOLN CONCERT"(JAZZ批評 3.)などはその良い例だと思う。

このアルバムで、KEITHと聴衆はかつてない感動を共有できていると思うのだ。収録されている1時間半強を耳を凝らして聴いてみても演奏中は聴衆の咳ひとつ聞こえないが、演奏が終ると万雷の拍手を打ち鳴らしている。KEITHと同じ空気を吸い、同じピアノの音に耳を澄ませ、同じ感動を味わおうとしている。ホール全体が一体感を共有しているのだ。
このアルバムは1度や2度は最初から順番に通して聴いてみて欲しい。徐々にホール全体が高揚していく様が手に取るように分かる。スタンディングオベイションで5度アンコールに応えたKEITHとやんやの喝采を送った聴衆との高揚感と一体感が共有できるだろう。

先日、僕はBRAD MEHLDAU TRIOの東京公演(JAZZ批評 365.)で同じようなアンコール5度を経験してきたが、これがミュージシャンとリスナーの一体感だと思ったものだ。

このアルバムは、人間、KEITHの紡ぎ出すピアノの一音一音がカーネギーホールを埋め尽くした聴衆とコミュニケートし、強靭な一体感で結ばれていく・・・そういうアルバムだ。
ジャズ・ピアニスト、KEITH JARRETTと聴衆の間に生まれた最高のパフォーマンスの記録として、「manaの厳選"PIANO & α"」に追加した。   (2006.10.07)



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