独断的JAZZ 批評 76.









JAZZ雑感 5.

2002年6月、今まさにワールド・カップ(KOREA/JAPAN)の真っ最中だ。6月14日は主催国の日韓が共に揃って決勝トーナメントへの進出を決めた歴史的な一日となった。
この1ヶ月だけは陶芸教室にも行かず、TV観戦のワールド・カップ三昧といきたい。

「サッカーはJAZZだ!」と思う。
その理由。
1.緊迫感がある。
サッカーでは手に汗握る試合が当たり前。全く予測のつかない展開がいつ起こるかわからない。だから、いつも目を離す訳にいかない。今度のワールド・カップの放映時間内では試合の前後と15分のハーフタイムに水道の使用量が飛び跳ねるとか・・・。それは、皆がトイレに駆け込むからだ。一瞬でも見逃すまいという緊迫感が充満している。

2.躍動感がある。
大の男が20人、グランド狭しと駆け回る醍醐味。点から線へ、更には面へと広がる攻撃のパターン。スピード感と躍動感が一体だ。野球と比べればそのスピード感と躍動感は一目瞭然だ。

3.美しい。
ゴールを決めたシーンのスローモーション再生を見れば、これはアートだと叫びたくなるような美しさに納得がいく。

上記の3点は僕のJAZZ批評の判断基準でもあるJAZZ雑感 1.)。
この判断基準がそのまま当てはまるのが「サッカー」だ。だから面白い。
試合はアドリブそのものだ。
筋書きのないストーリー。一瞬、一瞬のうちに次の一手を判断する。プレイヤーとプレイヤーのインタープレイ、ここに緊迫感とスリルの源泉がある。

Jリーグ発足時から、鹿嶋アントラーズのファンである。嬉しいことにアントラーズは日本代表チームに最多の6名を輩出している。柳沢、鈴木、小笠原、中田(浩)、秋田、曽ヶ端の6人。
何故、アントラーズか?これは陶芸と関係する。たまたま僕が通う陶芸教室は鹿嶋市の隣町・大洋村にある。鹿嶋スタジアムとも目と鼻の先。
たいした理由ではないがそんな関係で、ずっとアントラーズ・ファン。

今回のワールド・カップは時差を気にせずライヴでTV放送を見れるというのが有り難い。というわけで、休みの日はTV観戦三昧。陶芸に行くのも止めて、TVの一瞬、一瞬に一喜一憂している。

FIFAの選択した初めての2国共催によるワールド・カップ。
蓋を開けてみれば、理想的な展開になった。
僕らにとっても韓国は「近くて遠い国から、本当に近くの国」になった。
FIFAの快挙と言って良いだろう。拍手!

いよいよ、決勝トーナメント。
頑張れ!日本
頑張れ!韓国
また、「ハラハラ・ドキドキ」「ワクワク・ゾクゾク」するような緊迫感と躍動感、そして美しさに溢れるプレイを見せてくれ!    (2002.06.15)