『君の顔では泣けない』['25]
監督 坂下雄一郎

 タイトルは、チラシの惹句にあった(この人生は、本当は君のものだから)君の顔では泣けない(泣くわけにはいかない)という気概のほうだったのかと得心。本作で言及されていた古の「とりかえばや物語」に限らず、古今東西に存在している物語で、映画だと僕の年頃なら転校生が最も馴染みのある作品だ。

 だが、元の体で過ごした時間と入れ替わった後の時間とがちょうど同じになると、自己同一性の揺らぎは、どのようになってしまうのか、ということについて正面から描いた作品は初めて観たように思う。入れ替わってしまったことでの男女の違いに対する戸惑いを通じて、女性性・男性性なるものを炙り出そうとする趣旨とは少し異なるところがあって、新鮮だった。ふと、学生時分に綴った拙詩【*】を思い出した。

 2019年の三十歳のまなみ(芳根京子)と陸(髙橋海人)で始まり、十五歳の水村まなみ(西川愛莉)と坂平陸(武市尚士)が登場する。以降、陸の体が童貞喪失を遂げる十七歳、二人揃って東京の大学に進学する十八歳、まなみの体が陸の親友田崎(中沢元紀)と結ばれる二十一歳、陸の父親(山中崇)が急逝した二十四歳、まなみの体が切迫流産の危機を乗り越えて、娘を得た二十七歳。そのときどきの二人が、三十歳【現時点】の二人の様子と混合されながら物語が進む。構成に工夫の凝らされた、なかなかに面白い作品だったように思う。

 芳根京子がとにかく好い。まなみの体に乗り込んだ陸を演じてとても魅力的だった。彼女に目を留めたのは、七年前に観た『累ーかさねー』だった。メインの土屋太鳳よりも好かった覚えがある。髙橋海人も時に女性語りになり過ぎた感はありながらも、巧かったように思う。互いに自分の体は本来のものではないとの自覚を持ち続けることで、生の営みや家族というものに対して意識的に臨んだ成長を描いていた気がする。

 かつては自分の体や命に対して、自分だけのものではないという意識が一般的に共有されていたように思う。自分の体は自分が作ったものではないし、産んだのも自分ではないのは確かだ。親から賦与されたものとして捉える謙虚さを自身に対して失うことのほうが一般化したのは、いつ頃からだったろう。そんなことにまで思いを及ばせてくれる刺激的な作品だった。

 陸の体に移って十五年元に戻る方法がわかったかもしれないとまなみが、彼女の体に宿っている陸に、次は百年後だから今日がワンチャンスと呼び掛けて飛び込んだプールでの結果がどうであったかは明かされない。だが、この二人なら、どちらの結果になったとしても、その後の人生を真面目に、親ならぬ元の持ち主に恥じない生き方をしていくに違いないと思わせてくれる十五年を描出し得ていたように思う。どっちで生きるかが問題ではなく、どのように生きるかが問われるのが人生というものだ。まなみと陸なら、きっと大丈夫だ。


【*】「帰郷・上京」1978.11月

 透明な朝陽が射し込んでいる
 南向きの掃き出し窓
 でも 朝陽と呼ぶには少し高すぎる
 そんな時間に 僕は目覚める
 僕を包む空気は
 まだ若干の朝の香りを残している
 僕は うーんと伸びをする

 ぼんやり明るいだけの部屋
 東窓のカーテン 小さな北窓
 カーテンを開けると粉末の光が広がる
 そんな時間に 僕は目覚める
 僕を包む空気は
 幾分 霧のように重たい
 僕は ぼけた頭を振ってみる

 言葉がかわると生活もかわっている
 人格 かわらない訳ないじゃないか
 どっちがどっちだろ
 何度かやってると わからなくなる
by ヤマ

'25.12.10. TOHOシネマズ1



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