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『紀ノ川』を読んで | |||||
有吉佐和子 著 <新潮文庫> | |||||
映画化作品を観た後の談義で興味深かった文緒の自転車乗りの場面と、花と浩策の関係が原作小説ではどのように描かれているのか確かめたくて読んだのだが、敢えて「花の巻・文緒の巻」との副題を添えて華を割愛していながらも原作小説に描かれた女三代記の細部と核心を実に余すところなく映画化していた脚本【久板栄二郎】撮影【成島東一郎】の素晴らしさに改めて感心した。 花の浩策への想いについては「いつも浩策は花に対して必要以上に邪慳だった。故意によそよそしく振舞っていた。いつも彼は必要以上に花を避けた。故意に彼女を黙殺していた。考えてみると、浩策が花の前で自然な態度を見せたことは一度もなかった。その理由は何だったろう。 真谷家のひととなって五年、もう二十六にもなって四歳の子まである人妻が、こんな思いに身をほてらすのは、花の受けた教育からは婦徳に悖ること甚だしいものであった。花は、妄想を起こした自分を叱り、やがて愧じて寝具の中に身を横たえた。幅五布の掛蒲団が、この夜の彼女にはひどく重いものに思えた。幾度も寝返りをうち、ランプの芯を細くし、遂には消してしまっても、なかなか花は寝つかれなかった。」(P63)と、想像をはるかに超えてあからさまに且つ生々しく描出されていて吃驚した。 「花は、自分が浩策に対して殆ど思慕に近い想いを寄せていたことを、浩策とウメの関係をどうしたものか考えることで忘れようとしていた。浩策を慕った一時期を思い返すのは、生卵を吞んだところをウメに見られたのを思い出すのと同じ羞恥なのであった。」(P102)、「浩策は、もうずっと昔から本家とは法事以外の交際をなくしていた。文緒の知る限りでも、叔父が自分から揚ノ垣内に姿を見せることは全くといっていいほどなかったのである。その妻もまた滅多に本家に御機嫌伺いにやって来ない。新宅の話が出ると花は露骨に眉をひそめて、「あんな勝手な夫婦があるやろかの」と他には滅多にいわぬ悪口をいう。表面だったことは何一つないのだが、浩策と花とは暗黙裡に反撥し合っているようであった。」(P123)とも綴られ、物語上、かなり大きな要素を占めていた。 件の自転車については、「ハンドルとサドルとの間に一本ふとい棒が渡っていて、それをまたいで両足でペダルを踏むと、袴の裾ははね上がって文緒はあられもない姿になった。しかも今日は靴をはかずに白い足袋で下駄をはいているのである。白い脛があらわに見えて、その勇ましさは和美や歌絵の気を遠くさせるほどであった。肌を見せることを、極度に忌み嫌う教育を受けていた女たちには、姉ならばなおその姿を見るに堪えなかった。」(P142)としたうえで「しかし、友一だけは無邪気に文緒を声援した。「大きい姉さん、ええ気持ちかあ」「ええ気持ちやで、風切って道走ると世の中がえらい変って見えるわ。新時代やあ。…」」(P142)と映画化作品にもあった台詞が続く。そして「自転車を止めようとしたとき、異様なものが背後に襲いかかるかと感じて、文緒は見事にひっくり返った。 「文緒」 花が立っていた。家から飛び出して、自分の履物を探す余裕も持たなかったのか足袋はだしだった。青い顔をして、右の眼尻を痙攣させている。 「その自転車どこのうですか」 「新池の借りましてん」 咄嗟に嘘をつく余裕はなかった。照れかくしに立上って、袴の裾をパタパタとはたいていると、「文緒ッ」 今度の声には、ヒイッと悲鳴のような共鳴が伴っていた。花の手が、文緒の二の腕を、着物の上から荒々しく掴んで、そのまま彼女を家の中に引きずりこんだのである。 「新池の借りて、今まで内緒で練習してたんかいし」 「お母さん……」 「あの恥知らずの恰好して、村じゅう走りまわっていたんやの」 「お母さん……」 「何時まで親を蔑ろにしたら気が済むんえ。何処までやったら気が済むんえ、文緒」 「お母さん、ご免……」 花は、文緒に口をきかせず、意味不明な言葉を吐き散らしながら、文緒を引きずって内土蔵の方へ向っていた。罰として、土蔵の中に文緒を禁錮するつもりなのであった。それに気がつくと、文緒は子供のように声をあげて泣き出した。 「お母さん、ご免なして。堪忍して頂かして。私が悪う……」 花は、片手で土蔵の戸を開けると、あの雅やかな日頃にどうしてこんな力を蓄えていたかと思えるほどの力で、文緒を土蔵の中に突き倒した。」(P142~P143)と展開していたが、より印象深かったのは、その前に設えられていた琴の練習場面だった。 琴の稽古を蔑ろにする文緒に花が憤る場面は映画でも描かれていたが、「花の身近に居ては、花に包含される身の危険を潜在意識下でも気付いていることに他ならなかった。文緒にしても、新池に来てこそ母親を昔風とこき下ろしにかかっても、家に帰れば花の前では一心に身を慎んでいる。花には身近な人をそうさせる威厳があった。」(P133)という屈託を抱えている文緒に対して「花が、琴爪をはめたままの手で文緒のぼんやり琴糸の上にのせていた手の甲を叩き掻いたのだ。勢いで、琴爪は容赦なく甲に喰いこみ、川は三筋深く破れて鮮血が噴出していた。蔵の中でも、それは眼に滲みるほど紅く、叱った花も、叱られた文緒も、茫然としてそれを見守っていた……。花が、感情を露骨に剥き出し、行動に出て文緒を叱ったのは、文緒の記憶する限りでは、これまでに一度もなかったことであった。驚きと同時に、何か清新な想いがあったが、それが何なのか文緒には整理して考える余裕がなかった。矛盾するようだが、彼女は母親が破綻を見せた姿を初めて見て、それ見ろという不逞な考えを育てるようになっていたのである。夫に肉体を省みられぬときの花の苛立ちなどを思いやるには、十八歳の文緒は何も知らなすぎた。手の甲についた傷は、意外に長く消えず、癒えた後にもはっきり三本の線を刻みつけていたが、それを見る度に文緒は、近く家を出て行くその終止符だと独り肯くのであった。」(P139~P140)、「職業婦人という言葉も存在も、良家の人々が眉をひそめる時代であった。オールドミスという言葉は、そのずっと前から花も知っていた。わが娘が、職業婦人になり、やがてオールドミスになるかと思うと、花は胸が潰れるようであった。敬策の規則正しい寝息が耳について眠れない夜が続き、和美や歌絵たちは理由もなく花から𠮟りつけられて途方に暮れた。文緒への屈託が、更年期にある花の苛立ちを抑えることができなくなっていたのである。」(P165~P166)、「(文緒から)送り返された箏は、花が九度山から持って嫁入りしてきて以来、幾度となく弾いた手なれの筝であった。胴の側面の蒔絵は今見ると如何にも古風で、それだけ弾くひとに語りかけるものを持っているように思えた。内土蔵の中で、文緒と対いあって花が弾いた箏である。 あのとき文緒の手の甲を、琴爪で引掻いて赤い血を流させたことを、花は昨日のことのように思い出す。その想い出があればこそ、思い切って文緒の嫁入りに持たせてやったものであった。」(P181~P182)といった、花の愛した琴を巡る細やかな描出だった。もはや音色を奏でることのなくなった琴に花の身の上が重ねられているように感じた。 有吉の原作にある「お父さん、日本のファッショ化を防ぐこともようせん政友会やったんですか」「そない云いな。こないなったら和歌山のことだけでも精一杯でやろうと思うしかないやないか」(P205)といった遣り取りは、映画化作品にもあったような気がするが、「民主主義、自由主義は共産主義思想の温床ときめつけられていた。政府は反戦を主張する合法左翼の勢力を根こそぎ血祭りにあげ、他方では軍部と官僚に広汎な権限を与える国家総動員法を成立させて戦争体制の強化につとめていた。…「ほんまやなあ、お父さん。社会大衆党までが軍人さんに迎合してますわ」「黙れと怒鳴りよるもん相手に、理屈も実情もあれへん。二・ニ六このかた、えらいことになってきよった」…「英二さんはどういうてなすったえ? 外国に出てれば日本を客観することが楽でしょうが」「もちろん、ファッシズム絶対反対や」」(P206)とまでは継いでなかった気がする。 そして「この人の血が、私にも流れていると思うと不思議だった。が、ふとそう気がつくと、華子は自分の躰の中に真谷家の執念が、どくどくと音をたてて注ぎこまれるのを感じた。いや、紀本家の豊乃から、花へ、そして文緒から自分へと確かな絆が力強く繋がれて、花の胸の鼓動が直に華子の胸に響いているのを、華子はそう感じたのだ。読んでいる増鏡の意味を汲もうとする余裕は失われた。何千年の間に、何億もの人々の信仰を堆積している仏像に向って、経文を誦する僧の心理はこうもあろうかと思うようだった。増鏡を、祖母に対する孫娘の孝行として読んでいるとは華子はもう思わなかった。花を通して、家に生まれて死んだ多くの女たちの黝ずんだ生命を受取るために、やるべきことはこれだけだと信じて、華子は憑かれたように読み続けた。」(P276)と綴られていることのエッセンスを、増鏡から“真谷家に嫁ぐ前の紀本花の名前で活字になった文章を娘の文緒も孫の華子もが、それぞれ密かに見つけて読み継ぐ場面”に変えてあった脚本の妙に改めて感心した。文緒が「花の作文を熟読」(P147)する場面は、自転車の件で入れられた土蔵の中で登場していた。 | |||||
by ヤマ '25. 3.21. 新潮文庫 | |||||
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