『PERFECT DAYS』(Perfect Days)
監督 ヴィム・ヴェンダース

 三日ほど前にジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』['75]を観たばかりということもあろうが、日々のルーティーンを繰り返し映し出すなかで、最後に訪れた主人公を捉える長回しカットに、これで終えるのだろうと思っていたら、本編最後に映し出されたのが太陽だったことに意表を突かれた。一日目が朝日のあたる家、二日目がドック・オブ・ベイだった早朝出勤のルーティーンからすれば、昇り来る朝日となるべきところだろうが、沈みゆく夕陽に見えて仕方がなかった。実際のところは、どちらだったのだろう。

 ジャンヌの売春稼業にしても平山(役所広司)の公衆トイレ清掃にしても、多くの人が好き好んで従事したがる生業ではないと思われるが、寡黙な二人ともが一見したところ、淡々と律儀に対処している感じのなかに、自ら自身の生業を貶めたくない沽券のようなものが感じられた。全部でほぼ十日ほどのルーティーンのなかで、ジャンヌの三日間よりは、さまざまな人々との関わりや出来事が盛り込まれていた本作の124分と違って、極端に絞り込んだエピソードによる三日間の200分を、音楽の力も文学の力も借りずに描いていた『ジャンヌ・ディエルマン』の強度の高さに改めて感心させられる気がした。

 僕が幸田文の『木』やパトリシア・ハイスミスの『11の物語』 の「すっぽん」を読んでいれば、また少し受け取り方が違ってくるのかもしれないが、残念ながら未読だ。自室に少なからぬ量のカセットテープやLPレコードが残っている世代だから、画面を観ているだけで琴線に触れてくるようなテイストはあったのだけれども、居酒屋イヴ(平仮名書きだったような気がする)の女将(石川さゆり)の元夫(三浦友和)から力説するねと揶揄されていた平山が叫んでいた何も変わらないなんてことがあっていいわけないにしても、ラストの長回しで見せる悲喜こもごもを静かに噛み締めた表情の豊かさにしても、ある種の納得感を味わいながらも、思いのほか響いてこなかった。平山を訪ねてきたニコ(中野有紗)が姪だったり、妹(麻生祐未)とのハグが、余命乏しくなった元夫と女将のハグと対置されているところに意表を突かれ、少々あざとい気がしていたことが『ジャンヌ・ディエルマン』に加えて、邪魔をしたのかもしれない。

 旧知の映友から平山の過去についての問い掛けがあったが、運転手付きの黒塗車で乗り付けていた妹の様子からしても資産家の事業者である父親との確執があって、今の生き方を選んでいる感じを僕は受け止めている。父親が執心していた物事を尽く排除すると同時に、父親が蔑ろにしていた物事に執心する、言わば“真逆の生き方”をどこまでも体現しようとしていた気がしている。

 それにしても、平日の昼間1回のSCREEN 2の130+(2)席がほぼ満席になっていて驚いた。いったい何が起こったのだろう。




推薦テクスト:「ケイケイの映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20240108
by ヤマ

'24. 1.11. TOHOシネマズ2



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