『愛する人に伝える言葉』(De Son Vivant)['21]
監督 エマニュエル・ベルコ

 ターミナルケアの在るべき姿を含蓄豊かに描き出した秀作に感心していたところ、エンドロールに七年前に観た太陽のめざめのエマニュエル・ベルコの名がクレジットされて得心した。思えば、かの作品もドヌーヴとブノワ・マジメルだった。

 四十路にもならない三十九歳で膵臓癌に倒れた演劇学校の講師バンジャマン(ブノワ・マジメル)が、死を目前にして理解し、生徒達に伝えたいと言っていた“「存在感」とは何かの回答”を僕も聞いてみたいと思ったのだが、作中で言葉で語られることはなかった。死期を悟って、覚悟と未練の間で揺れ続けることの不安に苛まれていた彼が、何かを成し遂げることへの囚われから、ただ存在することへの受容と肯定に転じることができたのは、おそらくその答えが得られたからだったのだろう。

 むかし『木靴の樹』を観た際に当時二十六歳、生きる意味というのはもしかすると御大層な“自己実現”などではなく、かくのごとき日々の繰り返しを粛々と受け入れ全うしていくことに他ならないのではないか、などと思わされ、いささか宗旨替えを迫られたように感じて動揺した覚えがあるニーチェの馬』の観賞日誌に記したことがあるのを思い出した。

 専門医ドクター・エデ(ガブリエル・サラ)が終末の五つの言葉として、順不同でいいと教えていた赦してくれ、私は赦す、愛してる、ありがとう、さようなら以上に、彼がバンジャマンに諭していた死のときを決めるのは当人自身だとの弁が印象深く、それを踏まえれば、母クリスタル(カトリーヌ・ドヌーヴ)が不在で、十九歳の息子レアンドルが病室にいるタイミングを以て、今生の別れとしていた屈託に感慨深いものがあったように思う。

 母子家庭と思しき看護婦(セシル・ド・フランス)とバンジャマンの交誼に対して少々蛇足を感じ、クリスタルの息子への惑溺とは対照的なまでの孫息子への関心の薄さが気になった。
by ヤマ

'24. 1.31. 美術館ホール



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