『おまえの罪を自白しろ』
監督 水田伸生

 旧友から感想を聞きたいとのメールを受けて観に行ってきた本作は、姪の誘拐に託けて父親清一郎(堤真一)に引導を渡し、県議の兄揚一郎(中島歩)を出し抜いて衆院議員になる野望を果たした弟晄司(中島健人)の思惑が、元からの父親の魂胆だったという宇田家の跡目相続の話かと些か拍子抜けした。

 上は六百億の開発事業から下は保育園入園に至るまで、政治力利用の利権漁りの浅ましさに汚染される政治世界の汚穢は、それが家業となるほどに酷くなるとしてあればまだしも、そうでもなさそうな座りの悪さのなかにリアリティを求めようとしている足搔きのようなものを感じたが、加計学園認可問題を想起させる計画変更や山口元TBS記者の逮捕差し止めを想起させる警察捜査中止などを設えながらこの顛末は何なのだと唖然とした。

 誘拐事件の狙いが首相案件の利権操作の暴露ではなく、明かされた理由による競艇場移転阻止のほうにあるのなら、木美塚幹事長(角野卓造)と夏川首相(金田明夫)の権力争いとは別件の話になる。野望を秘めた秘書と特ダネが欲しいテレビ記者(美波)、とにかく誘拐事件の犯人を挙げたい警察官(山﨑育三郎)の思惑が一致して結託したグル会見による犯人炙り出しのほうに話の主軸が移行した展開に頭を抱えてしまった。

 タイトルになっている“おまえの罪”として、宇田議員が夏川総理のために汚れ役としてやってきた事々の具体が架橋工事変更以外にも作中で明らかにされて、夏川vs木美塚の権力争いの部分をきちんと描いてさえいれば、結末そのものは、あれでもいいと思うのだが、映画では、政界ものというよりも、引退した宇田議員の独白悔恨を添えた親兄弟間での跡目争い話にしてしまっているので、国会での晄司によるヨイショ質問を映し出したラストカットが活きてこない気がした。

 エンドロールを眺めていて驚いたのは、監督が水田伸生だったことで、こういうのも撮るのかと意表を突かれた。僕は、漫画テイストの破天荒さで綴りながら、健気で切ない子どもの心根を描いて、しっかとハートに来る作品に仕上がっていた花田少年史 幽霊と秘密のトンネル['06]が好きだ。

 旧友は本作を観て、堤真一が演じる議員は叩き上げなのに、子供に世襲するという思考を肯定しているように感じ、本作が「子供本人が優秀ならば、世襲もいいではないか」という、なにか現在の政治家の言い分に映画人が迎合しているように見えてしかたがなかったそうだ。2世3世の議員でもいい仕事しているよと、おもねりつつ、映画人が、階級社会の進行を肯定しているようで、かっての反骨精神が失われているように思ったとのこと。

 これについては、僕は政治家への迎合などは感じなかった。せっかく親に反発して非政治家の道を選びながら、挫折(実は潰し)に見舞われ政界に呼び戻されて秘書になり、政治家になった青年を描いたからと言って、それが直ちに肯定になっていたとも思えず、観ようによってはむしろ批判的に描いているとも映る描き方だったような気がする。そもそも親側の意識としては、もちろん人にもよるだろうが、苦労してなっている分だけ叩き上げのほうが継がせたい意識が強くなるように思う。医者にも伺える傾向だという気がするが、医師と違って政治家の場合は、3世ではなく2世だと、自分が子供の時分は親がまだ政治家ではないことが多いから、3世とは随分違うはずだ。やはり最悪なのは3世議員だと感じるのは、日本の与党議員を眺めても実に顕著だからだろう。

 政治家というか権力への迎合という点に関しては、映画人もさることながら報道メディアのほうが遥かにひどいように感じている。反骨どころかヨイショしているとしか思えないものが目に付いて仕方がない。多少批判的に臨むと忽ち政治家の弁に乗って、現経済安全保障相らが軽々に口にするような“偏向”などと言い出す輩が目に付く世情であるとも感じている。

 ジャーナリストというのは、政府に対して批判的視点を提示すべき社会装置だと僕は思っているから、批判的であることを以て偏向だとは全く思わないのだが、昔と違って今の人たちのジャーナリスト観は、まるで異なっているようだ。「公正報道」ならまだしも「中立報道」などという本来ナンセンスなジャーナリズム観が支配的になっているように感じられるのは、批判的に臨まれることを好まない政治家たちが使い始めた「中立報道」なる言葉に少なからぬ人々が騙されているからに他ならないが、その御先棒を担いだのがヨイショするメディアであるところが何とも情けない。旧友が指摘していた“失われた反骨”をもたらした主犯が、映画も含んだメディアであるとは僕も思っている。
by ヤマ

'23.11. 8. TOHOシネマズ8



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