『五番町夕霧楼』['80]
監督 山根成之

 NHKプラスで、アナザーストーリーズ 運命の分岐点『金閣炎上 若き僧はなぜ火をつけたのかを視聴したところから、未見だった山根監督による松坂慶子版を観た。

 金閣寺放火事件に材を得た三島由紀夫の『金閣寺』['56]も水上勉の『五番町夕霧楼』['62]も未読ながら、映画化作品については、市川崑監督による炎上['58]を十年前に、田坂具隆監督による五番町夕霧楼['63]は九年前と本年の2回に渡って観ている。

 アナザーストーリーズでの三つの視点、犯人である青年僧林養賢、事件に材を得た作家、金閣寺再建に尽力した住職村上慈海については、それぞれに目を惹くものがあって興味深かった。第1の視点では、取り調べをした若木松一警部補の残している供述調書の草稿。第2の視点では、三島の『金閣寺』を寺の廊下を吹く雑巾の冷たさと評し雑巾にはにおいもあるとしてそれを書きたかったと述べたという水上の言葉。第3の視点では、事件後の慈海における寺や林への向き合い方。とりわけ第3の視点が興味深く、慈海の弟子西田承元の証言に奥深いものがあった。

 それらを受けて観た山根版『五番町夕霧楼』は、清純と言うよりも未熟な幼稚さの際立つ正順(奥田瑛二)像に納得感があっての顛末になっていて、メロドラマとして展開するうえでは、田坂版で片桐夕子(佐久間良子)の台詞だけで済ませていた蒲団のなかで何にもせんとただ寝て行かはるだけの部分を念入りに描いたうえで、炎上させる前の金閣寺のなかで結ばれる展開にして、後追い心中に持って行くことでの悲恋の顛末とすることに座りのよさを感じたが、浜辺に横たわる夕子(松坂慶子)の亡骸の上に乗せる正順の遺骨よりも、田坂版の百日紅のほうが優っているように思った。田坂版で正順(河原崎長一郎)に夕子の入院を告げたのは、女主人かつ枝(木暮実千代)だったが、山根版では、かつ枝(浜木綿子)ではなくて、歌詠み娼妓の敬子(風吹ジュン)になっていた。金閣寺で結ばれる展開にするのなら、夕子の純愛にコミットしていた娼妓仲間の敬子のほうが確かに相応しい気がする。

 当時、三十路前の松坂慶子が十九歳の夕子を演じて、瑞々しくも﨟󠄀たけたという形容矛盾をおぼえるような女性像を体現し、全裸にもなっていたが、艶技については、当時、二十代半ばだった佐久間良子のほうが優っているような気がした。だが、演技力というよりは演出力の違いのように感じる。

 映画監督と思しきセンセイ(横内正)は、田坂版にはいなかった人物だが、原作未読ながら、本作の脚本を書いた中島丈博の潤色による登場人物のような気がした。その場その場で前後の見境がなくなる正順は、センセイの言うように、夕子から遠ざけるべき男だったように思うけれども、正順の吃音に自責の念を抱き、幼時から囚われている夕子にとっては、正しく順うことの出来る道ではなかったのだろう。正順が金閣寺を炎上させてしまったことについて、焼け跡で母のまさ(奈良岡朋子)が伏して住職(佐分利信)に詫びている、田坂版にはなかった場面が目を惹いた。とりわけアナザーストーリーズを視聴した後では、ラストシーンともども印象深いシーンだ。
by ヤマ

'23.10.26. DVD観賞



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>