『女系家族』['63]
監督 三隈研次

 ケイケイさんの』の映画日記を読んで大いに笑ったら、そこに出てきた本作をやおら観てみたくなって視聴したものだ。化け猫の泣き声のような響きの混じる不穏な音楽で始まった映画は、いやはや何ともえげつない連中ばかりのオンパレードで、呆気に取られた。そして、えげつなさにおいても男は女に敵うものではないと恐れ入った。

 最も抜け目がなさそうだったはずの大番頭大野宇一(中村鴈治郎)の悪事は、疾うから主人にもその愛妾文乃(若尾文子)にも知られていたし、気位は高くても世事には疎い長女(京マチ子)にすらすぐ見透かされ、次女の夫が少し調べると“勘定合えど金足りず”の工作がバレるくらいだから、抜け目どころか穴だらけだったわけだ。

 原作小説を読んでもなければ、映画でもテレビドラマでも観たことがなかったが、先ごろあなた買います['56]を観たばかりだったからか、矢島家三姉妹の醜態極まりない相続争いのなかで独り恬淡としていた文乃が、最後に五郎のように出し抜く顛末が待っているような気がしたら、案の定だった。

 だが、恩ある師の焼香にも向かわなかった五郎に比し、長年憂き身に置かれてきた宇一の働いた不始末を不問にするよう矢島家に求める文乃の心根には、五郎のようにカネと欲に汚れて堕落してはいない筋が通っているような気がした。むろん我が子を庇護し、追われぬよう計らうことが彼女の企図するところの第一であろうが、併せてお嬢さん育ちの三姉妹をたしなめ灸を据えて、善導する意図もあったように思う。それが決定的な文書をきちんと遺してくれた旦那さんの恩義に応える務めだと考えていたような節さえあった気がする。

 特に時代設定に断りがあったわけではないから昭和三十八年当時とすれば、預貯金等の流動資産や問題になっていた山林を除く固定資産分だけでも三姉妹それぞれが当時のカネで一億近い相続を受けるようになっていた大店の全財産を文乃母子が一身相続するわけではなく、少なからぬ相続財産が三姉妹に渡る顛末になっていたように思う。

 それにしても京マチ子は圧巻だった。奉公人や隠し女にええようにされるんやったら、全財産、灰にしてしまいたいとの激しさでもって相続争いを大炎上させたうえで、潔いまでに燃え尽きる長女を演じて、実に天晴れだった。カネへの執着や強欲ではなく、先代までの時代なら惣領だったはずの女系家族矢島家の長女の沽券というものが駆り立てていたような気がする。妹二人に比して、たとえ竈の灰の分だけでも取り分が上回らないと気が済まないとの言い分に凄みがあった。

 だからこそ、女系家族そのものが打ち壊されたことで、憑き物が落ちたのだろう。思いのほか、あっさりと観念していたような気がする。金目うんぬんよりも「悔しい」との激情に耐えられないということなのだろう。女には敵わないと男が思う根っこは、ここにあるような気がする。同様の「悔しさ」から、戦後になって家督相続が廃された相続制度の改変に対して、かつて自分が利益を逸したことの弔い合戦のように熱意を燃やしていたのが叔母で、彼女による三女(高田美和)の代理戦争の奮闘のえげつなさを見事に演じていた浪花千栄子にも大いに感心させられた。中村鴈治郎の狸親父ぶりともども、実に芸達者だったように思う。宇一の聞こえないふりへの突っ込みの間合いなど、まさに漫才のようだった気がする。




推薦テクスト:「ケイケイの映画日記」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20080120
by ヤマ

'23. 4.30. BS松竹東急よる8銀座シネマ録画



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