『そばかす』
監督 玉田真也

 読んでみたいと思ったまま遣り過ごしてきている『もてない男――恋愛論を超えて』(小谷野敦 著)が刊行されたのは、四半世紀前のことだが、恋愛至上主義に対する異議申し立てはずっと前からありつつも、主流派としての恋愛肯定は揺るがない位置を占め続けているのだなと改めて思った。そのうえで、異性愛>同性愛>無性愛という序列が付けられているとの認識が、作り手にはかなり強くあるように感じられた。

 タイトルの「そばかす」というのは、おそらくは「みそっかす蘇畑」として付けられた仇名だったのだろうなと思わせるような、蘇畑佳純(三浦透子)三十歳の独り姿がなかなか印象深い作品だった。波打ち際で独り腰を下ろし佇むショットがオープニングのみならず繰り返され、独り紫煙をくゆらせる姿も、幾度か映っていたような気がする。

 会話の台詞とリズムが良く、蘇畑家族の関係や佳純と真帆(前田敦子)の関係を飽かせず見せることに長けていたように思うが、今時らしからぬ喫煙ネタが多く、フェアリーラブ【妖精の愛】などという、名前入りのいわゆる百円ライターを置いてあるラブホテルが今でもあるのだろうかと失笑した。ましてや妻帯していながら、上着のポケットに入れたまま持ち帰るという不用意は、さすがにしないだろうと思った。

 さまざまなマイノリティ特性を抱えた人物が登場していたが、そのなかでも無性愛者に対する認知は得られにくいということなのだろう。佳純が妊娠中の妹(伊藤万理華)からレズビアンと指摘されて激する場面が強く印象づけられていたように思う。だが、佳純のビンタや父親(三宅弘城)が泣き出すことでの場面転換というのは、かなり強引な演出で、結果的に主題的に最も重要な部分を中途半端な描き方にしていたような気がする。

 また、女の幸せは玉の輿だけかと憤慨する真帆に共感し勧められて自分らしいシンデレラ物語のデジタル紙芝居を作りながらも、保育園での映写では佳純自ら中止してしまう運びは、そこで止めるくらいなら、最初からそういう参観教材など作るはずがない気がして仕方なかった。参観教材として作ったものではないのに園長が勝手に使用したなり、真帆の勢いに乗せられて作ったものの後悔していたなりの補足描写もないままに、突然の中止を「参観者の白眼視に脅えて」だけで済ませるのは些か乱暴で、佳純の意思というよりも、作り手の作劇上の都合のほうを感じさせてしまうように思う。

 同様に、目的に向って走るイメージのトム・クルーズがひたすら逃げる走りを見せる宇宙戦争こそが彼の代表作なのだという佳純の弁も、佳純ではなく作り手の代弁のように感じられた。
by ヤマ

'23. 4.28. あたご劇場



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