映像の世紀(1)「20世紀の幕開け~カメラは歴史の断片をとらえ始めた~
映像の世紀(2)「大量殺戮の完成~塹壕の兵士たちはすさまじい兵器を見た~
映像の世紀(3)「それはマンハッタンから始まった」
映像の世紀(4)「ヒトラーの野望~人々はナチスに未来を託した~
映像の世紀(5)「世界は地獄を見た~無差別爆撃、ホロコースト、原爆~
映像の世紀(6)「独立の旗の下に~アジアは苦難の道を歩んだ~
映像の世紀(7)「勝者の世界分割~東西の冷戦はヤルタ会談から始まった~
NHKスペシャル

 かの「映像の世紀」シリーズの第1集を観たのは初めてだ。公的施設のライブラリーにあって借りられることを知っているので、完全リタイアしたら、いずれ観ようと思っていたものだけれど、最新のデジタル技術で鮮やかな映像にして再放映したとあって、視聴してみた。

 このシリーズ放送は、1995年からだったのかと、ちょうど一世紀前となる1895年のリュミエール兄弟による『工場の出口』から始まったスーパードキュメンタリー番組を感慨深く観た。ビクトリア女王の逝去と共に明けた二十世紀は、確かに映画と共に歩んでもいた「映像の世紀」であると同時に「戦争の世紀」でもあることをコンセプトとして明確に持っていたことが前面に現れている初回だった。

 日露戦争に寄せたトルストイの反戦論や彼が書いたガンジーへの手紙が紹介され、与謝野晶子が語られる。ロマノフ王朝や清王朝などの王朝衰退とサラエボ事件に端を発する世界大戦への歩みが綴られ、放送当時における現時点であるサラエボ紛争を見せて初回を締め括っていた。

 三十年前の前世紀末の番組を今なお改めて放映するタイミングとして、ウクライナ戦争が一年を経ても終結しそうにないどころか、我が国までが“未曾有”の高額防衛費の予算化を企て始めた今ほど相応しい時期はないとのNHKスタッフの判断があるのだろう。立派な見識だと思う。


 第2集は、1914年から1918年までの第一次世界大戦の四年間に絞って編集されていた。死亡した兵士900万人、負傷兵2000万人とナレーションのあった百年前の戦争が、ほぼ欧州を戦場としながら世界大戦とされる理由がよく判る構成だったように思う。参戦国が多数に上り、日本も含め世界中から兵士が派遣されていたわけだ。三年前に観た彼らは生きていた['18]も凄かったが、ほぼ三十年前の本作もなかなか見事だと思った。

 実に刺激的な「大量殺戮の完成」とのサブタイトルに相応しく、兵器・戦術の進展が物凄いスピードで進んでいたことを詳しく見せていた。大砲に加えて高性能の機関銃が出現し、革の兵帽が鉄兜に変化したところから、戦車や空中戦、爆撃、潜水艦、毒ガスなどの化学兵器の開発といったことが、お決まりの“早期終結”を口実に行われるようになり、火炎放射器や無差別攻撃、女性兵士部隊の出現が始まったのも、この戦争からだとのことだった。そして、戦時景気に沸いたアメリカと日本が数々の成金を産んでいたことも伝えていた。

 後に非暴力主義を唱えたガンジーや独裁者['40]を撮ったチャップリンが、志願兵応募や戦争公債の募集に協力していた記録映像は初めて観たように思う。だが、最もインパクトがあったのは、塹壕で長期に渡り過酷な状況に置かれた兵士が「砲弾神経症」を病んでいる姿を収めたフィルムだった。凄まじいものだった。イギリスだけでも12万人もの患者を数えたという。まさに「彼らは生きている」だ。


 第一次世界大戦からの凱旋に湧く1919年のマンハッタンから始まった第3集は、それから百年後の現在がよく似ていると言われる1920年代をよく映し出していて、何ゆえ今そう言われているのかが得心できる三十年前の番組であることが感慨深い。マンハッタンに帰還する369連隊黒人部隊が歓迎を受けるなか、黒人たちの自信と葛藤が'20年代のジャズ・エイジとラジオ・デイズのなかで、新旧の鬩ぎ合いと混沌が、浮き立ちと不寛容への大衆動員を果たした時代だったわけだ。

 ジャズ・エイジに相応しく、コットンクラブから'30年頃のデューク・エリントン楽団、チャールストンに浮かれるフラッパーたちによるモラル革命の表層が映し出され、出現した大衆社会のスターの先駆けとして、ボクシングのジャック・デンプシーや野球のベーブ・ルース&ルー・ゲーリック、ブロードウェイ・ミュージカルとガーシュイン、大西洋単独無着陸飛行を果たしたリンドバーグが謳い上げられ、アメリカが戦後欧州を圧倒した時代の象徴とも言えるようなジョゼフィン・ベイカーの、僕が今まで観たことのなかったステージ模様を観ることができた。

 スターリンやヒトラー、ムッソリーニの登場もこの時代に始まっていて、アメリカでは、パーマー司法長官による赤狩り、KKK団などによるレイシズム、或いは移民排斥、「4階より低い建物は空き地と同様」などという空前の土地開発やら投資家も庶民も挙って株式投機に明け暮れるバブリーで、ラジオ放送に翻弄されるスキャンダリズムに流れる野次馬社会の出現が、結局のところ、1929年の世界中を巻き込む大恐慌を呼び寄せていた。いま殊更に1920年代との相似を言うのではなく、三十年前の番組によってそれを感じさせるところに説得力が宿っているように感じた。

 禁酒法がいかに多方面に影響を及ぼす悪法だったかということと、不寛容の時代を象徴するサッコ・ヴァンゼッティ事件への言及を観ながら、四十五年前にテレビ視聴したっきりの『死刑台のメロディ』を再見したくなった。ジョーン・バエズの歌う♪勝利への讃歌♪(エンニオ・モリコーネ作曲)に強い感銘を受けた十代の時分の記憶が蘇ってきた。

 そして、国際連盟を提唱したアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンの理想主義が外国から支持・評価されつつも国内的には不興を買っていた姿に、グラスノスチ(情報公開)やペレストロイカ(変革)を進めたミハイル・ゴルバチョフの国内での不人気と外国からの支持・評価を連想した。


 第4集は、戦勝国アメリカでバブルが弾けた大恐慌による生活困窮のもと、大規模な退役軍人デモをマッカーサーが戦車を動員して鎮圧するという、強烈な皮肉が象徴的な形で記録されている1932年から始まった。

 アメリカ資本主義の荒廃と大恐慌と無縁だったソビエト社会主義の隆盛という、後の1990年代と逆転した世界情勢を背景に、アメリカが世界を大恐慌に巻き込み、賠償金と不況に喘いだドイツが、ヒトラーの奇跡と呼ばれた、公共事業による失業問題の克服を成し遂げた後、世界を大戦争に巻き込んだ十年間を映し出していた。

 ファシズム勢力の台頭が、後に三国防共協定を結んだ、'31年の満州事変に始まる孤立化の道を辿る日本やムッソリーニがファシスト党を率いるイタリアのみならず世界を席巻し、スタインベックの『怒りの葡萄』に描かれた苦境のなかでアメリカにもナチス党が生まれ、フランスには火の十字団、イギリスにもナチス党が結成されていた。スペインのフランコ将軍も登場した。

 日本が満州国を作り上げた四年後にヒトラーが行ったラインラント進駐に対して世界が無頓着だったことが、後のナチスドイツによる軍事侵攻を招いたように語られていたのを聴きながら、現今のロシアによるウクライナ侵攻における九年前のクリミア併合のことを想起せずにはいられなかった。ミュンヘン会談を開いたのは、既に軍事侵攻を露わにし始めてから後のことで、そこに至ってもなお既成事実として承認する形で約定を結んだからこそ、英仏怖れるに足らずとの増長を招き、チェコ全土やポーランドへと向かわせていた。

 目を惹いた映像は、'20年代のツェッペリン号とは対照的に爆発炎上した飛行船ヒンデンブルグ号、満鉄が作った世界最高水準との流線形列車特急あじあ号、テレビ中継されたというベルリン・オリンピック、カメラ愛好家が遺した画像との説明があったカラー映像、アメリカ公文書館に残されているという米人カメラマンの撮った南京大虐殺の記録映像、などなど。番組中のナレーションに「ヒトラーの手口」というフレーズがあって、十年前の麻生副首相の「ナチスの手口を学べ」発言を思い出した三十年前の番組だった。


 ドイツ軍が侵攻して廃墟になったまま、戦後も再建されず遺構として残されたフランスのオラドゥール村の現在を映し出した序章から始まった第5集は、ミュンヘン会談の約定をナチスドイツが反故にした1939年のポーランド侵攻から始まった。現在では意図的に“誤爆”と言い換えられている民間施設への“無差別爆撃”による領土拡張を始めたドイツが瞬く間にオランダ、ベルギーを制していた。そのドイツ軍が、'41年にモスクワ侵攻を冬将軍に阻まれた年の12月に日本が真珠湾攻撃を行って、第一次を上回る地球規模の大戦となった1945年までの六年間を題したタイトルにおける世界が見た地獄の最たるものが、“無差別爆撃”と恐るべき“ホロコースト”“原爆投下”というわけだ。いずれも最も甚大な被害を被った者が非武装の一般市民であるということに他ならない。

 これが第一次世界大戦との最も大きな違いで、以降、戦争の犠牲者は、戦闘員以上に一般市民であることが当たり前となった気がする。アメリカは日系人収容所に十一万人を超える人々を送り込み、日本は名高い「バターンの死の行進」を行ったことが並置して映し出され、ドイツでは千か所以上設けた強制収容所に千二百万人に達するほどの人々が収容されて、最大規模のアウシュビッツ収容所だけでも百六十万人が虐殺されたと語られ、入植を図り“絶滅戦争”だとヒトラーが位置づけたロシアでの民間人の犠牲者は七百万人に上ったということだった。無差別爆撃は、ナチスドイツが行った以上の大量爆撃を連合軍が行っていた。

 そして、スターリングラードの市街戦やガダルカナル島での戦闘、ノルマンディー上陸からパリ解放、1945年四月のソ連によるベルリン陥落が映し出されるなか、ナチスによるヒトラーユーゲント、日本の学徒動員や神風特別攻撃隊の異様も収めることに漏れがなく、特攻隊員の遺した遺書と併せて、僕の書棚にもある『きけ わだつみのこえ-日本戦没学生の手記-』(岩波文庫)の最初に遺書が掲載されている慶大経済学部学生上原良司の遺した所感としての言葉の一節(P269)が朗読されていた。

 ヒロシマ・ナガサキに落とされた原子爆弾にまつわる映像はいずれも既視感があり、もっと凄惨なものを観たこともある気がしたが、何度観ても凄まじいものだとつくづく思う。玉砕したサイパン島で崖から飛び降りた女性の海中を漂う死体やベルリン陥落時に自殺したゲッベルス宣伝相夫妻の焼死体の映像は、初めて観たような気がする。


 独立の旗の下に、と題された第6集は、1945年8月のアジア解放と毛沢東、ホー・チ・ミン、ガンジーの三人が映し出された序章の後、主にインド・ベトナム・中国の大戦前の植民地や租界による外国支配から、1955年のバンドン会議でのネルー首相の演説に至るまでを描いていた。

 ホー・チ・ミンについては名ばかりしか知らなかったので、彼がコミンテルン工作員として世界を股にかけて活動していた若かりし頃に驚いた。アジア独立の機運にロシア革命の及ぼした影響は、とんでもなく大きかったようだ。いわゆる反共というのが単にイデオロギー的な問題ではなく、帝国主義的利権を保守したい勢力による現実的な防衛戦であったことが偲ばれた。また、三民主義を唱え、辛亥革命を主導した孫文が設立した黄埔軍官学校には校長の蒋介石以下、周恩来も毛沢東も政治部副主任や面接試験官として参画していて、皆々が繋がっていたことが目を惹いた。

 そして、ガンジーの説いた非暴力闘争が多くの人々の求心力を集めたスローガンが「インドの命運は糸車に掛かっている」との糸紡ぎ運動や製塩を求める塩の行進だったりしたことに改めて感慨を覚えた。そういうもので人々が結集し得たことの奇跡を改めて思う。インドの国旗の中央に今なお鎮座しているのが糸車であることの凄さに恐れ入るとともに、僕自身にとっても思い出深い映画ガンジーに描かれていた場面の数々を記録映像で垣間見ることが感慨深い。

 そのガンジーが母国インドに帰還した1915年の十年後の1925年に孫文が還暦も待たずして癌で亡くなり、1941年にホー・チ・ミンがベトナムに帰還していた。その四年後に日本軍の武装解除があり、1955年のバンドン会議という流れの構成のなかで目を惹いたのは、「天皇陛下万歳」を唱えていたスカルノの姿と彼が残している、日本軍がインドネシアの軍隊育成の礎になったとの言葉、アメリカによる毛沢東への武器供与だった。そして、1945年のアジア解放のはずが各地でのさまざまな組み合わせによる新たな戦争勃発になっていることだった。

 ガンジーの願いも虚しく、ヒンドゥー教のネルーとイスラム教のジンナーに分かれて独立した後、印パ戦争を繰り返したインド、同じ孫文の学校の元に集いながら国民党と中国共産党に分かれて蒋介石と毛沢東が始めた内戦が今なお台湾問題を残している中国、ベトナム独立のために旧宗主国フランスとの間でインドシナ戦争を始めたホー・チ・ミンが、八年がかりでフランスを撤退させながらも今度はアメリカの軍事介入を招き、戦争が途切れることのなかったベトナム。確かに、副題どおり「アジアは苦難の道を歩んだ」戦争の世紀だったように思う。


 第7集は、戦後世界を決定づけたヤルタ会談に焦点を当てたものだった。'95年時点現在のヤルタを映し出し、そのちょうど半世紀前にヤルタに集ったルーズベルト、チャーチル、スターリンに言及する序章の後の本編は、アメリカによるソ連への軍事援助を伝える映像から始まった。

 戦時中さなかの八日間にも及ぶ会談にまつわるスターリン、チャーチル、ルーズベルトの残している言葉が語られ、三大戦勝国となる三国首脳による剥き出しの利権折衝が伝えられていた。ドイツの四分割占領、ポーランド統治に係るソ連支配下に入るルブリン政権とイギリス亡命政権との競り合い、ソ連とイギリスの支配影響割合を確認し合うバルカン取引、そして、ソ連の対日参戦を引き出す極東密約など、かなり丁寧に紹介され、戦後のヤルタ体制が招くことになった“戦争の世紀”の火種の数々を映し出していたように思う。戦争が利権争いでしかないことを明示していて、圧巻だった。

 目を惹いたのは、ベルリン封鎖で物資窮乏に陥っていた西ベルリンに物資補給で対抗したアメリカが世界に対する圧倒的な影響力を持った姿だった。そして、1950年に始まり、150万人以上の死者を出したという朝鮮戦争までを映し出して終えていた。


 映像の世紀シリーズの第一期は第11集まであるのだが、NHKプラスでの僕の視聴が間に合ったのが第7集までだったので、残りの四つとなる第8集「恐怖の中の平和」、第9集「ベトナムの衝撃」、第10集「民族の悲劇果てしなく」、第11集「JAPAN~世界が見た明治・大正・昭和~」を観ることが叶わなかった。最後のは観たことがあるように思うけれども、その他は観逃しているので、いずれ片付けたいと改めて思った。
by ヤマ

'23. 1.31~ 2. 8. NHKプラス



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