『ひとくず 新ディレクターズカット』['19]
監督・脚本 上西雄大

 ひょんなことから観てみたら圧倒的な牽引力にすっかりやられてしまった。カネマサこと金田匡郎(上西雄大)が涙しているのを鞠(小南希良梨)に見留められ、母親の凛(古川藍)ともどもから指摘されていた焼肉屋の場面、自分がされたことがないためにバースデーケーキに名入れすることも知らないまま鞠の誕生祝をあれこれ算段する匡郎の場面、繰り返される観覧車の場面、好い場面が随所にあって大いに感心した。

 匡郎の抱えた屈託や歪を切ないまでも体現していた上西が素晴らしく、エンドロールを観ていて主演・監督・脚本・編集・プロデュース・主題歌及び挿入歌の作詞と凄い馬力で臨んでいることに驚くとともに、作品から溢れていた思いに得心した。協賛者の名に「金子正次・竜二を語り継ぐ会」という文字が見えたように思うが、なるほど金子正次かと、何か妙に似合っているような気がした。

 手元にあるチラシによれば、劇場公開時は117分だったものが123分になっている。劇場公開版は未見だけれども、匡郎の母親(徳竹未夏)が九州に遣られることになった場面とラストの再会場面が加えられて匡郎と母親を描く場面を手厚くしたような気がした。

 児童虐待の場面のインパクトがなかなか強烈で、二十五年前の愛を乞うひと以上のものがあるように感じた。だからこそ本作に凄みが宿っているのだとは思うけれども、孫も持つようになった身には些か堪えた。女子供に暴力を振るって痛めつけ脅えさせる男の最低のろくでもなさに、何とも穏やかならぬ心情を呼び起こされた。幼い匡郎に根性焼きを入れていた男を演じていた役者も、幼い鞠の胸にアイロン焼きをした男を演じていた役者も、圧巻だった。演出にも力が入っていたような気がするが、暴力というものに対する憤りが湧くだけでなく、荒んだ暴力を呼び寄せるものの根底にあるのが生活苦であり、貧困であることを作り手が強く意識していることが窺えたように思う。

 匡郎が空き巣に入って高級時計を盗んだ現場の捜査場面でなんでウチなんですか。セキュリティシステムつけてても意味ないじゃないですか!との被害者夫人の訴えに意味ないですねぇと返す婦警に対して何ですか、その態度は!他人事じゃないですか!と憤慨する遣り取りや桑島刑事(吉田祐健)のエピソードなども、そういうところから出てきているような気がした。真に助けが必要なのは、痛めつけられている人々のほうなのだという作り手の立ち位置を表していたように思う。

 そして、少々遣り過ぎとも言えそうな匡郎の出所後の場面が沁みてきた。鞠にした匡郎の約束がきちんと果されていたことが、何だか無性に嬉しかった。桑島刑事が世話をして得ていた就職先の運送業者の社長(田中要次)が一瞥して察した匡郎の手の甲に残る根性焼きの痕と同じものが、いつもハンカチで掌を覆って学校に通い、胸の火傷跡を見られたくなくて体育を休んでいた鞠の身体に残ることの惨さに、満矢先生(美咲)に託していた件が叶っていた。当たり券のツキは匡郎というよりも、不思議な縁で“泥棒のおじさん”を引き寄せた鞠の元に訪れていたものだったのかもしれない。
by ヤマ

'23. 1.24. GYAO!配信動画



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