『生きる LIVING』(Living)
監督 オリヴァー・ハーマナス

 黒澤明監督の名作『生きる』['52]の翻案作だとは予め知っていたけれども、よもや時代設定を同じにしているとは知らず、日本からイギリスに変えてあるオープニングタイトルが、いかにも'50年代風の色合いとフォントデザインのクラシカルな画面で現れたことにニンマリしていたら、思った以上にオリジナル作品に忠実で、しかも40分も短く凝縮してあることに畏れ入った。

 昨今のやたらと長尺に流れがちな映画状況に対する挑発的なまでの挑戦のように感じたが、見事に功を奏しているように思った。四半世紀前に再見したっきりの朧げな記憶からすると、三十八年前の映画日誌三文文士と巷の歓楽街を彷徨っている時と記してある部分と、通夜の席での諍いを含めた部下たちの行状と回想部分ではないかと思われるが、本作に掬い取られている程度で、バランス的にも内容的にも充分だと感じた。

 何よりも大事な志村喬【渡邊課長】による♪ゴンドラの唄♪に遜色のない味わいを醸し出していたように思われる、ビル・ナイ【ウィリアムズ課長】の唄う♪The Rowan Tree♪が沁みてきた。「ナナカマドの木」と字幕にあったが、僕の知らない唄だった。

 また、昔の映画日誌に若い娘小田切の屈託のなさにだけ安らぎを得て、気味悪がられるくらいにつきまとうと記してある小田切(小田切みき)は、女性の印象深い作品が少ないと言われる黒澤映画のなかでも出色の女性像だと思うが、小田切の健康的で屈託ない明るさから天真爛漫を差し引いた程合いのいい屈託のなさに加えて、小田切よりも心優しさを感じさせる明るさを湛えつつ、大事なあだ名のエピソードをしっかり踏襲させたマーガレット・ハリス(エイミー・ルー・ウッド)の造形に感心した。

 出てきたあだ名は、風船、迷った煙突、ジュリアス・シーザー、ゾンビで、流石にイギリスだと鯉のぼりはなかったけれども、渡邊課長のミイラよりも、ウィリアムズ課長のゾンビのほうが上手いと思った。もっとも'50年代の日本には、まだ「ゾンビ」という言葉は入ってきていなかったはずだ。'50年代だとジョージ・A・ロメロ以前だから、もしかするとイギリスでも一般的に知られた用語ではなかったのかもしれない。それはともかく、幼い頃になりたかったのが如何にも英国らしく“紳士”としてあることも好かったが、それがゾンビかと苦笑しつつ、明るいハリスに癒されている課長の姿がえらく響いてきた。そして、公園を作る動機が“ものづくり”を小田切に促されてというものから、公園にまつわる自分の思い出に触れてという運びに変わっていたが、それについても今作のほうが好いような気がする。

 また、エンディングにおいて、渡邊の名は忘れられても形ある「もの」は残るとばかりに公園が映し出されていた元作とは変えて、形ある“ものづくり”を強調するのではなく、ウィリアムズ課長が若い部下ピーター・ウェイクリング(アレックス・シャープ)に遺した手紙のなかで、肝心なのは、ものを作ることよりも生き方のほうであることを明示していたところが目を惹いた。元作の主題を今の時代の観客に伝えるうえではそれが必要だと考えたのだろう。さすがノーベル文学賞受賞作家のサー・カズオ・イシグロが脚本を手掛けただけのことはあると思った。

 僕が黒澤の『生きる』を観たのは、二十七歳のときと四十歳のときだが、最初に観たときの職場で先輩女性から促されていた、長年放置されたままの物品会計の基準となる物品分類表の更新作業を行う契機になった映画でもあったことを思い出した。ウィリアムズ課長がピーターに遺した手紙のなかでは、役所の仕事で果たせる小さな満足を大切にするよう説いていたわけだが、僕も以後の職場異動では必ず僕がいたことの足跡として残るものをささやかながらも、何処に異動しても心掛けてきた。県立美術館の開設時に美術館事業の柱の一つとして、当初は予定されていなかった映画事業を設けたこともそのうちの一つだが、それなりにどの職場においても、前任者たちが手掛けなかった何かを為して退職することができたつもりでいる。ウィリアムズ課長の遺した言葉にあるように、それは記憶され、継承されるとも限らぬものだが、奇しくも公務を完全に引いた年に本作を観ると、いま癌を患っているわけではないけれども、何やら感慨深いものが湧いた。




推薦テクスト:「やっぱり映画がえいがねぇ!」より
https://www.facebook.com/katsuji.yagi/posts/pfbid02zbTUgHQf
FmdwEoEZUdVqGpThyYMN73431aC4BDHEne8vQ5xiRDPoh5Jwfh5x5i3Kl

by ヤマ

'23. 4.11. TOHOシネマズ3



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