『帰れない山』(Le otto montagne)['22]
監督・脚本 フェリックス・ヴァン・フルーニンゲン
&シャルロッテ・ファンデルメールシュ

 2004年の三十一歳のときに六十二歳の父親を亡くしたピエトロは、1991年の三十三歳のときに六十五歳の父親を亡くした僕と近いところがあって、父親(フィリッポ・ティーミ)が死ぬ前の十年もの間、言葉を交わしていなかったという点では別物ながら、亡くしてから後に湧いてくる悔恨には響いてくるものがあった。

 十一歳のときに出会って親友となりながら、彼が十三歳から仕事に就いたことで別れたまま、三十一歳での父親の葬儀まで十八年間も言葉を交わすことがなく、十六歳のときにカフェで姿を見留めて目が合ったっきりだったブルーノ(アレッサンドロ・ボルギ)と旧交を温める以上の生涯に渡る関係を深めることが出来たのは、まさしく父親がブルーノに頼んでいたという山小屋建設だったことを思うと、ブルーノがピエトロ(ルカ・マリネッリ)の元を訪ねていたのは、その建設を息子と一緒にやってほしいということこそが、息子が去った後、息子の代わりに登山仲間として共に山を登ってきてくれたブルーノへの遺言の要点だったのではなかろうかという気がした。ろくでなしで見限った実の父親代わりに世話になってきたことへの恩返しとして、父親からの頼みだということにしてブルーノ自身が企てたことだったのかもしれないが、父親の息子への想いを託されたと解するほうが僕には好もしく思えた。

 そして、高山病になったことが原因とはいえ、父親と三人で登った山で氷河を歩くなか、細いクレバスを一人飛び越えられなかったことを忘れられないでいるピエトロがブルーノに対してずっと引け目を覚えている姿が、印象深かった。彼がネパールで「山の民」の古老から聞いたという“須弥山(スメール山)とそれを取り巻く八つの山”の話をした際に、ブルーノが須弥山に登る者、ピエトロが八つの山を巡る者だと両者ともに認めていたが、“須弥山に登る者”たる称号と自意識を植え込んだことがブルーノを縛ってしまったことの罪深さを思わぬでもなかった。

 原題の意味する「八つの山々」を邦題で「帰れない山」としているのは、父も友も失くしたピエトロが最後に呟くモノローグ他の峰々の中央に聳え立つ山に帰ることはできないのだ。いちばん高い最初の山で友を亡くした者は、八つの山を永遠に彷徨い続けるから来ているのだろう。息子が己が愛好する登山に関心を寄せてくれて登った1984年息子十一歳の最初の登山で、山頂ノートに生涯の思い出に残る最高の登山だったと書き残していた父親の想いに触れたピエトロの姿が沁み入るとともに、先立った父親に対して抱いた悔恨とは異なるものを、ある意味、その望みどおりの鳥葬によって先だったと思しき友の死に対して抱いている様子が印象深かった。本を読むようになって知った…言葉が貧しいと思考も貧しくなるとのブルーノの言葉が心に残る、言葉数が少なく画面の美しい作品だったように思う。

 女性客が大半を占めるようになった映画市場におけるトレンドとして、今や男同士の深い関係を綴る物語には、型に嵌ったようにボーイズラブやゲイテイストを折り込むようになっていることにすっかり食傷しているからか、そういう趣向が微塵もない造りの潔さが爽快でもあった。味わい深く、些か苦い好い映画だ。
by ヤマ

'23.12.18. DVD観賞



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