『ドゥ・ザ・ライト・シング』(Do The Right Thing)['89]
監督・脚本 スパイク・リー

 1990年度のマイベストテンの第1位に選出して以来の再見だったが、オープニングの♪ファイト・ザ・パワー♪の流れるタイトルバックのみならず、主題にしても文体にしても色褪せた部分の全くない、真にコンテンポラリーなダイナミズムの息づいている映画の力に改めて感心した。初めて観たときに、人種差別についてかような捉え方描き方をした作品を観たことがなく、途轍もなく凄い映画を観たように感じたことの衝撃は既見作ゆえに湧かなかったが、今度は一向に古びて来ない生命力が宿っていることに驚かされた。

 やはりスパイク・リーのベストムービーは本作だと再認識した。宿題映画のままになっている『ゲット・オン・ザ・バス』['96]を観てみたい気持ちが強くなった。すると、西嶋憲生さんが先日発表されたSight & Sound 映画史上の名作トップ100で、批評家の24位、監督の29位となり、いずれもスパイク・リー作品でトップでした。前回はどちらの100位にも入っていなかった(批評家13人、監督5人が10本の1つに選出はしていた)ので、10年後の次回はもっと高くなる気がします。と教えてくれた。時代が追い付いてきたということなのだろう。十年後は、より上位との予測に共感を覚えた。見届けたいものだ。あと十年なら、なんとか行けるかもしれない。

 それはともかく、三十二年前の日誌に記した人種どころか個々の人間でさえ差別をする側と差別される側にくっきりと構図的に識別できる現実などない。この実に当り前のことが多くの差別問題を扱った作品では不問にされがちな所にスパイク・リーは異議を申し立てていることに改めて感心した。そして、家父長制の色濃いイタリア系ファミリーにおいて、兄ピノ(ジョン・タトゥーロ)よりも黒人従業員のムーキー(スパイク・リー)のほうが好きだという弟ヴィト(リチャード・エドソン)を配している点が重要だ。キーワードは“抑圧”だろう。

 観賞後に四人で交わした、タイトルに言う「The Right Thing」とは何だろうということについての意見交換がなかなか面白かった。ムーキーがそうしていたように、抑圧せずに自己表現・自己主張をすることが「The Right Thing」なのだという至極真っ当な意見が出たことに対して、各々は皆、自分は間違っていないという立ち位置で行動していて、そのうえで暴動が起こったとの指摘があった。確かにそうだったのだが、最も注目すべきは、この暴動に加わった人々が当初は、イタリア系移民サル(ダニー・アイエロ)が自分の経営するピザ屋の壁に掛けている写真に黒人の写真が一枚もないことが我慢ならないバギン・アウト(ジャンカルロ・エスポジート)の提唱したボイコット運動にさえも誰一人賛同しようとはしていなかったことだと思う。だが、警官によるラヒーム(ビル・ナン)殺しが起こり、騒然とし始めた群衆と夏の日の異様に高い気温にのぼせ上がったムーキーが「憎しみだ!」と叫びながら、サルの店の大きな窓ガラスに路上にあったゴミ缶を投げ込んだことを契機にして、レジのカネの強奪や放火を含む暴動に繋がっていた。

 暴動というものがそもそもそうであるように、“自己表現・自己主張”の解放ではなく、暴発的興奮であることがよく示されていたように思う。殺意まではないままに興奮に駆られてラヒームを絞め殺したようにも映った警官の暴力とある意味、同様で、根ざしているものは“差別意識”というよりは、擦り込まれ抑圧されていた“憎しみ感情”のほうにこそ、真因があるように感じられる。それに対して、ムーキーの取ったもう一つの行動である未払い給与250ドルの請求は、暴発的興奮による窓ガラスの破壊とは対照的に、状況に対して不均衡なまでの冷静さに基づく行動として描かれていた気がする。前者の異常が普通にありがちなことで、後者の権利行使のほうが異端的行動に映るところがミソだという気がした。異端ではあっても「The Right Thing」はこちらのほうだろう。それに対するサルの対応こそは、まさしく「The Right Thing」だったように思うが、正しくとも事態の解決にはならない。

 終始一貫して過激さを排した穏当な“自己表現・自己主張”を全うし続けていた人物が本作には二人いて、一人はムーキーの父親世代に当たるサルであり、もう一人が更に一世代上の“市長”と仇名される老人(オジー・デイヴィス)であったような気がする。だが、彼らのようなスタンスの生き方では、世の中が変わらなかったと訴えているようでもあった気がする。

 本作でキング牧師とマルコムXの言葉を最後に並べた当時のリー自身には、マルコムのほうによりコミットしていた自覚があったらしいと仄聞した覚えがあるが、自身のコミットするものが正しいか否かは、コミットする理由自体が【正しさ】によるものではないというのが人間の実態であるということからすれば、そもそも切り分けて考える必要があるように感じる。そのうえで僕の感じた「The Right Thing」というのは、抑圧せずに自己表現・自己主張をすることを恐れないだけではなく、そのもたらす結果に対して戦略的に臨むとともに責任感覚を持つことだと思った。そういう意味では、サルが丸めて投げつけた100ドル札五枚に対して、500ドル貰う謂れはないと200ドル投げ返し、50ドルは借りだと言い放ちつつ、睨み合って対峙した後、その200ドルを拾ってしまうムーキーには、後段の部分が決定的に欠けているように感じた。

 当夜の観賞会の主宰牧師によれば、ムーキーがその200ドルを拾ってしまう顚末には、制作サイドから注文が付いたらしい。それに対してスパイク・リーが、カネを拾うムーキーの姿が映し出されることに拘ったようだ。未婚のまま子供を産ませた恋人ティナ(ロージー・ペレス)に対しても、家賃の負担を全面的に押し付けている妹のジェイド(ジョイ・リー)に対しても、無責任極まりないろくでなしぶりからして、最後の場面でムーキーをヒロイックに仕立てあげることに違和感があっただろうし、それ以上に、そのような映画にしてしまっては、重要な部分が損なわれると思ったのだろう。作り手として「The Right Thing」な判断だったように思う。

 懇談会では、本作は秀作であるという点で意見の一致をみた。そのうえで、少々長過ぎると意見してみたところ、オープニングの踊りからして長すぎるとの声が出た。そこで、あのボクシングで戦う姿勢を表し、踊りで活力生命力を漲らせていた♪Fight The Power♪のタイトルバックについては、あれでいいのだと主張しつつも、動きの激しさの割には揺れ具合が乏しく、相当にタイトに締めたボディスーツだったのが惜しいなどと言ったついでに、その揺れ具合を確かめようではないかと改めて再生してもらった。すると、オープニングの踊りからして長すぎると言った参加者から、改めて観直すと、本作の主題を鮮やかに映し出しているタイトルバックだとの支持表明があった。なかなかの出来栄えで、観直しができて嬉しく思った。
by ヤマ

'22.12.13. あいあいビル2F



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